2008年6月に観た展覧会です。こちらに載せたかった関ガラス店の写真を探しても見つからず,感想を書いたぎりになっていました。このあと展覧会は青森にも行ったそうですね。
情報としては古いものですがナンシーの思いでを少し残しておきたいのでアップします 。写真は22年4月に3年ぶりの津軽訪問をした際に撮ったものです。
2002年6月12日に急逝したナンシー関の回顧展。渋谷パルコのロゴスギャラリーという、あまりにも狭い展示スペースで開催されました。くしくも命日、しかも数日前にナンシー版画の金字塔・水野晴雄氏が亡くなっており、盛り上がる喪中気分とうらはらに展示会場の人口密度にげんなりとさせられました。
5000余個にのぼる消しゴムの生判子がアクリルケースの中でジャンルごとに整然と並べられ、優れたデッサン力と構成力に裏付けられた判子の彫りあとは見事なものでした。グラフィックデザイナーとしてもっとしかるべく評価されてもおかしくはないのに、完成度の高い下絵をゴム印によって転写をするという行為自体がアートの域に達しているのにあくまでも「端境」に存在し続ける切なさ。ナンシー関が書き続けていたテレビ評の視点が、もうどこにも存在していない「お茶の間」であるということ。出身地青森でのナンシー関の扱いが薄いこと。(あくまでも推測ですが、これには家族の意志が働いているのではないでしょうか)そんなことを考えながら「青森市がナンシー関記念館を作らないで、みすみす外貨獲得の機会を逃しているのはすでに犯罪」と、せんない結論を出してしまいました。
情報としては古いものですがナンシーの思いでを少し残しておきたいのでアップします 。写真は22年4月に3年ぶりの津軽訪問をした際に撮ったものです。
2002年6月12日に急逝したナンシー関の回顧展。渋谷パルコのロゴスギャラリーという、あまりにも狭い展示スペースで開催されました。くしくも命日、しかも数日前にナンシー版画の金字塔・水野晴雄氏が亡くなっており、盛り上がる喪中気分とうらはらに展示会場の人口密度にげんなりとさせられました。
5000余個にのぼる消しゴムの生判子がアクリルケースの中でジャンルごとに整然と並べられ、優れたデッサン力と構成力に裏付けられた判子の彫りあとは見事なものでした。グラフィックデザイナーとしてもっとしかるべく評価されてもおかしくはないのに、完成度の高い下絵をゴム印によって転写をするという行為自体がアートの域に達しているのにあくまでも「端境」に存在し続ける切なさ。ナンシー関が書き続けていたテレビ評の視点が、もうどこにも存在していない「お茶の間」であるということ。出身地青森でのナンシー関の扱いが薄いこと。(あくまでも推測ですが、これには家族の意志が働いているのではないでしょうか)そんなことを考えながら「青森市がナンシー関記念館を作らないで、みすみす外貨獲得の機会を逃しているのはすでに犯罪」と、せんない結論を出してしまいました。