江戸の妖怪、怪奇、怪談、奇談

江戸時代を中心とした、面白い話を、探して、紹介します。

朝倉の蛇田 「土佐風俗と伝説」より

2023-04-17 23:35:37 | キツネ、タヌキ、ムジナ、その他動物、霊獣

朝倉の蛇田  「土佐風俗と伝説」より

                     2023.4

今は昔、土佐郡朝倉村の南方の網代谷(あじろだに)と言う所に、毎年秋の稲の熟する頃、猪が出てきて歩き、田を荒らすことがあった。

百姓の難儀は、大変なものであった。
所の若い郷士の桑山大八と言う剛勇の武士は、
「おのれ害敵を退治してやろう」
と、ある夜、手銃をさげて、そこへいった。

夜ふけに及び、果して猪の群れが出てきたので、引金に手を掛けんとするや、にわかに猪は何物にか恐れたのであろうか、驚き逃げ散った。
大八は不審ながら、急に妙に眠気を催したので、銃を投げ仮眠してしまった。
しかし、頭上へ、亡き父の姿が朦朧と枕神に立った。
「大八、猪は逃けたが、他の敵が来たぞ。」
と告げたので、目を覚したが、何者もいなかった。
又、眠れば枕神が立った。
この様なことが三度に及んだので、大八も怪しみ、あたりを見わたした。

果して、巨大な蛇が大口を開き、まさに一ロに大八を呑みこもうと近づいた。
そこですぐに銃を取り、目にも見せない早さで一発二発、その両眼を打ち貫いた。
それで、流石の怪物も急所の痛手に耐えきれなかった。
近辺の稲田をのたうち回りながら逃げて行方を見失しなった。
翌朝、村民とともに大蛇を探したが、東方の鏡岩の近くに、枯木の様な巨大な遺骸を発見した。

蛇の死んだ田は、後に崇があった。
小さい祠を建てて、大蛇を祀った。
漸く、祟りが起こらなくなった。

今なお、この辺に蛇田と言って、一町六反一畝二十六歩の大田がある。


蛇身鹿に変ず  「土佐風俗と伝説」より

2023-04-17 23:33:09 | キツネ、タヌキ、ムジナ、その他動物、霊獣

蛇身鹿に変ず  「土佐風俗と伝説」より

                        2023.4

今より百年程昔、佐川領(家老領)河内(かうち)の足軽に篠原助蔵と言う者があった。

ある朝未明に狩猟に行き、尾川(高知県佐川町)の山中で長者が瀧と言う瀧の下に一匹の鹿を見た。
しかし何となく鹿とも見えないので、化け物と思い、
「真の鹿で無くば姿を変へそこを立退け。さもないと打つぞ」
と銃を構えたところ、鹿はたちまち角を生やし、助蔵に喰いかかった。

このように、一発に打ち止めると、尾川の轟淵に墜ち込んだが、この轟淵と越知(おち)樽瀧の上流の囲炉裏淵と同じ流れてあったのか、血潮がここ(囲炉裏淵)まで流れた。
後、助蔵が囲炉裏淵へ来て見れば、大蛇の鱗が三枚あったので、拾ってこれを祀った。

つまり淵の主が鹿に恣を変えていたものであろう、ということであった。

篠原一家はこれを恐れ、近頃は大樽の瀧の近くへ行ったことがない、と申し伝えられている。
     

 


槇山(まきやま)の蛇釜の淵 「土佐風俗と伝説」より

2023-04-17 23:29:47 | キツネ、タヌキ、ムジナ、その他動物、霊獣

槇山(まきやま)の蛇釜の淵   「土佐風俗と伝説」より

                              2023.4

今は昔、香美郡(こうみぐん)槙山村岡内(まきのやまむらおかのうち)に大きな池があった。
大蛇がここに棲み、埋め立てることが出来なかった。
ある時、平家の武士の宗石権守が戦に敗れて落ちて来て、大蛇を退治しようとした。
手飼の名犬を連れ、名剣を口にくわえ、七日七夜池の中を泳ぎまわった。

流石の大蛇もその勢いに恐れ、二匹の児蛇をつれて、どことも無く去っていった。
しかし、あわてて、一匹の小蛇を池の下の谷間に残していった。
権守(ごんのかみ)は、このようにして池を埋め立て、六反六畝の農地を得て、民の益をなすこと、極めて大であった。

しかし、後世に至り、その残されたる児蛇も年と共に成長し、又その子孫も出産繁昌した。

後の宝暦(ほうれき)年間(1751~1764年)に、加賀の国(石川県)より蛇釣りに巧みなる人が来た。
同所の誓渡寺(せいどじ:高知県香美市)と言う寺院の庭に、その術を以って淵に住んでいた蛇を呼び集めた。
その数は九十九匹いたそうである。
その中の親蛇の長さは七尋(ひろ:大人が両手を広げた長さ)あった、その他は、皆二尋三尋の児蛇のみ
であって、すべて元の池へ放った。

今なお、その淵に数多くの蛇が棲んでいるといわれている。

権守の事績を、土地の人々は忘れず、池の明神と称し、同所の氏神の側に小さな社を建立してを祭った。又、その従った犬も、犬塚と言って傍に祭ってある。


土佐の狸の怪 4.潮江の狸  「土佐風俗と伝説」 古狸

2023-04-13 17:21:40 | キツネ、タヌキ、ムジナ、その他動物、霊獣

土佐の狸の怪 4.    潮江の狸

                      2023.4

今は昔、潮江村(今は、高知市の一部)の砂入に、小田原平兵衛と言う武士が住んでいた。
家僕二人を使っていたが、一人は大人で生れ付き足が短かい障害者であって、一人は十四五歳の若者であった。
ある夜、用事があって、若者の僕を使いにやったが、まだ夜になってすぐの頃であったが、天狗橋の南の橋詰めで、その高さ一丈も有るかと思うばかりの大入道
に出くわした。身の毛もよ立つ様におぼえて、走りつつ島屋と言うのに飛び込み、助けを乞うた。
ちょうどその時、平兵衛もそこに来掛っていた。
いきさつを聞いて、それは、どこかの狸のしわざであろうと、笑いながら、狸を罵しった。
小田原平兵衛は、若者を連れ帰った。
夜が更けるに及び、今度は大人の僕が、門を閉めようと、足を引摺りながら行った。
すると、かの狸は、自分の事を悪しざまに言われたのが気にいらないと思ったのであろう。
垣間より踊り出で、その僕の足に噛み付いたので、僕は肝(きも)をつぶして、門も閉めずに逃け帰ったそうである。


「土佐風俗と伝説」 古狸 より


土佐の狸の怪 3.小八木(こやぎ)屋敷の古狸 その(2)

2023-04-13 17:18:36 | キツネ、タヌキ、ムジナ、その他動物、霊獣

土佐の狸の怪 3.

   小八木(こやぎ)屋敷の古狸 その(2)

                                                                         2023.4

さて、又、先程の小八木屋敷の古榎の下の狸については、以下のような話もある。

ある時、山田某と言う武士が、夜更けて榎の所に行って、小便をした。
すると、たちまちに何であろうか大変大きなものに、体をひた押しに押付けられたような心地がして、全身がすくんだ。
なんとか立ち上がろうとしても、出来なかった。
仕方なくて、しばらく、そのままにしていたが、町巡りの廻番の男が、拍子木を打ちながら来た。
それで、声を掛け、手をひっぱってもらい、この時にやっと立つ事ができた。

しかし、その後は何も変わった事がなかったそうである。

 

「土佐風俗と伝説」 古狸 より