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自然・環境・フィットネス・コミュニティ

子供たちと「居場所づくり」の取り組み

2006年12月31日 | 子供と安全

 子供たちが放課後も学校に残って勉強したり、遊んだりできる…。そんな「居場所づくり」の事業が来春から公立の小学校でスタートします。文部科学省と厚生労働省の「放課後子どもプラン」で来年度、226億円の予算が計上されました。

 午後5~6時頃までの時間帯には、教室・体育館・校庭を舞台にした、多彩な活動の場が用意されます。授業の予習・復習・補習等を行う「学びの場」もあります。教員OBや教職を目指す大学生らが指導します。塾に通わない子にも、授業以外の学習の機会が提供されるようになり、多くの保護者が歓迎する事になると思います。

 スポーツや、文化活動をする「体験の場」もあります。地域の大人たちとの「交流の場」や「遊びの場」もあります。こちらは、地域のボランティアが担当します。文科省が3年前から実施している「地域子ども教室」事業がベースです。現在約8,000の小学校で放課後、地域住民と子どもが一緒に遊びやスポーツをしています。その内容を一層充実させた上で、全国に拡大するのが今回の事業です。

 夕方以降の時間帯は、共稼ぎなどの10歳未満の子どもが対象になります。保育士などの資格を持つ専任の指導員が遊びの場を提供して面倒を見ます。従来の「学童保育」を継承する形になります。活動の場を児童館や民家利用から、全て小学校とする事で、未実施地域の解消を目指します。こちらは有料ですが、子育て支援の意味でも、できるだけ保護者の負担が軽くなるように望まれます。

 何より、児童が安心して過ごせる安全な放課後にする事も重要です。学校の内外で様々な事件・事故が起きています。各小学校に「安全管理員」が配置される予定ですが、地域の大人全員が最大限の注意を払う必要もあります。

 残念なのは、来春にスタートできるのは全国2万の小学校の約半分に留まることです。財政難を理由に、導入に及び腰の自治体も有ります。でも、国が補助金を出し、自治体の負担分も地方交付税で手当されれば、やる気さえあれば始められる事業のはずです。

 「地域で子どもを育てる」という意識も欠かせません。かつては、そういう時代でした。「おやじの会」や老人クラブ、青年会議所、ボランティア組織など地域全体を巻き込んで、充実した放課後を演出されることを願っています。

 (参考:読売新聞 2006.12.24 社説)

 「放課後プラン・地域の教育力を再生する場に」と題した社説ですが、とても分かり易くまとめられた記事なので掲載しました。

 私達も、地域コミュニティ活動として、上記の内容と一部重なる活動をしています。「新宿コミュニティクラブ」として情報も発信しています。


12月23日、コウノトリが、このとうり(?)自活…

2006年12月31日 | 自然回帰・コウノトリ

 兵庫県・豊岡市で、昨年9月以降に放鳥されたコウノトリ14羽のうち、3歳の雌1羽が「自活」しているのが確認された。残り13羽は同市の県立コウノトリの郷公園に舞い戻って飼育用の餌に頼っているが、この雌だけは、約8キロ南の田園地帯でドジョウなど自然の餌を食べている。

 同公園の大迫義人・主任研究員は「野生化への第一歩。今後は、社会性をどう身に付けるかが課題」と話している。

 コウノトリは、田畑や水路でバッタやドジョウなどを探して食べ、夜は電柱の上で眠っている。小学校の児童らが造った湿地帯などのビオトープ(生物生息空間)へも飛来し、餌をついばんでいるという。

 (読売新聞 2006.12.24)


12月18日、コウノトリと自然・環境体験

2006年12月31日 | 子供の健康

 コウノトリの里として知られる、兵庫県・豊岡市の小学校では、コウノトリの放鳥を期に、「子供たちを野生に帰そう」という取り組みが始まっています。  

 例えば、冬季湛水水田による、コウノトリの餌場作り。田んぼ・川・海などの生きもの調査。山で、炭焼き体験等々。これらの体験を通して、自然や環境を考える生きた教材としています。

 (NHK兵庫放送局・FMジャングル)

 冬季湛水水田は、冬も水をたたえている水田のことで、無農薬で稲を育ています。このため、水田には、ドジョウ・タニシ・カエルなど、生きものたちの生命の連鎖が豊富に見られます。

 私達の東京・新宿の小学校でも、タタミ1枚分位のミニ田んぼですが、冬季湛水水田を作っています。ラバーで舗装された校庭に囲まれ、生きものたちにとっては過酷な環境ですが、それでも毎年春先には、オタマジャクシが誕生します。イトトンボやシオカラトンボも羽化しています。

 又、都内の小中学校の全てが、10年計画で芝生化される計画があります。緑を増やして少しでも、地球温暖化を防止しようという狙いと、生きものたちが帰ってくるという期待もあります。