「本土空襲その全記録」~66都市、2000回の空襲記録。
昭和16年12月8日、真珠湾攻撃で、対米開戦。翌、昭和17年4月18日、空母から発進したBー25中型爆撃機が、東京・川崎・名古屋などを空襲。被害はわずかだが初の本土空襲となった。その後、本土への空襲は2年以上途絶えた。
昭和19年6月15日、「空の要塞」と称された、大型長距離爆撃機Bー29が、中国・成都を飛び立ち、八幡・小倉・戸畑・門司・若松の5都市を爆撃、270人以上が犠牲となる。これが、米軍による本格的な本土空襲の始まりだった。
昭和20年3月9日、マリアナ諸島の基地を飛び立ったBー29・325機が、東京市街地へ無差別爆撃を開始。下町を焼き尽くしたこの日の爆撃だけで、死者は約10万人以上といわれている。Bー29による大規模な爆撃はその後も続き、東京・大阪や、主要な地方都市も軒並み爆撃を受けた。 (参考:時空旅人V0l.27 2015)