デヴィッド・ボウイを偲んで・・・・3
この人は次にいったい何をやらかすのか読めない、いい意味でのファン泣かせな人でもありましたね。
まあ、そこのところがたまらない魅力でもあったのですが。
そんな彼が1988年に結成したクセモノ集団の本格派ロックバンドが4人組みティン・マシーンです。
「レッツ・ダンス」などの大ヒットによるゴージャスなイメージ脱却の意味も含めてそれら一切を封印しての新たなスタートとしての意味合いも込めて活動開始。2枚のスタジオ・オリジナルアルバムやライブ映像&音源、ミニアルバム、シングルなどをリリース。精力的にあらゆる会場でライブもこなしてゆきましたが賛否渦巻く中での1992年活動停止ということになりました。
ここ北海道にデヴィッド・ボウイがやってきたのは、このバンドでの2公演のみ。私は初日を観にいきましたが貴重な体験をさせてもらいましたね。
写真はアルバム(セカンドはサンプル。ジャケット違いでこれのみ特別に1曲「ワン・ショット」のシングル・ヴァージョンを収録)、ライブのVHS(88分)、秘蔵ライブ音源2種類、ラジオ・セッション・ミニアルバム、スペシャル・ピクチャーCD(未発表ライブ&インタビュー収録)、ライブ・アルバム、1992年来日公演用パンフレット、その時のチケット半券。
さて、私は1992年2月10日(月)北海道厚生年金会館へ足を運びました。
ステージ上にはあらゆる箇所にテレビや人形が無造作に羅列されていて一種異様な世界を構築。
登場したメンバー達もボウイはもちろんの事、超個性的。ギターのリーブス・ガブレルスはマイクスタンドにいろいろな物をぶら下げてそれらを駆使しながらアヴァンギャルドなサウンドをかもし出し、その変態的な(!?)プレイスタイルから私はロバート・フリップとダブって見えました。
リズム・セクションは兄弟で、ベースはボウイに負けないくらいにダンディなルックスのトニー・セイルス。ドラマーのハント・セイルスは一際目を引くルックス。髪型や前進に彫られたTATOO、そして独特のノリを演出していた上半身裸でのドラミング(時にはボーカルも担当。これもまたすさまじかった!)
極めつけはやっぱりデヴィッド・ボウイにつきますがね。
ギター、サックスをこなしながらのボーカルスタイルはオーラ満開。
ただ残念な事にこの時、すでに活動停止は発表されていたのでした。よって食い入るように目に焼き付けておきましたよ。
セカンド・アルバムが思いの外、セールス面で苦戦。噂によるとドラマーのドラッグ癖にボウイが激怒したのも停止の一因とのこと。
前述の8曲入り「LIVE OY VEY,BABY」の中の5曲目「アンダー・ザ・ゴッド」はなんと札幌公演の時の音源なのですよ!
私の後輩も観にいってましたが、積極的にカバーも取り入れたり、札幌公演2日間の両セットリストがそうとう違ったらしいです。
70年代前後のロックライブならまだしも90年代でこのコダワリは、ボウイけっこう実験的本気モード炸裂していたのでしょうね。ちなみに1991年のイギリス映画「ニューヨーク恋泥棒」にデヴィッド・ボウイが主演にて出演していますが、ティン・マシーンのメンバーもセリフ無しの演奏シーンでチラッと登場します(共演のロザーナ・アークエットはTOTOのヒット曲ロザーナのモデルになった美女)
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