THE SAPPORO TRANSIT AUTHORITY (S.T.A)

札幌で活動しているブラスロックバンド、STA(The Sapporo Transit Authority)です。

ルパン三世(PART3) モンキー・パンチ

2016-01-11 06:37:46 | free form space

申年にちなんで・・・のシリーズで、北海道が生んだ男性漫画家の巨匠モンキーパンチ先生の描く代表作品、猿顔ルパンが主人公の「ルパン三世」ラストです。

ここのところ、ひんぱんにテレビで「ルパン三世」物を鑑賞することができますね。先日も実に2年ぶりとなるテレビ用長編アニメが放映されたばかり。本日は小栗旬主演の実写版も登場!

写真は1984~1985年までのもの。その後しばらく連続アニメは製作されていませんでした。面白いところではスピンオフで「峰不二子という女」、そして「名探偵コナン」とのコラボも数度実現しております。

去年からは満を持して第4シリーズが深夜の時間帯で放映中。

 

さて、モンキー・パンチ先生が厚岸郡浜中町生まれだった事は以前書きましたが、実家は猟師だったそうです。

10年ほど前にテレビ・ドキュメンタリーで浜中町の僻地医療に従事する地元唯一の診察医「道下俊一医師」の番組を制作、また他局でもドラマを放映、本人の書物も出版されて話題になりました。

道下先生は2014年に亡くなられましたが、その診療内容は想像を絶するほどに過酷だったそうです。

たった一人の医師が過疎地の方言に翻弄されながらも診察、往診、手術をこなすわけですから・・・・。

ところがレントゲン撮影という作業も加わってきたものですから、さすがにこれ以上は無理、もう助け舟が必要!となり昭和28年夏の終わり、霧多布定時制高校在学中の坊主頭に詰襟学生服姿の素直な少年を採用したそうです。

その彼はマンガが大好きで、特に手塚治虫作品は全て読んでいるという。

彼が加わった事でレントゲンの現像以外にも簡単な検査、患者さんの運搬などもこなしてくれて貴重な戦力になったそうです。

もちろんこの人こそが後の漫画家、モンキーパンチ!

ある日、道下先生のお子さんの誕生日に職員一同がそれぞれに祝いの品を届けにきた時のことでした。

モンキーパンチ少年は「僕は何も買ってあげられないから漫画を描いてきました」

それが色紙一杯に見事なタッチで書き込まれた「のらくろ」「冒険ダン吉」だったそうで、これをきっかけに評判が評判を呼び地元釧路の機関紙の表紙やカットなどの以来が殺到。本人も嬉々としてペンを走らせていたそうです。

高校を卒業する時、モンキーパンチ少年は道下医師に「このままここにいてもいいですか?」と頼んだそうですが「それも一つの選択だけど、このままだといつまでたっても雑用係のままだぞ。私は君のマンガの才能は素晴らしいと思っている。その方面に私はコネはないから紹介もしてやれないけど一度それに挑戦してみないか。それでだめだったらいつでも帰って来い」「でも東京に行かなきゃ駄目です・・・」「若いんだからやり直しもきく。やってみろ!」

そう言って励まし東京へ送り出した。

気にはなりつつも音信は途絶え10年が経過。

昭和42年のある日、1枚のハガキがモンキーパンチ青年から届き、たった一行「先生、なんとか米の飯が食べれるようになりました」と書かれていたそうです。

その時にはすでに「ルパン三世」は大ヒット連載されていて、全国の若者の間で爆発的な人気を集めていたのです。

先のテレビ・ドキュメンタリーにもモンキーパンチ御大は出演。

「道下先生との出会いがなかったらいまの自分は無い。私の絵をはじめて認め、評価してくれた人だった」といつまでもことあるごとに師への感謝の気持ちを忘れずに述べているそうです。

写真左の書物直筆サインはモンキーパンチ先生ではなく道下医師の「霧多布人になった医者」でのものです。

 

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