スティングは、ポリスで颯爽とデビューしたときからの大ファンです。彼のやる事、なす事はずっと注目。憧れのミュージシャン。
当時パンクブーム吹き荒れる中、それに便乗する形で策士の3人は器用にバンドへそれを導入してエキサイティングなライブを展開。軽く成功を手中に収めます。だから他のパンクバンドとは、全然雰囲気が違ったもんね。
タイトでシンプルなロックビートに全員がブロンドヘアで統一。最低限の経費でツアーをこなしていきますが、奥深い歌詞、レゲエのエッセンスも取り込み、ヒット曲、名作を大量に生み出します。
日本でもゴールデンタイムに「アラウンドザワールド」が放映されたもんね。
三者三様それぞれにソロでも活躍していますが、デビュー時はスティングが一番無名。
でも商業的にも、ありとあらゆる分野でも一番成功を手にしたのはスティング。
映画、コマーシャルでもお馴染み。
元々彼はジャズミュージシャン。
でも譜面が読めなく、メンバーらから馬鹿にされ、悔しくて何と短期間でそれを会得し周囲をビックリさせたそうです。
「あれは数学みたいなもの」と後日語っていたんだから、頭のデキが違う。
売れないミュージシャン時代は教師だったしね。
ソロになった途端にジャズミュージシャンらとバンドを組んだり、ポリス再結成!近年はミュージカル、クラシックにチャレンジ。才能溢れるスティングの快進撃…かと思いきや、コンポーザーとしてスランプに陥り、聴覚障害も患っているとの報が入り心配です…( i _ i )
写真は今のところ最新アルバム2016年発表「57th&9th」
イキのいいロッカー、スティングが久しぶりに帰ってきた!嬉しいなあ。
ジャケットもカッコいい!
長年の相棒、ドミニクミラーも健在!
スティングは北海道にポリスを含めて何度も来てくれてます。私も3回観たけど、どれも震えがくるほどに感動!
でも、夢は一度でいいから生ポリスを見る事^_^!
女性のヒップラインをWに取り入れたロゴがセクシーなaverage white bandは1971年スコットランドにて結成。
エリック・クラプトンのサポートを経て1973年デビュー。
1974年ニューヨークに渡り、セカンドアルバム「AWB」を発表。
同アルバムよりのシングル「ピック・アップ・ザ・ピーセス」がインストゥルメンタルにもかかわらず、全米NO,1(ビルボード)の大ヒット。
バンド名にも現れているように白人バンド(平均的な白人バンドという意味。後に黒人のメンバーも加入)でありながらそこから繰り出されるサウンドは黒い。
ゆえに「ホワイトソウル」「ホワイトファンク、R&B」と呼ばれた。
メンバーチェンジを経て、1982年に解散。
1996年には再結成。
来日公演も行っている。
ちなみに私はポール・マッカートニーの東京ドーム来日コンサートで、バックを務めるハーミッシュ・スチュアートを観ました。
「ピック・アップ・ザ・ピーセス」は多くのミュージシャン達にカヴァーされており、マンハッタン・ジャズ・オーケストラ、高中正義、フィル・コリンズ(ビッグ・バンド!)etc・・・。
中でも、最もポピュラーな音源はやはりcandy dulferに尽きるでしょう。
彼女の演奏でも別ミックスや別ヴァージョンが存在しますが、本家AWBにも「new jazz mix」というものがあります。
で、彼らの傑作誉れ高き1980年発表のアルバム「シャイン」9曲入り。
なんたって当時勢いに乗っていたデビッドフォスターがプロデュースなんだから、最初からエアプレイ臭香るご機嫌なサウンド。
ここからはチャカカーンのカバーでヒットした「ホワッチャゴナドウフォーミー」
ディスコの定番「レッツゴーラウンドアゲイン」が、話題に。
ほかにも「ピックアップザピーセス」を彷彿とさせるナンバー「イントウザナイト」も聞き応え満点。これはジェリーヘイの貢献度大!実はアメリカとイギリスではこの曲、テイク違いなんだそうです。
ゲストは他にビルチャンプリン、ブレンダラッセル、ゲイリーグラント、アーニーワッツ、ラリーウィリアムス他。
で、デビッドフォスターの自伝本の中でちょい面白い事が書いてありました。
若気の至りで、デビッドフォスターは崇拝するあのクインシージョーンズに、この手掛けたばかりの「シャイン」アルバムを手渡しながら得意満面に語った。
「その2曲目は飛ばしてください。ボーカルが音を外してるから。これとこれも出来がよくない。6曲目はバンドメンバーらは気に入ってるけど、私はそうでもないですね」
するとアルバムを手にしてクインシー御大は言った。
「ここに何て書いてある?」
「アベレージホワイトバンドです」
「バカ!ここだ!」とプロデューサー名を指差した
「プロデューサー、デビッドフォスター…」
「そうだ!それなのに、さっきから何能書きをたれてる!?
これ以上できないと思えるぐらいまでやれないのなら自分の名前をクレジットに載せるな!」
ガツンとした衝撃を受けたデビッドフォスターは、それ以来、決して妥協せず、プロデュースワークに従事すると心に誓ったそうです。
結果はそれからの彼が残した膨大なる功績を見れば一目瞭然ですね。
あれからもうすぐ3年…。
突然舞い込んだ訃報に世界中が驚いたことでしょう。
「デヴィッド・ボウイ死去。 18ヶ月にもわたる癌との闘病生活の末、家族たちに見守られながら10日、息を引き取った。 享年69歳・・・」
2日前の誕生日にニューアルバムをリリースしたばかりでの出来事。この遺作「ブラックスター」の内容にも自分の死期を悟ったためか、ファンへの最後のメッセージが盛りこまれているそうです。
参加ミュージシャン達にもボウイの深刻な病は知らされていなかったそうです。
白黒のみで統一されたデザインも何やら意味深。
ボウイのフォトがないのも珍しい。
ジギー・スター・ダストは宇宙を放浪した後に、地球に落ちてきて今、天国に旅立って往きました。
久しぶりに今話題沸騰中のフレディー・マーキュリーと「アンダー・プレッシャー」を歌っていることでしょう。
「20世紀で最も影響力のあるアーティスト」と今では言われてもいますが、60年代のデビュー当初は泣かず飛ばずの日々。
若気の至りで、女性を巡って友人と喧嘩になり殴られた左目の視覚はほとんどないそうです(いやはやこの辺のエピソードはロックンローラーですな)
しかしこの友人との交流はその後も続き音楽活動を共にします。リンゼイ・ケンプとの出逢いによりアバンギャルドなパントマイムを習得。その世界観も自らの音楽に反映させてゆきます。
本名はあのモンキーズのボーカリストと同姓同名だったために「デヴィッド・ボウイ」と改名。映画「2001年宇宙の旅」をモチーフにした「スペイス・オディテイ」でロックに初めて宇宙観を導入。
それを機に彼の名声は一気に高まります。
ここからグラムロック時代に突入。中世的魅力を振りまいてT.REXのマーク・ボランと並んで、新しいロック時代の申し子とうたわれるまでに成長します。
奇抜な衣装、どぎついメイク、架空のキャラクターを演じる表現方法、バックバンド「スパイダーズ・オブ・マーズ」などなど各方面に多大なる影響を及ぼしました。
初来日は飛行嫌いだとのことで船に乗って東京湾へ。山本寛斎のステージ衣装も話題を集めましたね。
その後もアルバムを発表するたびに常に時代の最先端を疾走。カメレオンのごとくジャンルを超越して変化する音楽性にはファンの間でも賛否が飛び交っていました。
また俳優業にもロックミュージシャンとしてはいち早くその才能を開花。
特に故・大島渚監督の「戦場のメリークリスマス(共演:坂本龍一&ビートたけし)」はここ日本でも大ヒットしました。
私が彼の存在を知ったのは「スターマン」でした。
アコースティックギターのコード・ストロークイントロから語りかけるように歌いだすボウイ。
徐々にサウンドは拡散していき宇宙の彼方に響き渡っていくような新鮮な気持ちになったあの頃を今でも忘れません。
衝撃の1曲でしたね。あれは名前とルックス同様にインパクトがあったもん。ボウイの才能にはファンもついて行くのがやっとで、時には「次には何をやるのか?」予想もつかなたり、良い意味での裏切り、奇想天外なるコラボレーションなど冒険の連続でした。
ハンサムなので女性ファンも多くロックを聞かない方面にも知名度は絶大、CMにも出演していましたね。
歌舞伎にもインスパイアされた部分が多いとのことで親日家としても知られていました。
札幌にも一度だけやってきました。
時は1992年2月。
セカンドアルバムを発表したばかりの「ティン・マシーン」で厚生年金2ディズコンサートが実現したのでした。私も当然生デヴィッド・ボウイを堪能してきました!ステージのいたるところに置かれたテレビや人形のオブジェの中で、サックスもこなすボウイはやっぱり文句なしにかっこいいマルチミュージシャン。
貴重な体験でした。
私のフェバリットソングは「スターマン」「ビギナーズ」「ヒーローズ(ロバート・フリップによるファズのかかったサスティーン変態ギターも最高!)」
まだまだいっぱいあるけどね。
彼の出演した映画ならば実家に帰省した際に今はなき映画館貸切状態で観た「ラビリンス魔王の迷宮」がお気に入りですね。理屈抜きに楽しかったです(ボウイ出演作はマニアックなものが多いので)。
ジェニファー・コネリーは可愛かったし、マペット人形もお見事。魔王演じるボウイは挿入曲も提供。
久しぶりに唯一無二のボウイ・ワールドに酔いしれてみようと思います。