県史跡・湯舟沢環状列石。縄文ふれあい館(滝沢市埋蔵文化財センター)。滝沢市湯舟沢。
湯舟沢環状列石は西方に聳える谷地(やち)山を正面に望む場所に造られており、春分の日と秋分の日に環状列石の中央に立つと、西方の谷地山山頂に沈む夕日を望むことができ、沈む夕日に自らの命を重ね合わせた自然崇拝がうかがわれる。
2023年6月9日(金)。
湯舟沢環状列石(ストーンサークル)は、滝沢市役所の北々東5kmにあり、縄文時代後期前葉(約4000年前)の時期に作られた。
湯舟沢環状列石は、1990年5月、大規模団地予定地として発掘調査を行っていた湯舟沢Ⅱ遺跡から発見された。
史跡公園「湯舟沢環状列石」では、実物を地下に発掘当時のまま保存したうえで、地表に823個の石を使用して原寸大に復元し、1998年8月から常時無料で公開している。また、周囲に縄文時代の植生を復元して当時の景観を再現している。隣接する縄文ふれあい館(滝沢市埋蔵文化財センター)展示室と一体となった見学ができる。
湯舟沢環状列石は、南北径20m、東西径15mの範囲に、さまざまな形の組石がならんでいる。また、石の下からは人為的に掘られた穴が多数発見され、理化学的な分析結果から縄文時代の大規模な共同墓地と祭祀場であることが判明している。
東北地方から北海道南部にかけて発達する大型環状列石の変遷と縄文時代の社会構造を知るうえで、極めて貴重な遺跡である。
湯舟沢環状列石の周辺からは集落が発見されていないため、縄文時代の人々の土地利用について墓域と住まいとを分離する考えかたがあったこと、墓の目印として地上に設置された様々な「組石」の形や石の目印を持たない墓など多種多様な墓が造られていることなどが指摘されている。また、環状列石を造るときに石を搬入した道が発見された。
写真3の配石実物を展示している。
人体文付深鉢。縄文時代後期初頭。けや木の平団地遺跡。
寸法は、深鉢の器高45.0cm(復元値)、口径26.3cm(復元値)、最大径27.3cm(復元値)、底径17.9cm(復元値)。人体部の高さは17.9cm、幅は6.9cmとなっている。現状は、推定復元によるものである。
一見、土偶を想定させる人物の文様である人体文が付けられた縄文土器の深鉢である。人体や人面を表現した縄文土器は全国でもいくつか知られ、北海道・東北地方で特に発達したが、この資料のように人体の写実的なモチーフが明瞭に残っているものは極めて少なく、縄文時代の狩猟儀礼や祭祀を解明する第一級の資料となっている。
足型付土版。縄文時代後期初頭。湯船沢Ⅷ遺跡。
寸法は、最大長55.75mm(現存値)、最大幅55.10mm、最大厚12.10mm、重量38.4g。現状は、踵が欠損している。
歩行直前の幼児の左足の形がついた粘土の焼き物。岩手県内では現在でも、初の出土例(昭和57年)となっている。平沢彌一郎医学博士(鑑定当時、東京工業大学教授)によれば、身長80cm、体重10kg、生後10ヶ月から12ヶ月の男児と鑑定されている。
縄文時代のこのような資料は、主に北海道・東北地方で発見されているが、現在でも10遺跡に満たず、出土そのものが極めて少ない資料である。この遺物の用途は、子どもの健康や成長を願った護符などと想定されており、現在のところ、その実態は不明だが、縄文時代における祭祀や通過儀礼などの精神文化を解明する貴重な資料となっている。
土偶。動物型土製品。
石棒。石刀。