縄文ふれあい館(滝沢市埋蔵文化財センター)。滝沢市湯舟沢。
2023年6月9日(金)。
「岩手県における続縄文文化の土器と墓制」井上雅孝(滝沢市埋蔵文化財センター)
弥生時代の湯舟沢式土器。
赤彩球胴甕。奈良時代。
古墳時代。大釜館遺跡出土の宇田型甕。
大釜館(おおがまだて)遺跡は、雫石川河岸段丘に立地し、大釜字外館他に所在する。中世の大釜館は、大釜氏累代の城館であった。大釜氏は大釜邑主で、和賀多田氏の庶流と伝えている。16世紀半ば高水寺斯波氏全盛のころ、斯波氏に仕えて大釜郷その他を領地としていた。南部氏が高水寺斯波氏を滅ぼしたのちは南部氏の臣となった。
平安時代、この地に安倍貞任の前線基地があったという。前九年の役(1051~1062年)のとき源義家は、安倍貞任を追撃して厨川柵に迫ったが、対岸は水嵩が多いので、雫石川を渡って迂回し、この地に陣営を構えて兵站部を設け、陣釜を据えて兵馬の糧食を供給したという。その陣釜が大釜という地名の由来となったと伝わる。
11世紀後半の大型掘立柱建物跡および土器が出土しており、安倍氏の権勢と前九年合戦と言う歴史的背景をもつ資料に位置づけられている。
筑波大学先史学・考古学研究 第 24号 33-49 2013
研究ノート「岩手県岩手郡滝沢村大釜館遺跡出土の宇田型甕について」 井上雅孝・早野浩二
大釜館遺跡は,岩手県岩手郡滝沢村大釜字外館地内に位置し雫石川北岸の河岸段丘上に立地する。標高は138.7~ 139.6mを測る。縄文時代の集落,9世紀の円形周溝跡・土壌墓跡、11世紀の居館,12世紀の集落, 15 ~ 16世紀の城館「大釜館」、中世の土壙墓、江戸時代の屋敷と墓などが検出された。
「宇田型甕」は,岐阜県岐阜市宇田遺跡から出土した台付甕に由来し、S字状口縁甕形土器の系譜を引く。大釜館遺跡出土の個体を観察した結果,宇田型甕は伊勢湾沿岸地域からの搬入品で、型式としては宇田型甕1類に対応し編年上では松河戸Ⅱ式中1期から中 2期に比定されると理解した。
伊勢湾沿岸地域周辺における宇田型斐の出土事例を引くと,静岡県浜松市梶子遺跡において鋳造欽斧が共伴する事例,和歌山県和歌山市西庄遺跡において鉄挺が同一地区で共伴する事例に加えて,「物部氏」の拠点とされる奈良県天理市布留遺跡,「葛城氏」の拠点とされる同御所市南郷遺跡群、太田茶臼山古墳などに埴輪を供給した高槻市新池埴輪製作遺跡における出土等におけるまとまった出土が特徴的である。つまり,宇田型甕が搬入される遺跡は,鉄器製作を含めた各種手工業生産,大型前方後円墳の造営を中心とする国家的事業,あるいは王権や有力氏族との関連が推測される場合が多い。
また、関東地方における宇田型甕の出土は公的施設,または有力な古代集落の形成の端緒となった可能性がある。
続縄文土器文化圏における宇田型甕出土の背景と意義。
弥生時代後期後半または古墳時代早期前半,庄内式以前の段階の東北地方においては,日本海側を中心として,天王山式系土器と北陸系土器が相互に接触し この動態に後北 Cl式最終末から後北 C2D式の最古段階の続縄文土器も関与した形跡がある。ほほ同時期の東海地域においても,隣接地域間相互の緊密な関係性を背景として、「廻間式土器Jが成立する。
古墳時代早期後半,東日本各地には東海系,北陸系土器が拡散し、畿内においては庄内式が成立する。続く古墳時代前期前半,庄内式新段階から布留式古段階においては.後北 C2D式中段階の続縄文土器が東北地方の広域に分布し十王台式土器も東北北部にまで影響を及ぼすようになる。この段階において,畿内には布留式が成立し東海系土器は東西に広く拡散する。
古墳時代中期前半,南小泉式の段階における東北地方には北大 I式の統縄文土器が分布し、ごくわずかながら伊勢湾沿岸地域から宇田型甕が搬入される。前代の東海系土器,北陸系土器などとは異なり,宇田型甕は各地において模倣の対象とはならなかったことからすると,出土した宇田型甕は,直接的な人的移動,交渉を示す物的証拠である可能性が高い。
寒川Ⅱ遺跡の土壙墓から出土した鉄製品が象徴的に示すように,弥生時代後期から古墳時代前期の東北地方における続縄文土器の分布,あるいはそれに呼応するかのような天王山式系土器,十王台式土器の動態には鉄器を始めとする物資流通が重ね合わせられることが多い。一方、古墳時代中期の各地における宇田型甕の出土状況を踏まえると,大釜館遺跡出土の宇田型甕についても,主として鉄器が関係する技術拡散,物資流通が付随していたことが推測される。
古墳時代中期は大型古墳の築造に刺激されつつ,列島規模で産業構造の変革が進行する。古墳時代中期後半には 北上川中流域においても,方形区画を伴う本格的な古墳時代集落である岩手県奥州市中半入遺跡,豊富な形象埴輪群を含む列島最北端の前方後円墳である角塚古墳が顕現する。これらより以前・以北の古墳時代中期前半,北上川上流域にもたらされた大釜館遺跡の宇田型甕は,古墳時代中期における構造変革の初動に位置し、北方交流史により広域的、動的な視点が必要であることを示唆している。
江戸時代。地鎮跡出土の輪宝・羯磨墨書石。大釜館遺跡。
石鍬。弥生文化期の大形(長さ30cm前後)の鍬形をした石器。中部地方以東、東北地方南部までの、前期後半から中期の弥生文化の台地上集落からは打製の大形の石鍬が発見される。また、これら弥生期の遺物とは関連性はないが、関東、中部地方の丘陵地の縄文中期の遺跡から多量に出土する長さ15cm未満の長方形の打製石器も、用途が土掘り具であることから石鍬とよぶ人もいる。
受付で、翌日開催される「チャグチャグ馬っこ」の詳細を教えてもらった。
このあと、八幡平市の道の駅「にしね」に向かった。