いちご畑よ永遠に(旧アメーバブログ)

アメーバブログ「いちご畑よ永遠に(旧ヤフーブログ)」は2023年7月に全件削除されましたが一部復活

岩手県宮古市 国史跡・崎山貝塚 縄文の森ミュージアム①

2023年11月01日 13時31分57秒 | 岩手県

国史跡・崎山貝塚。宮古市崎山貝塚縄文の森ミュージアム。岩手県宮古市崎山。

2023年6月7日(水)。

岩泉町の龍泉洞を見学後、宮古市の国史跡・崎山貝塚へ向かった。海岸近くで三陸沿岸道路に誘導され、宮古北インターチェンジで降りた。

国史跡・崎山貝塚は、縄文時代の貝塚および環状集落の遺跡で、「崎山貝塚縄文の森公園」として保存整備され、園内入口には展示施設として宮古市崎山貝塚縄文の森ミュージアムが設置されている。

崎山貝塚宮古湾の北部に位置し、海岸より1.5㎞ほど内陸に入った館ケ森と呼ぶ丘陵から海に向かって北東に延びた標高115m前後の舌状台地に立地する。遺跡の両側は、現在水田耕作が行われている低湿地となっている。

本遺跡は、縄文時代の前期から中期にかけて南東と北西の斜面に形成された貝塚と、中期後半に営まれた集落跡からなっている。南東斜面には3地点の貝塚が確認され、前期初頭から中期の初頭に形成され、多種多様な遺物が、厚いところで1.2m以上に累積している。北西斜面の貝塚は、斜面の中ほどに位置し、中期後半に形成された。

集落跡は、台地の頂部を平坦に削平し、台地の縁から斜面にかけて多量な遺物と共に排土を投棄し、いわゆる盛土遺構を形成している。さらに遺跡の中央部には、不整楕円形で環状に帯状の凹地を掘って中央に楕円形の広場を作出し、広場の東端には高さ約1mの石が立っている。近年まで西端にも大石が立っていたという。

環状の凹地は、外側の長さが85mほどで、内側の広場が長径36.7m、短径21m、凹地の幅は12-18m、深さ1mほどに掘られていた。広場から環状の凹地にかけて配石をもつ墓穴と、大部分はフラスコ状貯蔵穴が設置されている。

環状の凹地の西側には、長軸130m、短軸100m以上の範囲に竪穴建物11棟以上と配石遺構など、東側は西に比べて小規模であるが、長軸90m、短軸50mほどの範囲に20棟以上の竪穴建物、3棟以上の掘立柱建物、多数の土坑や柱穴が分布する。なお、東には竪穴建物跡、環状溝の凹地、土坑の埋め土に、かつて石棒が埋設されていた状況で発見された。

本遺跡は、縄文時代中期に削平・盛土などの大土木工事を実施し、楕円形の環状の凹地を掘削して巡らした中央広場を挟んで、東西に居住域を配した典型的な拠点集落である。中央広場を環状に区画する凹地は全国初の発見であり、他の土木工事とともに集落の全体で計画的な造成を行ったことを示す。

また貝塚は、前期のものとしては全国的にみても内容豊かな骨角器や動物遺体を含み、生業、食生活、自然環境などについて貴重な情報を提供する。遺跡全体は、自然景観とともに良好に保存されてもおり、縄文時代のわが国の歴史を知るうえできわめて重要である。

崎山貝塚に人びとがくらしていたのは主に縄文時代の前期のはじめから後期の前半(約6000〜3500年前)にかけてで、およそ2500年間にもわたる。

崎山貝塚では前期から後期にかけて、5段階にわたるムラの移り変わりが確認されている。

崎山貝塚では前期のムラの様子はよくわかっていない。これは、中期の人びとがムラをつくる時に古いムラをこわしてしまったからだと考えられている。しかし、貝塚や土器すて場の様子からは前期にも大きなムラがあったのではないか考えられている。

中期以降は、中心に墓や広場を持つ、規則正しい形の大きなムラがつくられた。後期になるとムラは規則正しい形を保ったまま、次第に規模が小さくなっていった。

第1段階(前期)

ムラの様子ははっきりしないが、斜面には土器すて場や貝塚が残されている。

第2段階(中期はじめ)

台地上には竪穴住居やムラの中心部に墓が造られはじめるが、ムラの全容は不明である。

第3段階(中期中ごろ)−ムラの中心部

大規模な土木工事によりムラが造られた。ムラの中心部分が島のように高くなり(中央広場)、この周辺がドーナッツ状に低くなって、中央広場には墓がみられるので、墓地として使われたと考えられるが、中央広場と環状溝とをあわせた範囲で儀式や祭りが行われていた可能性もある。

第4段階(中期終りごろ)−ムラの中心部

環状溝が埋まりはじめると中心部分に墓と食糧貯蔵用の穴がたくさん掘られるようになった。また、東集落では儀式用か倉庫と考えられる建物跡も発見されている。

第5段階(後期はじめ)−ムラの中心部

ムラの中心部分に全く何もない円形の広場があり、この外側に配石遺構・墓・石棒を立てた穴などの特殊な遺構が二重の輪を描いて並ぶようになる。この形は、ストーン・サークルに良く似ている。

配石遺構。立石。東ムラ。

立石。

中央広場から西の崎山貝塚縄文の森ミュージアム方向。立石。右が北貝塚。

岩手県岩泉町 龍泉洞