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いちご畑よ永遠に(旧アメーバブログ)

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70年代の名曲 カーリー・サイモン Carly Simon - You're So Vain

2025年05月03日 23時29分19秒 | 音楽

Carly Simon - You're So Vain

You walked into the party   Like you were walking onto a yacht

Your hat strategically dipped below one eye Your scarf it was apricot

You had one eye in the mirror As you watched yourself gavotte

And all the girls dreamed that they'd be your partner They'd be your partner

You're so vain You probably think this song is about you

You're so vain I'll bet you think this song is about you

Don't you? Don't you?

 

You had me several years ago When I was still quite naive

Well, you said that we made such a pretty pair And that you would never leave

But you gave away the things you loved And one of them was me

I had some dreams they were clouds in my coffee Clouds in my coffee, and

You're so vain You probably think this song is about you

You're so vain I'll bet you think this song is about you

Don't you? Don't you?

I had some dreams they were clouds in my coffee Clouds in my coffee, and

You're so vain You probably think this song is about you

You're so vain I'll bet you think this song is about you

Don't you? Don't you?

Well, I hear you went up to Saratoga And your horse naturally won

Then you flew your Lear jet up to Nova Scotia To see the total eclipse of the sun

Well, you're where you should be all the time And when you're not, you're with

Some underworld spy or the wife of a close friend Wife of a close friend, and

カーリー・サイモン Carly Simon(1945年6月~)はニューヨ-ク生まれのシンガーソングライター。父親はユダヤ系ドイツ人で、出版社創業者の裕福な家庭に生まれる。母方の祖母はキューバ生まれの混血Pardoで解放奴隷の子孫。カーリー・サイモンのDNA分析では10%がアフリカ系、2%がアメリカ原住民。7歳のとき、家族の知り合いの10代の男から性的暴行を受け、言語障害になる。克服のため楽曲作成とボーカルを試みる。姉妹とサイモンシスターズというグループを作り、1964年にシングルを出し、1969年まで続いた。1970年ソロになりエレクトラレコードと契約。1971年にアルバムデビュー。1973年11月にジェームス・テイラーと結婚し、2児をもうけた。テイラーとは1983年に離婚。

「You're So Vain」は、1972年11月アルバム「ノー・シークレッツ」からの第1弾シングルとしてリリースされ、1973年1月6日から3週連続でビルボード1位。日本盤シングルは1973年2月5日に発売され、26週にわたりオリコンチャート入りして最高11位を記録。

歌詞には別れた恋人が批判的に描写されており、そのモデルについて、長年詮索の的になっていた。本人は、かつての交際相手だった俳優のウォーレン・ベイティの名を上げ、残りの二人は秘密のままになっている。

「You're So Vain」。ポップロック調のメロディーは、シンガーソングラーターの曲が静かな曲調が多いのに比べて、陽気で印象的。軽快なロックアレンジも可能。

「You're So Vain」は当時ラジオでよく聴いていたが、そのほかの曲は記憶にない。ほかに名曲はないかと、代表曲・ヒット曲を数曲を聴いてみたが名曲の水準に達してはいなかった。

ビルボード1位はこの曲のあと、"Superstition"  Stevie Wonder、 " Crocodile Rock"  Elton John 、" Killing Me Softly with His Song"  Roberta Flackと続く。 

 


80年代の洋楽 ブロンディ Blondie Heart of Glass Call Me The Tide Is High

2025年04月22日 08時56分44秒 | 音楽

Blondie Heart of Glass(1979年)

ブロンディ Blondie は、アメリカのロック・バンド。

女性ボーカリストのデボラ・ハリーDeborah Harry(1945年~ )がメインメンバーで、ブロンディとデボラ・ハリーはほぼ同格。1970年代末から隆盛したニューヨーク「ニュー・ウェイヴ」の代表的グループとして知られる。全世界のアルバム・セールスは4000万枚以上。2006年『ロックの殿堂』入り。

当初はニューヨーク・パンク・バンドの一つとされていたが、後に「ハート・オブ・グラス」でディスコ、「ラプチュアー」ではラップといった、当時最先端の音楽にも手を広げ、ニュー・ウェイブの範疇で評価されることもあった。

日英wikiでは、1982年に一度解散し、1997年に再結成とあるが、私は1990年にブロンディのライブをロサンゼルスで観ている。あれは幻だったのかと、トムトムクラブのyuutubeを捜したら、「Ramones Blondie Tom Tom Club 1990 the Escape From New York tour」というのがあった。ニューヨークのパンクバンド3組がユニットで全米各地を回ったツアーの1日であった。

1990年8月にナッツベリー・ファーム、ユニバーサルスタジオ、マジック・マウンテンという既に行ったことのあるディズニーランドを除くLA周辺のテーマパーク巡りをしたとき、滞在中に有名バンドのコンサートがないかと現地のプレイガイドで捜すと、宿泊したホテルの徒歩圏内にある劇場で、そのコンサートがあったので、チケットを購入してでかけた。

「Heart of Glass(1979年)のヒットから知っていたブロンド美人のデボラ・ハリーが見られるのかと楽しみだった。トムトムクラブも聴いたことがあった。ラモーンズは名前は知っていたが、聴いたことはなかった。

会場は巨大な映画館風のシアターで、その2階から3組のライブを見下ろした。

残念ながら、ブロンディの記憶はない。期待どおりだったのだろう。トムトムクラブは魔法使いジニーの扮装をした女性数人がステージを縦横に動いて面白かった。とりのラモーンズはパンクで、一番盛り上がった。ステージ前の群集の頭の上を数人が飛ばされていた。今思えば、あれがダイブだったのだろう。 

ブロンディだったのかソロとしてのデボラ・ハリーだったのか、正確なところは分からないが、ブロンディ=デボラ・ハリーという認識は当時のアメリカ人も持っていたということだろう。

 

ブロンディは1974年、ガールズ・バンドに所属していたデボラ・ハリーと、バックバンドにいたクリス・シュタインが中心となって結成された。「ブロンディ」というバンド名は通りがかりのトラックの運転手がハリーにかけた言葉("Hey Blondie"=「よぉ、ブロンドのお姉ちゃん」)に由来する。

1976年にデビュー・アルバム『妖女ブロンディ』発表。

「Heart of Glassハート・オブ・グラス」が1979年にヒットして人気バンドになる。ハリーはセックス・シンボルとしても大いに注目されるようになる。

1975年にメンバーのデボラ・ハリーとクリス・シュタインにより作詞作曲された原曲はブルース・レゲエ調であったが、1978年にロックとディスコの曲調を加えて再録音された。

「Call Me コール・ミー」は1980年、ハリーとジョルジオ・モロダーが共同で作詞作曲した、映画『アメリカン・ジゴロ』に提供され、米英でナンバーワン・ヒットとなった。

The Tide Is High」(1980年)も米英1位のヒット。これもよくラジオから流れていた。


80年代の洋楽 Joe Jackson - Steppin' Out

2025年04月20日 08時45分06秒 | 音楽

Joe Jackson - Steppin' Out

ジョー・ジャクソンJoe Jackson(1954年~)は、イギリス・スタッフォードシャー 生まれのミュージシャン。

ロンドンでクラシックの作曲家を目指していたが、限界を感じ、ロックの世界に惹かれていった。

1979年にデビュー。その後、ポーツマスの自宅で静養していたジョー・ジャクソンは、スウィング・ジャズの発展形であるジャイブ・ミュージックのレコードを毎日のように聴いた。1982年にはラテン音楽に惹かれてNYに渡り、アルバム「Night and Day」をリリースする。このアルバムに収録されている「Steppin' Out(夜の街へ)」は、最もよく知られた曲である。

「Steppin' Out」は、ビルボードで、1982年12月11日に、週間ランキング最高位の6位を獲得。1982年ビルボード誌年間ランキングでは36位。

Steppin' Outはニューヨークでの生活にインスパイアされた作品。夜の街をドライブする期待と興奮を歌う。

日本でもラジオでよく流された。都会的で変わった雰囲気の曲だった。MVは見た記憶はない。ドライブ感・グルーブ感がある。ベーシックなリズムの流れでも、それを感じるし、エリック・サティを10倍速くしたようなピアノの不協和音の積み重ねがドライブ感を加速させる不思議な感覚がある。


80年代の名曲 チープ・トリック(Cheap Trick)The Flame

2025年04月19日 09時34分44秒 | 音楽

Cheap Trick The Flame 1987

チープ・トリック(Cheap Trickは1974年にシカゴ近郊で結成、1977年にデビューしたアメリカのロックバンド。ライヴ・アルバム『チープ・トリックat武道館』(1978年)がヒット作となり、日本武道館の名を世界中に知らしめたバンドとして有名である。ディープ・パープル、シカゴ等とともに、2016年ロックの殿堂入り。

ロビン・ザンダー(Robin Zander) - ボーカル、リック・ニールセン(Rick Nielsen) - ギター、トム・ピーターソン(Tom Petersson) - ベース。 

リック・ニールセンとトム・ピーターソンは、Fuseというバンドで1969年にメジャー・デビューするが、商業的には成功しなかった。リックとトムはイリノイ州に戻り、チープ・トリックを結成。その後ロビン・ザンダーが加入してラインナップが固まる。

1977年デビュー、本国アメリカでは成功しなかったが、日本では人気が高まっていき、1978年4月には、初の日本公演を行う。その時の模様を収録したライヴ・アルバム『チープ・トリックat武道館』(1978年)は、本国アメリカで日本からの輸入盤が売れ出したため、1979年に本国でもリリースされ、バンドにとって初の全米トップ10入り(最高4位)を果たした。また、このアルバムからシングル・カットされた「甘い罠 (I Want You To Want Me)」は、Billboard Hot 100 で7位まで上昇し、バンドにとって初の大ヒット・シングルとなった。

1980年、ロビン以外の3人は、ジョン・レノン「アイム・ルージング・ユー」のレコーディング・セッションに参加。同年発表のアルバム『オール・シュック・アップ』は、ビートルズの仕事で知られるジョージ・マーティンがプロデュースを担当。しかし、同作を最後にトムが脱退。セールス的には落ち込んでいった。

1987年、トムがバンドに復帰。翌年には、アルバム『永遠の愛の炎』が全米16位のヒットとなり、同作からのシングル「The Flame」は、バンドにとって初の全米1位シングルとなった。

 

1980年前後から知っていた。イケメン2人とそうでない2人の対称さがよく言われていた。リック・ニールセンはいかにもギターキッズという感じで好感がもてた。サウンドもロックの本流だった。ただ、ヒット曲として

「I Want You To Want Me」のサビ部分は耳に残るが、ほかのバンドと比べて決定的な楽曲はなかったので、あくまで中堅バンドという風に思っていた。

MTV時代の後半はバングルズの「Eternal flame」などロックバラードの名曲が頻出した黄金時代で、そのうちの1曲として、後世に残る。

この曲は外部からの持ち込みだったので、メンバーは嫌っていたが、大ヒットになり驚いたという。作品は作者の手を離れると作者の思いとは別に評価されるものだ。


80年代の洋楽 J・ガイルズ・バンド(The  J. Geils  Band)センターフォールドCenterfold「堕ちた天使」1981

2025年04月17日 09時26分44秒 | 音楽

J・ガイルズ・バンド(The  J. Geils  Band)センターフォールドCenterfold「堕ちた天使」1981

高校時代の憧れの女性が男性誌の見開きピンナップページに載っていることにショックを受けた青年の物語である。原題の "Centerfold" は見開きページの(ヌード)写真の意味。

1981年の秋に発表され、1982年2月にビルボードホット100の1位に輝く。その後6週にわたって1位の座を保ち続け、初期MTVの常連となった。ビデオが撮影された学校の上の階には少女向けダンス・スクールがあり、その出身者がビデオに出演している。

1981年4月にTV番組「ベストヒットUSA」が放映開始され、洋楽摂取がラジオからテレビの映像・ビデオクリップ・PV・MVへと変わった。アメリカでもMTVが1981年8月に開局し、世界的に音楽を動画映像で楽しむ時代に突入した。それまで、ロックバンドのライブはNHKでよく放送されていた。CCRやドゥービー・ブラザーズなどはNHKで見た。ジョニ・ミッチェルやシルビー・バルタンもそうだった。

それ以前はヤング720だと思うがローリングストーンズの「ジャンピング・ジャック・フラッシュ」で初めてミック・ジャガーが体を動かして歌う姿を見て感心したものだ。

「ベストヒットUSA」は待望していた番組で開始直後から、毎週必ず見ていた。その初期を象徴する曲がJ・ガイルズ・バンドの「センターフォールド」であった。正統的なロック、キャッチーなメロディーと映像が楽しい。

J・ガイルズバンドは1967年、J・ガイルズ(ジェローム・ガイルズ)を中心にボストンで結成。1970年にデビュー。ピーター・ウルフの野性的なボーカルとR&B色の濃いロックンロールサウンドは「アメリカのストーンズ」と評された。

1980年代から音楽性が少しずつ変化し始める。1981年発表のアルバム『フリーズ・フレイム』からシングルカットされた「堕ちた天使」は印象的なイントロのフレーズとセクシーなミュージックビデオが話題となり、翌年2月から6週間に渡って全米1位を記録する大ヒット。同アルバムも全米1位を獲得する。しかし同曲は産業ロックに走ったとの批評もあり、既存の支持者などから賛美両論を招いた。

バンドは1985年に活動を停止した。