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いちご畑よ永遠に(旧アメーバブログ)

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横浜・東京方面への旅 東急1日乗車券 わたらせ渓谷鉄道 天竜浜名湖鉄道

2025年07月04日 20時51分00秒 | 東京都

 

 

2025年6月23日(月)から7月1日(火)まで9日間、横浜・東京などを旅行した。目的は、乗り鉄、史跡見学、グルメなどである。

費用は、基本運賃が、JR名古屋から横浜まで障害者割引で2860円。京急横浜から浅草まで619円。東京から名古屋まで3190円。 宿泊費が、横浜5泊、東京3泊で19073円。平均1泊2384円。以上で基本的な旅費は25742円。

 

6/23( 月)。名古屋の自宅からJR東海道線に乗車。静岡で途中下車して、静岡鉄道に乗ろうとしたが、トラックが橋桁に衝突した事故により浜松で1時間半ほど足止めされた。藤沢で途中下車して14時過ぎに大和で老人ホームにいる兄に面会。

その後、北鎌倉の明月院へ16時過ぎに入苑してあじさいを鑑賞。大船に戻って東海道線横浜駅経由で石川町で下車し、宿へ。なお、大船から根岸線経由で石川町にすると運賃が高くなる。

6/24(火)横浜市営バス・地下鉄共通1日乗車券420円を地下鉄伊勢崎長者町駅で購入し、8時に弘明寺を見学。京急に乗り換え金沢文庫駅で下車し、金沢文庫で「徒然草展」を鑑賞し、称名寺へ。地下鉄上大岡駅から桜木町駅で下車。市バスに乗り替えて山下公園まで行き、

ホテルニューグランドで日本初の「シーフード・ドリア」と「プリンアラモード」を食べた。5313円。地下鉄でセンター北駅まで行き、弥生遺跡の大塚・歳勝土遺跡を見学後、隣接する横浜市歴史博物館を見学。

16時ごろになり、雨が降りそうな天候になったので、伊勢崎長者町で下車して宿に帰った。

 

6/25(水)。横浜駅へ行き、東急横浜駅の改札で東急線ワンデーパス(半額)370円の使用方法を尋ねて、スマホでチケットを購入。渋谷駅まで行き、折り返し旧朝倉家住宅を見学しようと、代官山で下車しようとしたら雨が激しく降ってきたので電車に戻って、池上線で池上本門寺を見学。自由が丘に戻って、

喫茶店モンブランでモンブランを食べた。祐天寺で下車して祐天寺を見学。15時ごろ代官山に着き、

旧朝倉家住宅を見学。

16時ごろ不動前駅で下車、5分ほど雨に降られて目黒不動尊を見学。目黒駅で下車し、「とんかつとんき」に着くと、臨時休業だったので、横浜に帰った。

 

6/26(木)。東急線ワンデーパス370円利用。東横線多摩川駅で下車し、多摩川台公園へ。古墳展示室、亀甲山古墳、多摩川台古墳群を見学。

九品仏駅で下車し、九品仏を見学。

洗足池駅で下車し、洗足池と勝海舟記念館を見学。戸越銀座駅で下車し、後藤蒲鉾店でおでんを食べ、

15時過ぎに戸越銀座温泉に入浴。目黒駅へ行き、「とんかつとんき」でロースかつ定食2500円を食べたのち横浜へ帰った。

6/27(金)。東急線ワンデーパス370円利用。三軒茶屋駅で下車したのち、世田谷線に乗り、終点下高井戸で京王線に乗り換えて芦花公園駅で下車。友人と喫茶店へ。11時30分頃下高井戸駅から宮の坂駅へ。

豪徳寺で猫招きと外人を見る。上町駅で下車し、世田谷区立郷土資料館を見学。

等々力駅で下車、御岳山古墳、等々力不動から等々力渓谷の一部を歩いて、国史跡・野毛大塚古墳を見学して、横浜へ帰った。

6/28(土)。石川町駅付近の高台にある山手イタリア山庭園へ。ガーディナー設計の「外交官の家」とブラフ18番館を見学。京急横浜駅から浅草駅へ。東武浅草駅で「台東・墨田東京下町周遊きっぷ」2日券700円を購入。「東西めぐりん」に乗車。谷中霊園下で下車。

朝倉彫塑館を見学。谷中銀座の「肉のサトー」でメンチを食べる。

千駄木まで歩き、旧安田楠男邸庭園を見学。

日本医科大学まで歩き夏目漱石旧居を見学。北めぐりん(浅草回り)を利用して清川にある宿へ。

6/29(日)。東武下町きっぷ2日目。浅草駅からスカイツリー駅で下車。噴水の出ていない広場を見学。北千住駅から折り返して鐘ヶ淵駅で下車。すみだ百景北西部ルートに乗車。鳩の街通り商店街入口で下車。

幸田露伴旧居蝸牛庵跡を見学。見番通り入口で下車。

長命寺桜餅と言問団子を喫食。1280円。押上駅から曳舟・亀戸駅を折り返して押上駅へ。すみだ百景南部ルートに乗車。刀剣博物館で下車。

旧安田庭園、東京都慰霊堂、東京都復興記念館を見学。押上駅へ戻り、浅草駅へ。待乳山聖天を見学。16時過ぎ、新橋の宿へ向かう。

6/30(月)。東武浅草駅から伊勢崎線に乗車。館林、太田経由で相老駅へ。障害者割引で620円。 

わたらせ渓谷鉄道で間藤駅へ。障害者割引で540円。間藤駅から13時32分発の日光市営バスで東武日光駅へ。障害者割引で580円。東武日光駅から浅草駅まで。障害者割引で700円。運賃合計、2440円。新橋の宿へ。

7/1(火)。6時10分頃新橋駅からJR東海道線経由で名古屋駅へ向かう。沼津駅で3分の乗換えに間に合わなかった。清水駅で下車、新清水駅から静岡鉄道で新静岡駅へ。障害者割引で180円。静岡駅で乗車し、掛川駅で下車。

天竜浜名湖鉄道に乗り換えて、新所原駅まで。障害者割引で810円。新所原駅から豊橋駅乗換えで金山駅に15時45分頃着いて大曽根駅へ向かった。


青春18切符 東京の桜見学と近郊の路線見学③靖国神社の桜標本木 新京成電鉄の最終日

2025年04月09日 08時29分24秒 | 東京都

靖国神社のソメイヨシノ標本木。

2025年3月31日(月)。

早朝から、目黒川、皇居乾通りの桜を見たあと、乾門からそのまま千鳥ヶ淵ボート場方面へ歩き、靖国通りに至ると、次の目標である西近くの靖国神社のソメイヨシノ標本木まではわずかな距離だった。10時30分を過ぎ、靖国神社も参拝客や桜見物の客で混雑していた。

入口の案内所で標本木の位置を尋ねると、境内の鳥居と「神門」をくぐってすぐ右側にあるという。

広大な参道を進んで、第2鳥居と神門をくぐると、右側の桜の群れ一つに人だかりがあり、すぐわかった。テレビで見るような木柵が廻らされており、感慨深かった。

靖国神社のソメイヨシノ標本木。「能楽堂」横にある。

開花・満開を観測する対象を「標本木」と言う。1966年から靖国神社の桜を観測するようになった。それ以前は、気象庁構内に植えてあった桜の木で観測していた。都内の桜の標本木は当初、千代田区竹平町(現在の一ツ橋)にあった気象庁の庁舎内に存在した。同庁が1964(昭和39)年に千代田区大手町へ移転したことに伴い、標本木を変更した。庁舎から遠くなく、土地開発などの影響が少なく、長期間観測ができる靖国神社の桜が標本木に選ばれた。

現在、気象庁は虎ノ門、東京管区気象台は清瀬市にそれぞれ移転している。

靖国神社によると、現在の樹齢は不明だが、標本木に選定時点ですでに成木だったとみられる。桜は老木になると、花の咲く時期が若い頃に比べ、わずかに早くなる傾向がある。標本木の選定から50年以上たつが、神社では根元の土壌を柔らかくしたり、割った竹を埋めて通気性と通水性を確保したりすることで樹勢回復に努めているという。

子爵品川弥二郎像と「九段の常燈明台」。

靖国神社の標本木見学後、靖国通りを下って武道館を眺めながらメトロの九段下駅へ向かった

品川弥二郎の銅像は、九段南二丁目2、九段坂・牛ケ淵のお濠沿いの九段坂公園内にある。上野の西郷隆盛像や皇居前の楠木正成像の制作で知られる高村光雲の監督で制作された。原型作者は木山白雲、鋳造者は平塚駒次郎、建設者は西郷従道他2845名とされている。設置は1907(明治40)年とされる。

品川弥二郎長州藩足軽、品川弥市右衛門の長男として生まれた。15歳で松下村塾に入門。その後、長州藩士として尊皇攘夷運動で活躍。京都で倒幕運動に奔走した。

維新後、明治3年(1870)戦争視察の命令で欧州に派遣。ついで留学を希望し、ロンドンに留まった。その後も軍事を学ぶため兵部省からドイツに派遣され、次第に政治や経済に注目するようになった。

駐独公使、農商務大輔(次官)などを歴任。明治17年(1884)子爵に。明治24年(1891)年第一次松方内閣の内務大臣となり、松方の命で強力な選挙干渉を行い引責辞任を余儀なくされた。

 晩年は、吉田松陰の遺志を継いで京都に尊攘堂を創設し、勤王志士の霊を祀るとともに、志士の史料を集めた。

「九段の常燈明台」と武道館。

「九段の常燈明台」は正式には高燈籠と言い、明治期の文明開化の一環として、1871年(明治4年)に建築された。

高さは約17m、基壇・燈塔・塔室・屋根・冠蓋・風見・避雷針の各部から構成されている。基壇・燈塔廻縁(台座部分)は方形、燈塔・塔室・屋根はそれぞれ円筒八角形である。基壇は袴状で、表面は全国の名石をセメントで固めて築いたといわれ、頂きには切石がめぐらされている。

燈塔廻縁は円弧状形の持送り石モルタル仕上げで、燈塔自体は八角円で整層切石積み、内部は空洞、石積み上部には燈塔廻縁と同仕上げの塔室廻縁が載っており、塔室窓台の石が組まれている。

 設計者などについての詳細は不明だが、下部基壇は自然石乱石積みで組む袴状の日本的な様式、上部は八角円筒の西洋式という、いわば和洋折衷の様式は、幕末から明治初期にかけて流行した。

初めは靖国神社前偕行社の構内に築造されたが、道路の新設などの理由から、1930年(昭和5年)に現在の場所に移された。 当時は九段坂上の急斜面に沿った高台で見晴らしが良く、品川沖やはるか遠くの房総半島からも灯りが見えたとされる。

『東京名所図会』の中には、「常燈明台は有名なるものにして、九段の坂の上、偕行社構内の南角にあり、種々の丸石をセメントを以て積み上げ上を角石にて畳み回覧を施し、最上に四面ガラスを以て鎖せる室を設け、内に灯器を備ふ、最頂には、東西南北を示せる敷か指鍼を附せり、毎夜必ず点灯す、遠く之を望むに大星の如し、故に品海、暗夜の標ぼうとなり居りという。」と書かれている。

 小林清親の「九段坂五月夜」など九段坂を題材とした、明治・大正期の錦絵、写真、絵画には必ずと言っていい程この常燈明台が描かれた。

 周囲に高層ビルが建ち海が見えなくなった今でも、九段坂を上って千鳥ヶ淵へと続く北の丸公園入口や旧江戸城田安門をライトアップするかのように点灯する燈台の灯りは、幻想的な空間を演出している。

新京成電鉄。松戸駅。

12時30分頃、JR松戸駅に着き、隣接する新京成電鉄松戸駅に着いた。新京成電鉄には1970年前後に兄一家が西船橋に住んでいたころに一度乗車してみたことがある。「滝不動駅」の名前が、当時新聞広告で宣伝されていた日本不動産銀行のワリフドーと似ていたからである。畑地帯の中をのんびり走る路線であった。今回乗車してみても、「滝不動駅」周辺は畑が多かった。

今回の旅行に先立ち、東京圏の私鉄の障害者割引やフリー乗車券を検索していると、新京成が3月31日に最終営業日となり、それまでは障害者半額割引であると知った。

新京成電鉄株式会社は、千葉県松戸市の松戸駅と習志野市の京成津田沼駅の間の路線を経営していた。1946(昭和21)年10月に京成電鉄の子会社として会社が設立され、1947年12月に新津田沼駅・薬園台駅間が営業開始された。1955年4月全線開業。2025年(令和7年)4月1日、親会社の京成電鉄に吸収合併されて消滅した。1990年5月31日以降、関東地方で唯一の準大手私鉄に分類されていた。

新京成。新津田沼駅。

乗り換えのJR津田沼駅までは予想より歩かされた。西船橋駅まで行き、乗ってみたかった武蔵野線に乗車し、終点の府中本町駅で途中下車した。

大國魂神社の鳥居。東京都府中市の府中本町駅前から。

15時40分頃。このあとJR南武線武蔵小杉で乗り換えて、新橋駅に向かった。17時30分に友人2人と待ち合わせていたからである。


青春18切符 東京の桜見学と近郊の路線見学②目黒川・皇居乾通り・千鳥ヶ淵の桜

2025年04月08日 08時55分00秒 | 東京都

目黒川の桜。目黒新橋から上流方向。

2025年3月31日(月)。

予報では、本日は曇り、翌日は雨である。JR目黒駅で下車。北口から西へ向かう。川へ向かって坂道が下っていた。目黒川に架かる目黒新橋に8時ごろ着いた。南アジア系の若者の集団がたむろしていた。

目黒川右岸を目黒区民センターまで歩いた。桜見物の人もちらほらいた。

上流方向。

目黒区民センター・ふれあい橋・田道広場公園。

下流方向。

ここから目黒川左岸を目黒新橋方面へ戻った。ジョギングしている日本人・欧米人が多い。

JR目黒駅へ戻り、東京駅丸の内北口から皇居坂下門へ向かった。

皇居坂下門。乾通り通り抜けの入場口。9時30分頃。

宮内庁庁舎前。

富士見櫓。

富士見多聞前。

 

道灌濠前。

桜と山吹。

乾門手前。蓮池。北桔橋門。

重文・旧近衛師団司令部庁舎。

明治43(1910)年3月竣工。東京国立近代美術館工芸館のときに見学した。

乾門から西へ歩いて千鳥ヶ淵方面へ。

首都高都心環状線。

千鳥ヶ淵緑道。代官町通り。

千鳥ヶ淵交差点手前から南方向。

千鳥ヶ淵墓苑入口交差点東の千鳥ヶ淵緑道入口。10時10分頃。

千鳥ヶ淵ボート場。

武道館付近。

このあと西近くの靖国神社サクラ標本木の見学へ向かった。

青春18切符 東京の桜見学と近郊の路線見学①新宿御苑 上野公園


青春18切符 東京の桜見学と近郊の路線見学①新宿御苑 上野公園

2025年04月07日 00時19分22秒 | 東京都

不忍池のライトアップされた桜。

2025年3月30日(日)。

2025年3月30日(日)から4月4日(金)まで東京の桜と近郊の鉄道路線を見学した。花粉症の時期は外出を避けていたが、最近は緩和されたことや2026年3月のJR値上げ、インフレで今後の旅行費用高騰必至なので計画した。最近話題だった青春18キップの改悪もありこれを利用することにした。24年12月初旬の段階で、皇居乾通りの桜の開催時期は未定だったが、23年・24年の開催時期から3月31日から4月2日までは共通すると考え、赤羽のカプセルホテルを予約した。

結果的に東京の桜満開は3月30日、春季皇居乾通り一般公開は3月29日から4月6日(日)だった。ほかの桜見物の場所は、千鳥ヶ淵、靖国神社標本木、上野公園、新宿御苑、目黒川を見ることにした。青春18キップの利用は5日連続利用12050円、1日当たり2410円であれば、結構まだ安い。そのかわり、1日2500円程度のJR乗車は必須である。大都市近郊区間内のみの利用区間は広いので、片道100㎞を超えても途中下車は前途無効となるが、詳細は分からないので近郊でもなるべく長距離乗ることを目指した。

また、雨天対策もあり、障害者無料となる科学博物館(古代DNA)・三の丸尚蔵館・東京芸大美術館(相国寺展)の特別展などもつまみ食いすることにした。

週間予報を見ると、30日・31日が雨が降らないので桜見学に多くを割くことにした。31日に、目黒川、皇居乾通り、千鳥ヶ淵、靖国神社へ行くことにした。30日は名古屋からの行程なので、新宿御苑、上野公園の夜桜とした。

5日間の連続切符なので4月3日に帰るつもりだったが、私鉄も視野に入れて、横浜で1泊追加して4月4日は京急横浜から三崎口まで乗車し、久里浜でJRに乗り換えた。名古屋まで障害者半額で3020円である。三島駅で途中下車して、伊豆箱根鉄道駿豆線の修善寺駅まで往復してしまったのは、「JR東海&16私鉄 乗り鉄☆たびきっぷ」での乗車を検討していたことを忘れてしまったためだ。

6日間の往復基本運賃は12,050円+3,020円の15,070円。宿泊は赤羽4泊10,000円+横浜1泊2,715円の12,715円で、運賃宿泊合計27,785円であった。これに私鉄運賃や食費がプラスされる。

ちなみに新京成電鉄は3月31日が最終営業日で、この日までは障害者半額であった。宇都宮のLTRも半額である。小湊鉄道と伊豆箱根鉄道駿豆線はワンデーフリー券を購入した。

新宿御苑。

2025年3月30日(日)。

当初、御殿場線を乗車する予定だったが、天気予報を見て、新宿御苑と上野公園の桜に時間を割くことにした。JR東海道線の藤沢で下り、神奈川県大和市の介護ホームにいる兄を見舞った。

JR千駄ヶ谷駅には16時30分頃に着いた。18時までなので、まだ入園する人も多い。安倍晋三の「桜を見る会」は大木戸門に近い北東部の八重桜を鑑賞するため4月中旬に開催されていたようだ。玉藻池周辺は立ち入り禁止区域になっている。事前にマップを見ると、中央より東側にサクラは多いので千駄ヶ谷門から入園は好都合だった。外国人は3割ほどだろうか。

タワービルは「NTTドコモ代々木ビル」で、「新宿のエンパイアステートビル」と呼ばれているという。

中央休憩所北の桜。

17時過ぎに出た。

18時過ぎに上野公園へ着いた。東京国立博物館方向。

不忍池の弁天堂方向へ向かった。

弁天堂から「桜ライトアップ」を通り抜ける。

京成上野駅方面へ向かう。

19時ごろJR上野駅から赤羽駅へ向かった。


東京都目黒区 菅刈公園②西郷従道邸旧地の池泉回遊式庭園

2025年01月26日 08時57分51秒 | 東京都

菅刈公園。旧西郷従道邸庭園(復元)。目黒区青葉台2丁目。

2025年1月6日(月)。

東南入口奥にある建物に展示室があり、自由に見学できる。この建物は、西郷従道(じゅうどう)邸の西洋館と一緒に建てられていた和館(書院)の跡地に建てられたという。建物の前には東都一の名園」とよばれていた西郷従道邸時代の池泉庭園の一部が復元整備されている。

このあたりは、江戸時代、「荒城の月」で知られる豊後(今の大分県)の岡(竹田)藩主、中川修理大夫(しゅりだいぶ)の抱(かかえ)屋敷であった。樹木がうっそうと茂り、池に三田用水から水を引くなど、林泉の美しさは近郊随一とうたわれた。その後、2万坪に及ぶこの屋敷は、明治維新のとき征韓論を主張して破れ、下野した兄隆盛のために、従道が手に入れたのである。

洋館・書院造りの和館などを配置した回遊式の庭園は、東京一の名庭園といわれ、名士が訪れることも多かった。

旧西郷従道邸庭園実測平面図 (重森三玲,1937) 出 典:日 本庭園史図鑑20

東京都目黒区・旧西郷従道邸庭園に関する造園生活史的研究

J-Stage 鹿野陽子 著 · 1998

東京都目黒区の旧西郷従道邸庭園は, 江戸期の庭園を前身として, 明治期の和洋折衷式庭園, 住宅地と変遷して現在に至っている。

本園は,(1) 東京の典型的な大名の庭園の変遷を辿ることができる事例であり,(2) 成立当初の地形の特色が比較的良好に残っている。(3) 江戸期から昭和初期までは別業的性格を持ち, 名所として半公共的価値を有する庭園であった。(4) 明治期には, 華族たちの社交の舞台として頻繁に利用され,(5) 庭園意匠や空間構成に明治期の欧化思潮が色濃く反映されていた。また.(6) 戦前には, 国の史蹟に指定された文化財でもあった。これらの特色によって, 本園は, 後世に継承されるべきランドスケープ遺産としての資質を有するものとみなされ得る。

明治期 の本園 の状況 は,明 治30(1897)年 の 「日本園 藝會 雑誌』第83号 に 「庭 園拝観記」 と して記録が残 され ている。

中央 にはジュンサイ等が繁茂する大 きな池があ り,庭 の北部 は丘 状 を呈 してい る。池 中 には 「亭」 が配 された島 と小島,そ の間に銅製の鶴像が点在す る半島が ある。

 和館 の座敷 は,人 像銅製噴水や雪見灯篭,小 島 と相対 し,こ れ らの奥手 には三段 の滝,そ の西 の沢上部 に四段 の滝組が築造 されて いる。

庭園東部 には,温 室 と芝生 の広場 があり,こ れ らを回遊 して丘 を上 ると本園 の最 も高 い台地状 の部分 に設 け られ た茅葺 きの茶亭 に至 る。

茶庭 には正 治元年(鎌 倉 時代)と 刻印 され た灯篭 が据 え られて いる。 茶庭 の北に本 園の水 源に当る箇所が あ り,「 目黒不 動 の滝 の如 き」高 さ一丈に及 ぶ大 爆布に出会 う…。

邸宅の正門か ら馬車 廻 しまでは,西 洋風 の並木道 が設 け られ,従道が欧州か ら持ち帰 った西洋美人像 な どが配置 されてお り,和館の座敷正面の人像銅 製噴水や温室 とあわせて これ らによ る庭 園構成 は,明 治期の欧化思潮 のあり様 が庭 園 とい う三次元の空間 に表 出 した もので あるといえ,和 洋の要 素を折衷 した庭園であ ったことが伺 える。

また,洋 館 のバル コニーか ら望む眺め は,精 緻 な技巧 を凝 らしたいわ ゆる庭園 的な景観で はな く,水 草の生 い茂 るおお らかな自然風 の池 を主 としたもので ある ことは,江 戸期 の描写 にみ られる この池泉 の風情 を継承 して いるといえる。 これ は,欧米 の農園経営 などに影響 を受けた従道 の,一 種 自然主義的 な景観 に対す る好 みが反映 した ものであ った とも推察 されよ う

菅刈公園。西入口付近から旧和館跡建物方向。

菅刈公園。北入口。

西郷山公園。北入口。

公園は、台地の端の斜面を利用して築かれているため、崖面には落差20mの人工の滝が懸かり、坂道の園路や展望台が整備されている。台地の上には伸びやかな芝生広場が広がっている。

展望台からは晴れた日には富士山も眺望できるという。

展望台方向へ向かうと、カメラ・マイクなどの撮影クルーと出演者の一団がいた。ドラマ「東京ラブストーリー」をはじめ、ドラマのロケの場として時々当公園が使われている。

なお、西郷山の雑木林は1932年から翌年にかけて行われた貰い子殺人の遺体遺棄現場となった。

新宿中村屋。中村屋純印度式カリー。2090円。Manna。

新宿に着いたころから小雨が降り出した。

中村屋サロン美術館。火曜日休館。

荻原守衛 女 Woman 1910(明治43)年 ブロンズ 高99㎝ 第4回文展(3等賞)

荻原守衛は、高村光太郎とともにロダンを日本へ紹介した最初の彫刻家とされるが、確かにこの作品に見られる上方へ伸びあがるようなポーズやそのモデリングにはロダンの作品を思わせるものがある。

しかし、そのようなロダンの形式的な模倣のみによってこの作品が成立しているわけではない。この像には、作者がひそかに思慕を寄せていた同郷の先輩の夫人相馬良(黒光)の存在が色濃く影を落としており、彼女に象徴される守衛にとっての普遍的な女性像がそこに表されていると解釈することができる。それはまた守衛が主張する内的生命をもった彫刻の具現化であり、むしろ彼がそのような確信をもつに至るプロセスでロダンの精神的影響を強く受けていたといえるであろう。

守衛の絶作となったこの作品は、山本安曇の手でブロンズに鋳造され、作者の死から半年後の第4回文展に出品されている。

日暮里舎人ライナー。

「ゆりかもめ」と同じ三菱重工製車両で、無人の運行システムも同じだった。

終点まで行き、折り返して西日暮里で乗り換えた。

これで予定した旅を終え、翌日自宅へ帰った。

東京都目黒区 菅刈公園①重文の西洋館・西郷従道邸旧地