新しい社会経済システムとしての21世紀社会主義 現代資本主義シリーズ;5(1)
長島誠一(東京経済大学名誉教授) 2024年 東京経済大学学術機関リポジトリ より
第2項 日本の医療制度の問題点
Ⅰ 日本医療の盲点―山梨大学病院の苦闘
地方の大学の学長島田眞路たちは山梨大学病院の新型コロナウィルス対応を踏まえながら、地方の大学病院の苦闘を通して日本の医療体制の諸問題を提起している。
新型コロナ感染者の受け入れ 県知事からのダイヤモンド・プリンセス号の感染者患者受け入れ要請を受けて、 2020年3月5・6日に受け入れ表明の会見を山梨大学病院は開いた。山梨大病院は「病院全体が一つのチーム」になって対応する態勢を3日がかりで何とか作り、計6人を受け入れた。3月31日に乳児の陽性が判明して、想像より広くウィルスが根深く蔓延していることが分かった。院内感染を防ぐために47人の医療者の第一線から14日間離脱させたが、乳児の感染を診断できたのは医療者の普段からのリスク感性が高かったおかげだ、と島田は考えた。山梨大学病院が医療崩壊を回避できたのは院内のPCR検査体制に負っていたが、全国的にPCR検査体制全体の構築が肝要であった。
PCR 検査の不十分な体制 政府と厚労省は医療崩壊を恐れて PCR 検査を制限したが、日本の PCR 検査実施件数は途上国レベル並みに少なかった。医療の質の指標が日本と近い5カ国(イスラエル、オーストラリア、カタール、シンガポール、ニュージーランド)の新型コロナ死亡率は、日本の 1.6%の半分程度であった。日本の死亡率が高いのは、母数となる PCR 陽性者が低く見積もられている可能性が高い。4月11日時点で5カ国中の死亡率が最も低いカタールの0.2%を基準にすると陽性者は4万9,500人に、最も高いイスラエルとオーストラリアの0.9%を基準にしても陽性者は1万1,000人に及ぶのに、日本は約 6,500 人にすぎなかった。日本では検査未実施のために見過ごされた恐れが強く示唆され、見過ごされた陽性者のほかにも他人に感染させる恐れがある無症候者も相当含まれていただろうから、感染者の隔離が不十分となり、街中での感染拡大は急速に広まったと推測できる。
感染患者が病院に殺到する以前に院内感染が拡大し、医療崩壊の危機に見舞われていた。PCR 検査は 3 月 24 日までは主として地方衛生研究所・保健所が担っていたが、それ以降の検査に民間検査会社が参加するようになった。しかし、検査推進のリーダーシップが欠如していた。日本の検査体制に疑義をはさむ見解や報道が目立つようになり、コロナ検査スポットが設置され(新宿区、4 月 15 日)、医師会や病院協会などの医療関係団体が集合外来・集合検査場を開設した(横須賀市、4 月 17 日)。同時に検査体制の制度化が急務となり民間検査会社と大学病院が担い手として期待され、山梨大病院はドライブスルー検査をした。
専門家会議副議長・尾身茂は参議院予算委員会で、「今の段階では 10~20 倍なのかは誰もわからない」と答弁していたが、欧米より日本の死亡者数が少ないのは西太平洋という地域性だったといえる。しかし政府の自粛要請や行動制限は、日本経済に甚大な損害をもたらした。緩やかな段階的なコロナ感染対策はかえって感染を結果的に拡大させてしまい、ニュージーランドのロックダウンや台湾の隔離徹底のような強固な抜本的対策が、経済への打撃を少なくすることに成功したといえる。しかし緊急事態宣言が大都市を除いて解除されるまで検査は不十分な状況が続いた。
大学病院で PCR 検査が進まなかった背景には「縦割れ行政」と「大学側の費用負担問題」があるが、再び増えている陽性者は、大都市での非常事態宣言緩和の拙速、経済回復と感染対策との八つ裂き状態の中での混迷する政府のコロナ対策を物語っている。その典型的な誤りは、感染拡大中に「Go To トラベル事業」を進めたことである。先の見えないコロナとの闘いの中ではあるが、治療薬とワクチンの開発が急務である。
Ⅱ 地方国立大学病院と地方医療の苦境
臨床研修医制度の問題 人的資源と運営資金の不足が国立大学と大学病院を痛めつくしている。国立の中でも地方の国立大学とその大学病院が疲弊している。疲弊の原因には国立大学法人化(2004 年)による毎年運営交付金の1%削減や、「新臨床研修制度」(2004年)や「日本専門医機構」(2014年)の問題などが折り重なっているし、国立大学医学部と大学病院が抱える問題の核心には中央官庁の間での確執がある。山梨大学病院関係者たちは、「新臨床研修制度」と「新専門医制度」が地方の大学病院そして地域医療の疲弊の原点を担っていると考えている。
1946 年に作られた「実地修練制度」(インターン)は 1968 年に廃止され臨床研修制度が創設されたが(1968 年)、臨床研修医は特定の病院や都市部の病院に殺到したために新医師臨床研修制度が創設され、臨床研修医を臨床病院に割り当てる「研修医マッチング」が作られた。紆余曲折の経過を経ながら、① 大学病院からの臨床研修医がほかの医療機関に流出し、② 空白を埋めるための大学病院の引き抜きによって、地域医療機関に空白が生じ、③ 研修終了の臨床研修医は大学病院に戻らずに、大都市の大学以外の病院で働き続けるようになってしまった。その結果、若手の人材を制限され続けてきた地方大学医学部は年々疲弊してきた。
日本専門医機構の問題 一定の修練を積んだ医師の資格認定をする「専門医」をそれぞれの専門領域の学会が認定してきたが、権益を拡大しようと厚生労働省は学会を排除して「日本専門医機構」を作った。発足当時の機構は日本医師会・日本医学会連合・全国医学部長病院長会議の3者のみが社員であり、学会は完全に排除されていた。社員総会では社員の資格や財務をめぐって理事会側と学会側が争ってきたが、その後医師会からの学会の軽視と地域の医療への影響を無視したことへの反発がでたりしたが、理事改選で学会軽視の態度がさらに露呈し、厚生労働省の影がはっきりと見えはじめた。新専門医制度実施の延期が決まったり、新体制への胎動がはじまったが、今後の進展次第であるのが現状である。
地域医療を再生するために地方国立大学を地域医療の中核として活用すべきであり、臨床医偏重のデメリットが医学部の研究領域を衰退させているから、中央官庁の文科省と厚労省の確執や「縦割り行政」の弊害を除去して、医師の臨床と研究と教育のバランスが歪化させられている現状を改革してゆかなければならない。
Ⅲ 医療逼迫の背景と患者の訴え
背景 日本の医療体制では都道府県は民間病院に患者受け入れの指示・命令ができないうえ、医療機関相互の連携が脆弱で、病院の数は多いが規模はそれほど大きくないから、大規模感染症に対応していない。受け入れる病院は殺到する感染者の対応に疲弊していた。院内クラスターが発生したし、院内消毒には新たなコストが伴うのに、財政支援はクラスターや評判悪化は対象外であり、院内感染リスクをマネジメントできる病院は少なく、受け入れ病院にリスクが生じた。医師会の動きは良くなかったし、行政側も医療側も危機感が乏しく、ワクチン接種開始も遅かった。こうした医療逼迫に直面して、行政の指示や医療そのものに対する国民の信頼感喪失の危機にあった。
医療現場や保健所からの訴え 医療逼迫状態に陥った「重症病棟」の担当医師たちは、絶望に近い状態に陥っていた。最悪シナリオを想定し対応するのが危機管理のあるべき姿であり、コロナ医療現場の声に耳を傾けよと訴えている。また苦境に追い込まれた保健所からは、業務の優先順位を定めなければ保健所体制が崩壊するとの悲鳴が上がった。保健所の最重要な役割は「感染症や食中毒の拡大防止」であるのに、流れが逆になり医療機関より保健所が前線に立つはめになった。地域差を考慮する必要があり、「2 類相当」だから出来ることもあるし、民間病院のほうが「コロナ治療後の患者の受け入れ」はやりやすい、などの声もあった。