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Daryl Hall & John Oates - Private Eyes
ダリル・ホール&ジョン・オーツ「プライベート・アイズ」
2018年7月15日TBS BS 「SONG TO SOUL」。2015.07.09の再放送を視た。
ホール&オーツの代表曲はやはり「プライベート・アイズ」だろう。1981年秋発売。MTV時代初期の名曲。
当時MTVは見られなかったが、ベストヒットUSA は必ず見ていた。「キッス・オン・マイ・リスト」 (80年/1位)でホール&オーツを知ったが、それほどの曲とは思わなかった。1981年に「プライベート・アイズ」がヒットした。ビデオの印象はあまり感心しなかった。その後、「アイ・キャント・ゴー・フォー・ザット」 もすぐに出て、安定した人気バンドとしての印象は定着した。
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Kiss on My Listキッス・オン・マイ・リスト (1981年4月11日付〜4月25日付、3週連続全米No.1)。
Private Eyesプライベート・アイズ (1981年11月7日付〜11月14日付、2週連続全米No.1)。
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I Can't Go For Thatアイ・キャント・ゴー・フォー・ザット (1982年1月30日付、全米No.1。)
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Maneater:マンイーター (1982年12月18日付〜1983年1月8日付、4週連続全米No.1)。
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Out of Touch:アウト・オブ・タッチ (1984年12月8日付〜12月15日付、2週連続全米No.1)。
これらが、名曲だろう。
80年代を通じ、ホール&オーツの特集などで聴いているうちに「プライベート・アイズ」 だけが、耳に残るようになった。90年ごろ、関連会社の広告代理店の人に名古屋栄の「モンチッチ」というカラオケ店へ誘われたとき、「プライベート・アイズ」が目に留まり、歌ってみた。石原裕次郎ばかり歌うその人からは、何その歌といわれた。もっとも、「プライベート・アイズ」はレンタルもしたことがなく、歌詞は初めて見たのでまともに歌えなかった。しかし、数年後に若くして亡くなったその人と一緒に記憶に残る歌なのである。
「SONG TO SOUL」。「プライベート・アイズ」。
キャッチーなリズムとメロディー。ギタリストのG・E・スミスは「収録時に全員がヒットを確信した。」ポップミュージックに必要な要素をすべて持つ曲。MTV時代のポップロックスターの姿を示した。
作曲者はソングライターのウォーレン・パッシュ。カナダ出身のミュージシャン。1980年バンド時代に楽屋にダリルとジャナ・アレンが尋ねてきて、ダリルに二人で曲を作ろうと誘われた。
その後の1年間、抜群のメロディ感覚を持つダリルからキャッチーなフレーズ、聴き手をつかむフックの作り方を教えてもらった。
1981年1月26日、パッシュがロサンゼルス市内をドライブ中に基になる詩とメロディーが浮かぶ。偶然、映画館の看板で映画「プライベート・アイズ」を見て修正を加えた。
しばらくして、NYからLAに遊に来たジャナ・アレンが、何か曲はないかというので、ピアノ伴奏で聴かせると。彼女はレコード制作中で、この曲を使うといった。その後、ジャナから電話があり「私は使わない。」、パッシュは「いまいちだったよね」。「違う。ダリルがホール&オーツ用に使うことになった」。パッシュな仰天して「そんなこと頼んでない。嫌われて二度と一緒に曲は作れない。僕はもう終わりだ」と口走った。
パッシュのピアノ伴奏でジャナが歌うカセット音源が彼女から番組に提供されたが、出来上がりはほとんど同じに聞こえた。
「プライベート・アイズ」の作曲者はダリル・ホール、ウォーレン・パッシュ、サラ・アレン、ジャナ・アレンの4人。ダリルによると、パッシュとジャナが曲の大半を作り、ダリルがコードをアレンジ、ダリルとサラが詩を加えた。
NYのエレクトリックク・レディー・スタジオでホール&オーツは収録に取り掛かった。緊張していた新入りドラマーにダリルは優しく接してくれた辛抱強い人という印象を持った。
ダリルが昼に来てピアノを伴奏に曲を紹介した。メロディーもコードも出来ていた。収録は1テイクという短時間で終了した。ギターはロックぽいフレーズを引いた。シンセサイザー担当は「手を叩くような音」は「スネアの2打を拍手音に重ねてパシっとした音にしました。」
パッシュは曲を初めて聴いた時、「僕のせいでホール&オーツのキャリアは終わったと思いました。全部がダメに聞こえました。オリジナルとは全然違って聴こえたんです。アレンジを含めて、それまでの水準以下に思えました。」とパニックになった。「しかし、何度か聞き返すと良い曲と思えてきました」と語る。
ダリル・ホールDaryl Hall は1948年生まれ。フィラデルフィア近郊出身 、ドイツ系アメリカ人。
少年時代にR&Bやソウルに関わった経験から、アフリカ系やヒスパニックなど人種を問わずにフレンドリーに接しており、幅広い分野の交流関係を持っている。フィラデルフィアサウンド特にテンプテーションズに傾倒。
ジョン・オーツJohn Oates は1949年生まれ、ニューヨーク出身。父方の祖父はアイルランド系イギリス人移民、祖母はモロッコ系(ムーア人)スペイン人移民 。母方の祖父母はイタリア人(シチリア系)移民で、母はイタリア系人。R&Bが好きだが、フォークロック的な色合いも持つ。
二人は1967年フィラデルフィアのバンドコンペ会場で最初に出合う。 テンプル大学入学後、二人のR&B指向が一致し、バンド活動をはじめる。1972年、Atlanticレーベルからデビュー。1975年RCAに移籍、移籍第1弾アルバム「サラ・スマイル」を発表。シングル「サラ・スマイル」がスマッシュ・ヒット 。その後もRich Girlリッチ・ガール(1977年3月26日付〜4月2日付、2週連続全米No.1)がヒット。
1977年からソウルを基本にロック色を強めたが成功しなかった。デビッド・フォスターをプロデデューサーに迎える。1980年「キッス・オン・マイ・リスト」で2度目のブレイク 。
エヴリタイム・ユー・ゴー・アウェイEverytime You Go Awayはダリル・ホールの曲 で1981年、アルバム・モダン・ヴォイスに収録したが、シングルにしなかった。1985年にイギリスの歌手、ポール・ヤング がカバーし、同年7月27日付のチャートで全米No.1を獲得した名曲。
イーグルスの楽曲「ニュー・キッド・イン・タウンNew Kid in Town」(1976年) は、ホール&オーツをモデルにした、と後にグレン・フライが語っている。