花巻市博物館。花巻市高松。
2023年6月10日(土)。
熊堂古墳群。
花巻市上根子にある熊堂古墳群は、東北地方北部の群集墳(末期古墳群)を代表する遺跡であり、東北の古代史の解明に欠かせない重要な遺跡の一つである。その出土品について大正時代の学術誌にも取り上げられてきた。特にも和同開珎、銙帯(かたい)、金具、蕨手刀の他大量の玉類や装身具等の出土品は、蝦夷(えみし)と律令国家との交流を知る重要な資料とされ、この地が北の文化と近畿地方を中心とする中央の文化の交流の接点となる重要な地域であることが想定されている。
熊堂古墳群は、豊沢川によって開析された中位河岸段丘(二枚橋段丘)の標高約96mの南側縁辺部に立地する。熊野神社を中心にかつては数十基が存在したといわれ、四十八塚と通称された。現在は花巻―鉛線の新井製作所中庭、熊野神社、一本杉を中心に約15基が確認されており、時期は7世紀末―8世紀と考えられる。
発掘調査は昭和61年(1986)から毎年続けられ、11基の調査が行われた。形状はいずれも円墳で、規模の最大は周湟外径約15m・内径12m、主体部長軸約3m・短軸約2m。
内黒土器。熊堂古墳群出土。
黒色土器は土師器の内面あるいは内外面を箆でみがき炭素粒を吸着させ黒色とした土器である。炭素の吸着の仕方によって二種に分けられる。一つは内面のみに炭素を吸着させた内黒土器であり、他方は内外両面にいぶし焼きによって炭素を吸着させたものである。
内黒土器は東日本の6世紀代の鬼高式土器にすでにみられ、それが西日本に伝えられた。その時期は平城宮出土品からみて8世紀の後半代であり、その後10世紀代に内黒から内外両面の黒色土器に変化し、さらに11世紀に瓦器に転化したといわれる。内黒から両面黒色への変化は土師器窯の出現によって可能となったとみられている。
黒色土器出現の背景には須恵器生産の衰退があったことも指摘されている。黒色土器の器形は須恵器を模倣した椀が最も多く、次いで皿、鉢などがある。
水鳥戯画線刻文土器。平安時代後期。庫裏(くり)遺跡出土。
庫理遺跡は、花巻市宮野目田力地内にある平安時代後期ごろの遺跡です。
須恵器長頸瓶は、遺跡内で発見された竪穴住居内から一括して出土しました。多くが祭祀用とされる須恵器長頸瓶では珍しい出土例です。
さらに別の竪穴住居のカマド煙道(煙を出すための穴)から出土した土器破片には、水鳥や小動物(魚?)、不思議な文様が線刻されています。このような文様が残る古代の土器の例としては全国的にも珍しいといわれています。岩手県内での類例が見られず、また、その他の部分の破片が発見されなかったため、この土器の全体像はいまだにわかっていません。