ひろば 研究室別室

川崎から、徒然なるままに。 行政法、租税法、財政法、政治、経済、鉄道などを論じ、ジャズ、クラシック、街歩きを愛する。

2003年5月31日、佐伯城址など

2021年04月14日 00時14分15秒 | 旅行記

 久しぶりに、私のサイト「川崎高津公法研究室」に設けていた「待合室」に掲載したものを再掲載します。今回は、第60回として2003年8月2日〜11日に掲載した「佐伯城址など」です。平成の市町村合併による新しい佐伯市が成立する前の話ですが、修正などをしておりませんので御注意ください。

 

 現在、大分県内で、市町村合併に向けての準備が最も進んでいる佐伯市および南海部郡。その中心となるのは、やはり佐伯市です。今回は、その佐伯市から、中心部の風景を紹介いたします。

 2003年5月31日、午前中に宇目町のととろの里、そして木浦を訪れた後、この「待合室」でも取り上げた重岡駅、そして直川村を経由して、佐伯市に出ました。合併が進めば、宇目町も新しい佐伯市の一部となるのですが、木浦から佐伯市の中心部、大手前までは、実に40kmを超えます。首都圏などにお住まいの方は、この距離について実感が湧かないかもしれませんが、東急田園都市線全線(渋谷~中央林間)の営業キロ程が31.5kmですから、どれほどの長さかおわかりいただけるでしょう。ちなみに、西鉄天神大牟田線の西鉄福岡駅からであれば、西鉄久留米の二つ先、試験場前駅までの営業キロ程が40.1kmです(特急停車駅の大善寺までは45.1km)。どちらにしても、途中に幾つの市町村を経由するでしょうか。

 勿論、木浦から重岡までは鉄道路線がありませんし、バスの本数も多くありません。急な坂道、細い道などを何度となく進まなければなりません。

 それはともあれ、佐伯市の中心部に到着しました。佐伯駅からは少し離れています。

 大手前の交差点付近を脇に入ると、佐伯城址があります。その入口付近にある佐伯小学校です。御覧のように、校舎は近代風ですが、門は古風で、しかも立派なつくりです。詳しい歴史などを調べていませんのでよくわかりませんが、佐伯城址のすぐそばということで、昔はおそらく武家屋敷か何かだったのでしょう。もっとも、よく見ると扉は今風の構造です。

さて、佐伯城址です。これは三ノ丸の跡です。この写真の右側に、武家屋敷などが続きます。奥のほうに見える建物は佐伯文化会館です。

 この写真を御覧になって「?」と思われるかもしれません。実は、佐伯市はスーパーマーケット寿屋の発祥の地です。1947年に小売店としてスタートした寿屋は、1957年に株式会社となり、1968年に本部が、1971年には本店が熊本市に移転しました。その後は九州内では大手のスーパーマーケットとして発展したのですが、1999年に、上場(福岡証券取引所および大阪証券取引所第一部)後の初の赤字決算を計上、2001年2月期の決算では連結で60億円以上の債務超過、同年8月中間決算では70億円以上の債務超過となりました。そのため、2001年12月、寿屋は民事再生法の適用を熊本地方裁判所に申請しました。そして、昨年の2月には、全店舗を一時閉鎖しています。

 大分県内にも、主要な都市を中心に寿屋の店舗や、系列のくらし館の店舗が展開されていました。しかし、2002年2月、やはり県内の全ての店舗が閉鎖されました。その後は、大分市内などで別の経営体(トキハインダストリーなど)によって営業が再開される店舗も増えたのですが、中津、そして発祥の地である佐伯などでは、今も閉鎖されたままです。

 なお、寿屋は、昨年の12月4日、民事再生計画の認可決定を受けて新会社として再スタートを切り、今年の5月に社名をカリーノに変更しています。本社は熊本市に置かれています。

 (以上は、熊本日日新聞社のホームページに掲載されている記事を参照しました。)


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