最初にお断りです。今回は、私の「川崎高津公法研究室」に掲載していた「待合室」の、次の記事の再掲載です。
第396回:「東急田園都市線途中下車(7) 宮崎台駅」〔2010年10月28日撮影(但し、1枚のみ、2009年10月8日、自由が丘駅にて撮影)。2010年12月26日〜2011年1月3日2掲載)
誤字脱字を除き、内容を修正しておりません。したがいまして、後の事情変更なども一切反映しておりません。御注意ください。
田園都市線を初めとして、東急全線の全駅(1968年以降に存在した駅です)を利用したことがありますが、やはり頻度の差はあるものです。渋谷、横浜、武蔵小杉、溝の口などは、それこそ何度利用したか覚えていないほど多用していますが、一度しか利用したことのない駅もあります。また、自動車でなら何度も通っているのに電車で行くことがあまりないという所もあります。今回、田園都市線途中下車シリーズの第7弾として取り上げるのは、私にとってはあまり利用する機会がない駅で、しかも、自動車であれば何度も近くを通っているという所です。
朝、何となく宮崎台に行きたくなり、田園都市線の下り電車に乗りました。多摩田園都市の入り口である梶が谷を出てしばらくすると、高津区から宮前区に入ります。そして宮崎台駅に到着します。急行と準急は通過しますが、ここには電車とバスの博物館があります。また、上の写真でもおわかりと思いますが、マンションなどが多い地域です。
川崎市が政令指定都市になったのは1972(昭和47)年のことで、当時は川崎区、幸区、中原区、高津区、多摩区の5区が置かれました。宮崎台駅がある宮前区は高津区の一部でした。1982(昭和57)年、高津区から宮前区が分区します。田園都市線の駅のうち、宮崎台、宮前平および鷺沼は、開業時は高津区にありましたが、分区によって宮前区にある駅となっています。宮前区役所は宮前平駅の近くにありますが、商業などの中心は急行および準急の停車駅である鷺沼にあります。
この宮前区という区名ですが、この駅の読み方と関係があります。1889(明治22)年、大日本帝国憲法が公布された年、現在の宮前区の地域に宮前村と向丘村が成立しました。それぞれ、村の名前は「みやさき」、「むかいがおか」です。つまり、宮前と書いて「みやさき」と読ませた訳です。一方、馬絹(まぎぬ)には宮ノ前という字があり、こちらは「みやのまえ」と読みます。そこで、区名を制定する際に、漢字のほうはかつて存在した村の名前を採用し、読み方のほうは基本的に字のほうを採用しています。宮崎は、本来であれば「みやさき」と読むべきなのかもしれませんが、現在は「みやざき」となっています。
電車とバスの博物館は、かつて高津駅の高架下にありました。入館料が大人も子供も10円という安さで、それでいて結構長い時間遊ぶことができました。しかし、田園都市線の二子玉川~溝の口の複々線化工事に伴って一時閉館し、2003年に宮崎台駅のそばに移転したのでした。現在の入館料は大人が100円、子供が50円です。高津駅の高架下に保存されていたデハ200形204号、モハ510形510号(後のデハ3450形)が、現在は宮崎台にあるという訳です。また、デハ3450形の3456号の一部がカットされて保存されています。
駅の改札口を出ると、すぐに電車とバスの博物館への通路があります。宮崎台駅は坂の途中にあるような場所ですので、梶が谷側は高架となっており、その下に博物館があるのです。少し急な気もしますが、バリアフリーを考慮していると思われるスロープを下っていきます。右側には写真と解説文のパネルが貼られています。これをじっくり見るのも面白いかもしれません。
大井町~溝ノ口が大井町線であった時代、二子橋では道路の上を電車が走っていました。その時代の写真です。その右側には、戦前に東横線を走っていたガソリンカーの写真もあります。
入り口のすぐそばに踏切装置が置かれています。田園都市線には、現在、どこにも踏切がないので、ここから警報機の音が鳴るのも不思議な気がします。この踏切装置の警報機は、田園都市線の電車が接近すると鳴り出します。
電車とバスの博物館を出て、坂を登って再び駅に向かいます。奥のほうに電車とバスの博物館の入り口があります。1回入館料を払うと、その日のうちであれば何度でも入ることができるという話です。
梶が谷方面に窪地のような場所があります。旧国道246号線は、高津区末長にある梶ヶ谷交差点(かつての笹の原交差点)で新道と分かれ、宮前生活環境事務所の辺りから長坂を下り、馬絹交差点の先で再び新道と合流します。途中に長坂下交差点があり、そこが窪地のようになっているのです。この交差点から土橋方面に伸びる道があり、宮崎台駅の近くを通ります。駅に向かうには、この坂を登らなければなりません。
左側にある駅のほうへ登っていきます。まっすぐ進むと田園都市線の上を通る道路との交差点があり、そこからすぐに住居表示が宮前平となります。有名な金属バット殺人事件の現場は、宮前平駅よりも宮崎台駅からのほうが近いそうです。
宮崎台駅の北口に出ました。坂の途中にあるのがおわかりだと思います。反対側にバスターミナルがあります。ホームの梶が谷側は高架なのですが、宮前平側は掘割の構造になっています。
宮崎台駅の2番線ホームに立っています。おそらく駅の係員のための出入り口でしょう。坂の感じがおわかりになるでしょうか。
この駅が開業したのは1966(昭和41)年で、溝の口~長津田の開業と同時です。それ以来、建物が増え、大きく変化しました。かつて、この近くに陸軍の駐屯地があったということも、根っからの地元民などでないと知らない話になりつつあるのでしょう。分区してからもうじき30年、宮前区の人口は高津区より多く、一時期は川崎区に次いで2番目に多い区でした。
1番線ホームを9000系9003Fの5両編成が通過していきました。回送です。大井町線での朝の運用を終えて、鷺沼(車庫があります)か長津田(検車区があります)へ向かうのでしょう。
9000系の多くは現在でも黒地白字の方向幕車ですが、一部はLED化しています。また、最初から5両編成の9007Fを除き、8両編成で東横線で運用されてきました。しかし、2009年および2010年に、一部の編成が大井町線に転属しています。9003Fもその一つで、8両から5両になっています。残る3両は廃車になったのでしょう。これは、東横線で5050系が増備されていることに伴うもので、2012年に予定されている東京メトロ副都心線との相互乗り入れに備えたものでしょう(ホームドアの位置との関係もあるのでしょうか)。また、大井町線で運用される車両(新6000系、8090系、8500系、8590系、9000系)のほとんどは、パンタグラフがシングルアーム化されています(新6000系は当初からです)が、9003Fはまだ東横線時代のままです。
上の写真のみ、2009年10月に東横線自由が丘駅5番線で撮影しました。同じ9003Fのクハ9103です。8両編成で、特急、通勤特急、急行、各停のいずれにも使われていました。そもそも東急には特急専用車がありません(特急料金も不要です)。
9000系は、元々、帝都高速度交通営団(現在の東京メトロ)南北線との相互乗り入れを前提として製造されました。様々な事情があって、結局、南北線および都営三田線との乗り入れには使用されなかったのですが、南北線の9000系、三田線の6300系も、初期に製造された車両は、連結部近くにあるクロスシートなど、東急9000系と共通する設計がなされています。
さて、東横線から田園都市線に戻り、次はどこを取り上げようか、と考えています。御参考までに、田園都市線の各駅と所在市区を記しておきましょう。なお、赤字の駅は急行・準急停車駅、青字の駅は準急停車駅です。
渋谷区:渋谷
世田谷区:池尻大橋、三軒茶屋、駒沢大学、桜新町、用賀、二子玉川
川崎市高津区:二子新地、高津、溝の口、梶が谷
川崎市宮前区:宮崎台、宮前平、鷺沼
横浜市青葉区:たまプラーザ、あざみ野、江田、市が尾、藤が丘、青葉台、田奈
横浜市緑区:長津田
町田市:つくし野、すずかけ台、南町田(土休日のみ急行停車。準急は平日の朝、上りのみ)
大和市:つきみ野、中央林間
〔付記〕以上は最初に掲載した記事を原文のまま再掲載したものですが、2019年10月1日から急行・準急停車駅が変わり、南町田駅の名称も変わりましたので、記しておきます。次のとおりです。
渋谷区:渋谷
世田谷区:池尻大橋、三軒茶屋、駒沢大学、桜新町、用賀、二子玉川
川崎市高津区:二子新地、高津、溝の口、梶が谷
川崎市宮前区:宮崎台、宮前平、鷺沼
横浜市青葉区:たまプラーザ、あざみ野、江田、市が尾、藤が丘、青葉台、田奈
横浜市緑区:長津田
町田市:つくし野、すずかけ台、南町田グランベリーパーク
大和市:つきみ野、中央林間
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