ひろば 研究室別室

川崎から、徒然なるままに。 行政法、租税法、財政法、政治、経済、鉄道などを論じ、ジャズ、クラシック、街歩きを愛する。

水前寺公園を訪ねて(2003年3月23日)

2013年11月20日 00時33分40秒 | 旅行記

 (以下は、「待合室」第45回として2003年4月12日から25日まで掲載した記事に修正を加えたものです。)

 今回は、今から約10年8ヶ月前の2003年3月23日(日)、約1年ぶりに熊本県を訪れた時に撮影したものです。場所は、熊本市の名勝です。

 一般的には水前寺公園といわれますが、正式の名称は、上の写真にあるとおり、水前寺成趣園です。

 すぐそばにある案内板によりますと、ここに、寛永9(1632)年、細川忠利が玄宅のために水前寺を建立しました。玄宅は、もともと、豊前の羅漢寺(現在は本耶馬溪町)にいた僧で、細川家が肥後に入国する際に従ってきたとのことです。その後、寺は北隣に移され、跡地に庭園と茶屋を設けました。これが現在の水前寺成趣園です。桃山式回遊庭園で、東海道五十三次をかたどったものと言われています。

 水前寺成趣園を初めて訪れたのは、めまぐるしいほどに天候が変わった1999年8月7日のことでした。それから4年7ヶ月以上経ってようやく2度目の訪問となったこの日は、一日中晴天に恵まれました。

 春休み中の日に熊本市を訪れたのは、その年の8月に熊本県立大学総合管理学部で集中講義「財政法」を担当することが決まっており、下見をすることを目的としていたからです。この頃の私は、何かと言えば下見をしていました。大分市の明野地区で公務員研修の講師を初めて務める際にも、郊外の少々わかりにくい住宅地の中にあったということで、夕方に都市地図などをたよりに下見をしましたし、仕事の関係で他にも様々な場所(例、福祉施設)の下見をしています。

 熊本県立大学の場所、そして付近の様子がわかり、宿泊施設の様子なども調べました。当時の愛車、日産ウイングロードXを運転しながらでしたので、自ずと限度は生じましたが、水前寺駅周辺の様子などもわかりました。

 熊本市に来たからには元東急5000系も見たいということで上熊本駅まで走り、そばで昼食をとりました(「上熊本駅で孤独な老兵を見る」)。そして、せっかく来たのだから、ということで、水前寺公園に向かいました。アナログの一眼レフカメラとデジタルカメラの両方を持ち込みましたが、ここに掲載しているものは、デジタルカメラによる写真です。

公園の池というと、鷺と鴨、そして鯉です。ここには、白鷺、鴛などが多く、鴎(詳しいことはわかりませんが)も飛来してきます。

 何かの本で読んだのですが、日本人は、単に自然をだけでなく、むしろ、自然に手を入れることによって自然を維持してきた、 という趣旨のことが書かれていました。山林が典型なのですが、人工の空間である庭園もその一種かもしれません。

上の写真は能楽堂です。この公園では薪能が行われます。

鯉の群れです。中には美しい鯉もいました。

上の写真の右奥に、茶屋があります。

 

 2012年まで、私は毎年集中講義を担当しておりました(しかも、年によっては2つも担当していました)が、熊本県立大学が最初の体験でした。2003年度のみという約束で、実際にもそうでしたが、その後10年間にわたって集中講義を担当することになるとは、当時、全く考え付かないことでもありました。


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