ひろば 研究室別室

川崎から、徒然なるままに。 行政法、租税法、財政法、政治、経済、鉄道などを論じ、ジャズ、クラシック、街歩きを愛する。

2003年9月14日、大分県北海部郡佐賀関町(当時)の大志生木付近から

2016年06月12日 01時17分25秒 | 旅行記

 〔以下は、「待合室」の第70回として、2003年10月11日から同月18日まで掲載したものです。なお、一部を修正しています。〕

 2003年は冷夏で、とくに、関東地方や東北地方では深刻な日照不足を記録しています。大分市でも、8月の中旬には最高気温が10月下旬並みという日もありました。

 しかし、9月に入ってからしばらくの間は猛暑が続きました。あたかも、夏が遅れてやってきたかのようです。

 そのような中、9月14日、久しぶりに佐賀関町へ行きました。大分市と合併するかしないかで揺れるこの町は、古くから精錬所で知られる所です。関さば、関あじを想起される方もおられると思いますが、これは最近のことで、長い間、大分県でしか通用しなかった「ブランド」でした。一村一品運動の後期に花開いたこの名産品も、このところ漁獲高が著しく減少しており、佐賀関町で展開されている豊予海峡ルートの建設が始まると壊滅するという話も出ています。

 大分市内から国道197号線を走り、JR日豊本線坂ノ市駅をすぎてしばらく走ると、佐賀関町に入ります。幸崎駅(大字の名前は神崎です)の近くを通ります。左側に海を見ながら走りますと、大志生木(おおじうき)海水浴場、弁天鼻に着きます。

弁天鼻から北東の方角を写したものです。海は別府湾です。もう少し行けば瀬戸内海です。方角の関係もあり、四国を見ることはできませんが、海を渡れば愛媛県に着くでしょう。

 今度は、精錬所のほうを見ます。2本の煙突が見えます。これらが精錬所の位置を示しています。写真ではわかりませんが、煙突の手前に佐賀関港があります。ここから愛媛県の三崎まで、フェリーが運行されています。

今度は、大分市側に向きを変えました。左奥のほうに見える石油タンクは、地図などから判断して、おそらく、鶴崎の北側、大野川河口付近ではないかと思われます。家島のあたりです。

 大志生木バス停のある方向です。海のすぐそばに山が迫っていることがわかります。かつて、JR日豊本線幸崎駅から佐賀関港の近くまで、日本鉱業(現在は日鉱金属)佐賀関鉄道(軽便鉄道)が通っていました。昭和21年に専用鉄道として開業し、昭和23年に地方鉄道となったのですが、昭和38年に廃止されました。廃線跡などはよくわからなかったのですが、この海岸の近くを通っていたはずです。急カーブが続き、勾配の急な所もあるなど、車でも走りやすいとは言えない所を軽便鉄道が走っていたとは驚きですが、事実です。実際、終点の佐賀関駅はバスの待合室として残っています。

 撮影日は気温が高く、暑かったのですが、もう海水浴シーズンとは言えない時期でした。しかし、8月に涼しい日が続いたからなのか、所々、海岸で遊ぶ親子連れなどを見ました。遅れてやってきた短い夏を楽しもう、ということでしょうか。


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