ひろば 研究室別室

川崎から、徒然なるままに。 行政法、租税法、財政法、政治、経済、鉄道などを論じ、ジャズ、クラシック、街歩きを愛する。

許可制と免許制の違いとは?

2015年01月24日 00時58分58秒 | 法律学

 今年に入り、1月11日に青葉台へ行きました。その際にブックファーストで、上浦正樹・須長誠・小野田滋『鉄道工学』(森北出版)という本を見つけ、買いました。20世紀最後の年である2000年に出版された本なのですが、興味深い内容でした(ちなみに、私が購入したのは21世紀最初の年である2001年の10月に発行された第2刷です)。

 行政法や租税法などという分野に取り組んでいると、書店であれ図書館であれ、法律学ではなく、政治学、経済学や社会福祉学、さらには工学や建築などのコーナーに足を向けることがあります。そこに題材があるからで、以前から交通関係に関心があり(そのことは、このブログを読んでいただければわかります)、研究しているため、複数の分野に目を向けざるをえません。逆にそれが楽しみでもあります。実際に、交通、とりわけ鉄道とバスは行政法の題材にあふれています。

 さて、『鉄道工学』の「第1章 体系」には、最初に法体系のことが書かれています。基本となるのが鉄道営業法と鉄道事業法ですが、今回は鉄道事業法の話が問題となります。

 1999年、鉄道事業法の一部が改正されました。規制緩和の波を受けて、鉄道事業が「免許制」から「許可制」となりました。

 さて、ここで私が「免許制」、「許可制」とカギ括弧を付けていることに御注目ください。

 『鉄道工学』3頁では「免許制」と「許可制」との違いについて、次のように記しています。

 「免許は排他的であるが、許可制は条件を満たせばだれでも鉄道事業に参加できる。また改正では参加が自由になったとともに撤退も自由になった。すなわち鉄道事業の入退出が自由になったことである。」

 素通りしそうな記述です。「へえ、そうなの」と感心して終わりかもしれません。

 しかし、例えば自動車の運転免許をお持ちであれば、この記述にたちまち疑問が湧くことでしょう。「免許は排他的なのか? だいたい、免許と許可って違うもんなのか?」

 断っておきますが、『鉄道工学』の記述が誤っている訳でもなければ、おかしい訳でもありません。正しいのです。しかし、自動車の運転免許と鉄道事業の免許とを比べると、同じ免許であるのに違う性格のようにも読み取れます。私が「免許制」、「許可制」と記したことの意味も、そこにあります。

 日本の法律用語では、許可、免許、認可、特許、登録、届出、などと様々な言葉が登場します。困ったことに、これらには厳密な使い分けがなされていません。法律専門の辞典を見ても、よくわからないままで終わります。

 行政法の教科書などではおなじみですが、自動車の運転免許は許可そのものです。手前のもので恐縮ですが、「行政法講義ノート〔第5版〕」の「第9回    行政行為論その1:行政行為の概念」から引用させていただきます(以下、全て同じです)。

 行政法学において許可とは「法律による一般的な禁止(不作為義務)を解除する行為」です。不作為義務の免除、と言い換えてもよいでしょう。そこで、

 「許可は、本来であれば人の自由に属する事柄を、公益上の理由などから全面的に禁止しておき、一定の場合にその禁止を解除するというものである。許可の対象は法律的行為である場合もあり、事実的行為である場合もある。」

 と説明されるのです。自動車の運転には免許が必要なのに自転車の運転には不要であることの理由を考えていただければ、おわかりでしょう。

 他方、民法学では、かつて、公益法人の設立について「許可制」という言葉が用いられました。ところが、行政法学では「特許制」として扱われました。理由は、公益法人の設立が「本来であれば人の自由に属する」事柄とされていなかったためです。ここで特許とは「私人に対して新たに権利能力、権利、包括的法律関係を設定する行為」をいいます。

 『鉄道工学』では詳しく述べられていませんが、鉄道事業は、かつて特許制であったと考えられます。明治時代、鉄道国有法が制定・施行されたほどで、日本では鉄道事業が国によって行われることが前提とされていました。実際には財政事情などによって前提の通りとはならなかったのですが、鉄道事業が多少とも地域独占的な性格を有することは理解されていたようです。特許は「本来、私人が有しないとされる特別な権利能力や権利、包括的な地位などを設定する行為である」とされており、「特許を受ける私人に、第三者に対抗しうる法律上の力を与えることになる。また、特許は、申請を前提要件とする」ものです。

 軌道法では特許という言葉が使われますが、道路の上に線路を敷いて、その部分について排他的に利用する訳ですから、まさに特許です。性格はやや異なるものの、鉄道も同様であると考えられます。

 現在、鉄道事業法では、鉄道路線の廃止について「届出」としています。これが行政手続法の「届出」と同じであるかどうかも、興味のあるところでしょう。行政手続法制定以前には、「許可制」と「届出制」の区別も曖昧でした。それだからこそ、徳島市公安条例事件最高裁判決などのような判例がある訳です。

 日本の交通法は、道路交通、鉄道、船舶、航空と各分野がバラバラに存在し、統一がとれていません。その上、用語の使用法にも曖昧な点があります。交通整理ができているとは言えない訳です。


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請願と陳情の違いについて (みやさん)
2015-01-25 23:01:50
岡山市の請願と陳情の扱い
http://www.city.okayama.jp/gikai/gikai_00272.html

岡山市では議員の紹介のある請願と紹介の無い陳情の取り扱いは同じですが
他の議会では請願は議会で審議対象になりますが陳情は議員に文書を配布とするのが一般的です。

憲法では

第16条【請願権】 何人も、損害の救済、公務員の罷免、法律、命令又は規則の制定、廃止又は改正その他の事項に関し、 平穏に請願する権利を有し、何人も、かかる請願をしたためにいかなる差別待遇も受けない。

とされており議員の紹介の有無で扱いに差をつける事を認めていません。
また請願法にも請願には議員の紹介は必要とは書かれていません。

その結果、福岡市のように市民提案を議会審議に掛けるために議員を探すという事になります。
http://blogs.yahoo.co.jp/mimasatomo/41769466.html

議員紹介の有無で名称はともかく取り扱いに差をつける事は住民活動を抑制するだけでなく、
憲法の基本的人権侵害にも当ると思えるのですがどうなのでしょうか?
返信する
敢えて区別する必要はないと考えられます(私見です) (川崎高津公法研究室長)
2015-01-26 01:09:34
 請願権は憲法第16条に定められる、立派な基本的人権の一つですが、憲法学では最も、とは言えないまでも、非常に手薄な分野の一つです。
 その上で、あくまでも私見として述べますが、請願と陳情とを敢えて区別する必要はないと考えます。
 憲法には陳情という言葉が使われておりませんし、市民にとっては請願も陳情も根本のところで同じものです。
 ただ、厄介な点があります。
 第一に、地方自治法第124条で「普通地方公共団体の議会に請願しようとする者は、議員の紹介により請願書を提出しなければならない」と定められています。この規定による限り、請願を行おうとする者は、紹介議員を見つけなければならないこととなります。
 第二に、請願法第3条第1項前段では「請願書は、請願の事項を所管する官公署にこれを提出しなければならない」と定められています。この規定と地方自治法第124条との関係が意識されていないように見受けられます(例、村上順他『新基本法コンメンタール地方自治法』(2011年、日本評論社)153頁、松本・後掲461頁)が、緊張関係に立ちうるものと考えられないでしょうか。
 第三に、陳情という言葉の意味があまり明確にされているとも言えない状況にあります。私が持っている松本英明『新版逐条地方自治法』〔第七次改訂版〕(2013年、学陽書房)の462頁で「陳情とは、公の機関に対して、一定の事項について、その実情を訴え、一定の措置を求める事実上の行為をいう」と定義され、「陳情については、請願のように議員の紹介は必要なく、法的には受理義務や誠実な処理義務(中略)等もない」と述べられています。
 しかし、地方自治法第124条が何故に陳情について議員の紹介を必要とするのかはよくわかりませんし、請願(陳情)しようと思っても議員の紹介を得られなければ陳情(請願)するしかないというのでは、区別の意味がないことを自ずと語っていることにならないでしょうか。地方自治法も、内容によって請願か陳情かと分けている訳ではないのです。
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