今回は、「待合室」第458回(2012年1月1日掲載の「フランクフルト・アム・マイン(Frankfurt am Main)の風景(4)」の再掲載です。また行ってみたくなったりしたものですから。なお、修正を施しています。
フランクフルト・アム・マインと言えば、ドイツの大文豪、ゲーテ(Johann Wolfgang von Goethe, 1749-1832)の出生地でもあります。そのため、ドイツ最大の大学ともいえるフランクフルト・アム・マイン大学の正式名称はJohann Wolfgang Goethe-Universität Frankfurt am Mainというのだそうです。滞在時に宿泊したホテルの裏に、大学の施設が点在していました。
さて、ゲーテの銅像がフランクフルト・アム・マインの市街地、まさに中心部とも言える所に立っています。この銅像の近くにHugendubelという本屋(日本で言えばジュンク堂書店、紀伊国屋書店、ブックファースト、あるいは我が地元の文教堂本店という感じの本屋です)があり、法律書ばかり5冊買いました。その後、この銅像の前に着きました。まさしくGoetheplatzです。
市内にはゲーテの生家もあり、現在はGoethehaus(Goethe-Museum)となっています。この銅像からは少し離れた所にあります。後ろのほうにある黄色い装飾の施された入り口がHugendubelでした。
ゲーテの生涯をここで記す必要は無いと思われるのですが、少しばかり記しておきましょう。1749年8月28日、フランクフルト・アム・マインで彼は生まれました。裕福な市民の家庭であったようで、Goethehausを訪れるとその一端がわかります。ライプツィヒ(Leibzig)大学とシュトラースブルク(Straßburg. 現在はフランスのシュトラスブールStrasbourg)大学で法律を学びますが、戯曲のGoetz von Berlichingen、小説のDie Leiden des jüngen Werters(若きヴェルテルの悩み)で一気に名声を上げました。ゲーテは政治家でもあり、ヴァイマール(Weimar)公国において様々な職を歴任し、宰相にもなります。その一方、詩人として、小説家として、戯曲家としての活動も続けます。そればかりか、色彩論など、自然科学者としての一面まで持ち合わせていました。
しかし、ゲーテと言えば何と言っても文豪としての位置が最も重要でしょう。ドイツ古典主義文学を確立した彼は、Wilhelm Meister(いわゆる教養小説の代表的作品)、Faust、Egmont〔戯曲。ベートーヴェン(Lutwig van Beethoven, 1770-1827)の同名の曲としても有名〕、多くの詩で有名となりました。また、何かの本で読んだのですが、近代ドイツ語は、基礎をマルティン・ルター(Martin Luther, 1483-1546)が作り、ゲーテが完成させた、とも言われています。
大学に入学したばかりの頃、神田神保町の三省堂書店でGoethe für Kinder, Lutz Görner spricht : Goethes Letzter Geburtstagというカセットブックを買いました(後にCDとなって再発売されましたが、現在はどうやら入手困難であるようです)。名前の通り、ゲーテの最後の誕生日に、ゲーテ自身が孫たちに自分の人生を語り、時には自作の詩を歌ってみせるという設定です。ゲーテは1832年3月22日にヴァイマールで亡くなっていますから、カセットブックの設定は、彼が満82歳を迎えた1831年8月28日ということでしょうか。ちなみに、19世紀の後半にゲーテの家系は途絶えています。
私がゲーテの生涯で最も関心を抱いたのは、ベートーヴェンとの関係です。両者は一度だけ対面しているのですが、どうやらゲーテはベートーヴェンを嫌っていた部分があったようです。但し、それではゲーテが完全に嫌っていたかというと、そうでもないようで、何度か再会の機会をうかがっていたという話を読んだことがあります。そして、ベートーヴェンも、ゲーテの戯曲Egmontへの音楽を作っていますし、他にも何曲かがあるようです。
今回はヴァイマールもボン(Bonn)も訪れていませんが、いつか必ず、街を歩こうと思っています。
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