前のエントリーのコメント欄で、日本人にとってのナチの印象というのは、昔三国同盟を結んだ時の興奮から変わっていないのではないのか、というお話をしつつ、ふと思い出したのがこの本。
講談社の絵本 ヒットラー
ドイツを再び強くしようと立ち上がった英雄で、優しいおじさんとして書かれている。ちょっとタイプすると
ヒットラーは、ドイツが前の世界大戦に敗れ、国は貧乏のどん底に落ち、国民の気力はなくなりその生活はいよいよ苦しくなった時、「我等のドイツを、きっと立ち直してみせる。」と叫んで、敢然と立ちあがったのであります。
たった六人の同士と一緒に、心と力をあわせ、血のにじむような艱難を突破して、わずか十年の後、とうとう、あの強い、立派なドイツを作り上げた。その燃える愛国心とたゆまざる努力とは、私たちの大いに学ばなければならないところであります。
で、こういうものは他にも多分たくあんあったんだろうと思う。
だけど私がこの絵本に興味を持つのは、この発行年が昭和16年8月だから。
https://www.kosho.or.jp/products/detail.php?product_id=3073703
昭和16年8月、すなわち1941年8月といえば、既にバルバロッサ作戦は始まっている。ドイツは出だしは快調に進軍していたので、独ソ戦の中では一番「傷」のない時期だったかもしれない。
また、日本の方では、7月2日に御前会議で、情勢によっては対ソもあるかも、みたいな決定をし、それを受けて7月7日に関特演の大動員令が下り、順次内地、朝鮮から満洲に兵を移し始める。
そういう時にこの絵本が出てたわけですね。
ネット上にアップされていた方の画像によれば、その中には、こういう絵もあるらしい。
松岡洋右が、ドイツに行った時の絵だと思う。
日独伊三国軍事同盟は1940年(昭和15年)9月27日に成立。その祝賀を名目として翌年1941年3月に松岡がドイツ、イタリア、ソ連を訪問する。この絵はその時をイメージしたか写真を見たかして書かれたものでしょう。
で、この時松岡は帰りにソ連によって中立条約を結んだことから、本当は四カ国で云々かんぬんといったことがまことしやかに日本では語られている。
しかし、ヒトラーは既に3月に、バルバロッサ作戦に至る前段階でアインザッツグルッペンの行動ガイドラインみたいなものを提示していたと1989年に出た本で指摘されている模様。Einsatzgruppen
Hillgruber, Andreas (1989). "War in the East and the Extermination of the Jews". In Marrus, Michael (ed.). Part 3, The "Final Solution": The Implementation of Mass Murder, Volume 1. The Nazi Holocaust. Westpoint, CT: Meckler. pp. 85–114. ISBN 978-0-88736-266-8.
ここらへんでナチの発言は、常よりさらにヒートアップして、共産主義者を根絶やしにする、根絶する、といったことを言い散らかしている。共産主義者か否かは見ただけではわからないわけだから(笑)、まぁ、そういう嫌疑でみんな殺せということですね。
それはともかく、松岡が何を考えていたのかは未だ謎だとしても、現実には、松岡の行動を四カ国体制になろうとしているんですってよ、と見た欧米人はいなかっただろうと推測できるし、また、大演習やってる日本の軍にもその気はなかったというべきでしょう。
ということで、この絵本は、東西からソ連を撃とうという日独の構想が実現に向かう時の様子を、ちらっと垣間見せてくれるという点で貴重だと思う。
コレクターアイテムなのもわかる。買ってる人がどう思ってるかしらないですけど。
■ 横道:「ホロコースト」
ぶっちゃけ後年「ホロコースト」と呼ばれるものは、上で書いたようなアインザッツ集団の「手当たり次第占領地の人間を殺していたいた」状況から、ユダヤ人だけ抜いて話しているという「政治的作為」だろうと私は思ってる。
手あたり次第で非戦闘員を組織的に何百万人も殺したことが確定したら、あらゆる戦時法においてソ連は明らかな被害者になっちゃうから。だから、今も「ホロコースト」論には現場がない。さらに、だからこそ、プーチンのこの発言は非常に大きな意味を持っている。
「ホロコースト」犠牲者の4割はソ連市民
■ 好印象を消す機会がなかった
で、冒頭に戻って、日本に残るナチの好印象問題。
ヒトラーのナチと日本の結びつきの問題としては、1938年にヒトラーユーゲントが来日して大騒ぎといった話が有名だけど、おそらくその時にも様々なパンフレットなり写真なりが出回ったんだろうと思う。
その上でさらに今度は三国同盟の締結があって、絵本まで出ているわけだし、多数のパブリケーションがあったことでしょう。
で、そうやって好印象を振りまいた後、敗戦となって、自分んちの帝国陸海空軍に対する失望はリアルだったわけだけど、思えば、ではナチとは何だったのかについてはどうだったのか。多分、修正する機会がなかったのでは?
だから、好印象は残ったままで、そこに80年ぐらいになってユダヤ問題というのが出てきて、はじめて、あら、悪い人なのね、ぐらいの感じでは?
ここで欠けているのは何かというと、西欧に対する行動もさることながら、東欧、ソ連に対する異常な行動全般に対する知見。概ねニュルンベルク裁判の罪状といってもいい。
バルバロッサ作戦は他民族殲滅とその地の略奪を妄想した異常な作戦。
ところが、折あしく時代は冷戦。だもんで、ソ連を倒した方がよかったよなぁとかなり本気で思っていた人は大勢いたはず。
ということは、ナチに対する印象を悪くする機会を日本は持っていなかったということなのではないのか?
逆に、ではどうして欧米は同じく冷戦期を過ごしながらナチに対して悪印象を持ち続けたのか。考えようによっては奇妙で面白い問題だと思う。イギリスは具体的に戦ったので除外するが、他は特にたいした戦いはしてない。にもかかわらず、一様にナチは拒否されてきた。
他民族殲滅を目的とした異常な作戦に慄いたことではあるだろうが、もっと具体的には、ナチ、特に親衛隊SSは酷かったといった言辞の中に、後年暴露・総括されていくアインザッツグルッペンのような、戦争行為でさえない、文字通り破壊と殲滅を目的とした行動に関する嫌悪が共有されていた、ということなのではなかろうか。
まぁ実際、おののくような死者数ですから。
赤が戦闘員、オレンジが民間人。
ナチスの東方生存圏には二等民族以下に食べさせる食糧など無かったのでしょう。無人の地にはドイツ人が移住していきました。敗戦後、そんな彼らは身をもって罪を償わせられましたが。
カブラの冬を経験したドイツ国民は、国家に活力を国民に職と食糧を与えてくれたナチスを選んだのだと私は思います。
いわゆるホロコーストよりも、アインザッツグルッペンの方がドイツ帝国の本質を具現化した所業と私には見えます。だから自分たちを免責する為に、ナチスだけに全ての罪を押しつけてタブー化したのでしょう。
日本もその点は変わらないような気がしますが。
ユダヤ人虐殺は「アンネの日記」などからかなり知られており、ナチ・絶対悪と考えている人が多数だと思います。日本人はゲーテ・シラー・ベートーベンのドイツが好きで、車も大好きで、特にインテリはその傾向があるようです。
対するに2700万人殺されたロシア人にたいして同情がないのは、シベリア抑留と日ソ中立条約を破ったソ連という政治宣伝が75年間続いた結果だと思います。
その前のシベリア出兵(侵略)が全く教えられていないので、ソ連参戦時ひどい目にあったことから自分たちは被害者だと思っている。
満州に最初、進駐してきたのが囚人兵だったためかなり悪かったのは事実。その後きた正規軍は軍紀が正しく品行方正だったのは数々の証言がある。
戦後米国に従属したことからソ連を悪くいうことが、親分に認められる必要不可欠になった。
日本人が問題なのは、中国をはじめアジアの人にはナチス以上のことをしているのに、彼らが寛大だったことを恩に思わず、罪も忘れ去っていることだと思います。
一番の問題はマスコミと、教育だと思います。
制服のデザインが審美的に優れているとか(武装SSを含む親衛隊一般については、特にこの傾向が強い)、世界初のジェット戦闘機を実用化し、当時のあらゆる戦車をロングレンジで一方的に撃破しうる戦車を運用して連合軍の猛攻をたびたび押しとどめた、的な話とか。そういうレベルで。
こういう情報が繰り返しアナウンスされ、「無敵だけど悲劇的」な「黄昏のドイツ軍」みたいなイメージが、もう何十年も再生産され続けています。
しかも東部戦線での負け戦が「悲劇性」をより高める構造になっているから始末に負えない。特に東プロイセンはじめドイツ本国になだれこんだ赤軍のドイツ人に対する報復行為は必ず引き合いに出され、「野蛮なソ連軍」イメージを満州でのそれと重ねて喧伝される仕組みが完全にできあがっているんですよね。
ソ連・ロシアに対する明治以来修正されない恐怖心と軽視は、こういう趣味的な分野が案外と大衆教化の「理論的支柱」を担っている部分は、なかなかバカにできません。
アメリカはヨーロッパで直接ドイツと戦っています、映画グリーンブックで主人公がドイツ人は信用ならねえ、ロシア人は戦友だ信用できるいい奴らだといってる、アメリカには戦後ある一定の期間親ロシアの人たちがいたので、これを一掃するために赤狩り等の過激な政治運動がカウンターとして起こされたのでしょう。
いろんな側面が出てきてなるほどと思いました。確かに音楽もありました。
あと、思えば、カント、ヘーゲル、フィヒテ、マルクスetc.という太い道もありますね。うっかりしてましたがこれは影響大きそう。
「黄昏のドイツ軍」も相当大きい。わかる。とてもわかる。軍もののムック本はみんなこんな感じ。
そしてそれが、満洲での敗退と重ねる。結局自分を被害者に見立ててるんですかね。
ドイツは同盟国だということになってますが、殆どまったく同盟らしいことはしてない。しかも直接仲がよかったことも特にない(日中戦争の時は敵同士)。このへんも整理いて考えてみる価値がある気がしてきました。
昔はナチが悪いのは常識だと思っておりました。しかし,年を取るに従って,どうも日本人の空気はそうではなさそうだということが次第にわかってきました。
ある年齢以下の人々には想像できないでしょうが,私がアメリカに留学した 80 年代初めは,日本人がアメリカに行くのに観光目的ですらビザが必要でした。アメリカで生活していても,南部という土地柄もあったでしょうが,あからさまな差別もうけました。当時の在米日本人には程度の差こそあれ,まだ敗戦国の人間という影がつきまとっていたのです。
それは本国の日本人でも同じであり,国を挙げての洗脳教育を行い必至になってアメリカに尻尾を振りつつも,結局認めてもらえないかもしれないという恐れが多くの日本人にはありました。アメリカだけではなく,イギリスやオランダなどにも同じことを感じていました。その一方で,中国に対する視点は完全に欠けています。気の毒なことをしたぐらいにしか受け止めていなかったでしょう。それも一部の人々だけが。ましてやソ連に対しては,これは洗脳の賜物ですが,一貫して日本が一方的な被害者という考えしか持ち合わせていませんでした。結局は伝統的な西欧コンプレックスに結びついた不安だったのです。
その中で,ドイツだけは同じ敗戦国であり,「西欧」の中に同じ境遇のものがいるということは,この上ない救いであったはずです。表立って三国同盟を讃美することはできないが,その救いの力の前には,「遠く離れた所の出来事」であるナチの犯罪など,微罪でしかなかったのでしょう。
考えてみれば,日本人がそうやって「勝手に」カタルシスを感じてくれたおかげで,アメリカ(や間接的にイギリス)の日本支配が随分とやりやすくなったと思います。英米の意図ではないところでドイツが役に立ったわけです。