ドイツのメルケルが党首選には出ない、首相任期はまっとうするつもりという中途半端な後退を示したことが話題になっている世界で、昨日はそっちに注目していたのだが、本邦にては、時ならぬカルト大ぶっちゃけ大会が国会にて挙行されていた模様。
民主主義は聖徳太子以来の我が国の伝統
ですよ!
安倍の贔屓で復権した稲田朋美が“代表質問”に立ちトンデモ連発! 「民主主義は聖徳太子以来の我が国の伝統」
https://lite-ra.com/2018/10/post-4340.html
などと思いながら聞いていたら、稲田議員のトークは唐突に「明治維新150周年」の話にスライド。そして、こんなことを言い出したのである。
「明治の精神ともいうべき五箇条の御誓文は改革の集大成」
「歴史を遡れば、聖徳太子の『和を以て貴しとなす』という多数な意見の尊重と、徹底した議論による決定という民主主義の基本は、我が国古来の伝統であり、敗戦後に連合国から教えられたものではありません」
私はしかし、全然驚いてないんです。この人たちがこんなことを語っていることは知ってたから。
で、そこに並列して、国民主権、基本的人権など左翼の戯言、平和主義などマッカーサーの陰謀、というのが載るんです。
ホントの話が書けない日本 稲田編
さらには、稲田氏周辺では、自民党が出してきた改憲案は手ぬるいと、なぜなら、
国民主権、基本的人権、平和主義、この3つはマッカーサーが日本に押し付けたもの、この3つをなくさなければ本当の自主憲法ではないんですよ
でまぁ、日本の人々はこういう人々を20年間野放しにして、ついには政界を牛耳って、日本の代表者として国際社会を渡らせていたわけですよ。どうなのこれ、って話。
■ 欧米の凋落
でね、スットコドッコイなことを言う、カルト集団のお姫様を抱く、おぼっちゃま君揃いの安倍政権だったわけですが、グローバルメディアなる集団は、この暗部にず~っと目をつぶり続けて来た。
私はこれは、いわゆる西側ではなくて、ある種の価値の体現者としての欧米なるところが本当に崩壊してしまった、もうないんだなとという一例のようにも思う。
もうおせっかいはしない、という意味だとも言える。が、その「おせっかい」なしで、日本はこれからどうするつもりなのだろう?
この間も書いたけど、1945年のアメリカには、少なからぬ理性があり、教養があり、正義感のある人々がいた。その人たちは、カルト日本が、こんなのおかしいじゃないかと考えるストレートなインテリたちを牢にぶち込んで、改心せよと「転向」を強要し、そういう「機転」の利かない人間たちを獄死させていったことを遺憾として、日本が次の時代を拓く手伝いをした。
1945年8月の日本の降伏を受けて上陸してきた占領軍は、戦争は9月2日に正式に終わったというのに、9月後半になって哲学者三木清が獄死したことを知り、あわてて政治犯の釈放を実行する。
別の言い方をするのなら、日本人は自分で未来を拓けなかったと今ならそう言うべきかもしれないと思う。
なぜ敗戦と共に政治犯として収容されていた「思想」で引っ張られた人々を迎えに行けなかったのかという一件は、鶴見俊介など、後に進歩的知識人と呼ばれるようになる人々の生涯の悔恨となり、その一端として「思想の科学」が共同研究で転向を研究する。
![]() |
共同研究 転向1 (東洋文庫) |
思想の科学研究会 | |
平凡社 |
率直にいって、じいさんたちは青年たちよりずっと狡猾だったという話。
このへんで書いた通り。
大ざっぱにいえば、たいていの人は、別に左翼的じゃないとさえ思う。ここに丸山真男 などを入れれば、要するに、この人たちは、1945年に終わった戦争の末期のカルト日本の在り方をなんとかせなと思った、私の見方では、正気で優秀で心が強かったために苦しんだ若者といったところだと思う。
じいさまたちはもっとずっと狡猾だったのに、若者たちは気が付かなかったとも言える。
で、まぁ狡猾なじじいたちの路線から稲田朋美は生まれたし、狡猾なじじいたちの味方だからこそ、ああいう場末のクラブのおねーちゃんみたいな女なんだろうな、などとも思う。
残ったのは、狡猾なじじいとそれにおもねるおねーちゃんの国になるのだとしたら、1945年に国を憂い、人々の暮らしと人生を憂いた青年たちは実にまったく浮かばれない。しかしこれが私たちが現在立っている場ですね。ごまかしたって駄目だわ。
公家と女郎の国になった日本。
だから従軍慰安婦問題を認めず、日本の女性の苦境や人権侵害を放置する。女郎は増えるしな・・・
公家の権力・権威の源泉は、天皇・・・
やばいこと書いているかな・・・
ではまた。