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WW2の決定的な勝者はソ連だよと人々が言うの巻

2020-05-10 17:53:17 | WW1&2

昨日の、英米がナチスを破った by 英米首脳という破廉恥騒ぎのおかげで、WW2に関する「アメリカ史観」が白日の下にさらされて、結構な数の人たちが腹を立てているのが見られて、それはそれでよかった。

「アメリカ史観」はトランプ&ボリスの思いつきではなくて、ず~っとやってきてること。ただこの2人がやると戯画化されるというだけ。

 

面白い画像をいくつか拾ったので張っておきたい。

 

アメリカ(or 西側)の人たちが考えるWW2は、こんな。アメリカが巨大(上の図)

しかし実際には、比べものにならないぐらい多数のソ連の人たちが走り回った戦争(下の図)

画像

 

 

その数字。

ナチの被害。左から、相手にした師団数、航空機の損害、砲・銃器類、戦車。

どれをとってもほぼ75%が、ソ連によって壊滅された。英米(+α)は足しあげても25%

画像

 

私はこれに、タイムラインも加えたいですね。西部戦線は最初はドイツ人が元気な時期だけど、最後は東部戦線で壊滅的な打撃を負った後なので、相当くたびれたドイツ人師団になっていた。それを叩いたのがノルマンディー作戦

これを第二次世界大戦の分水嶺だった、などというのは冗談でしかない。しかしそれを映画だの言論を使って馬鹿みたいに広めてきたのがアメリカであり、それをまともにくらってるのが西側世界。

 

これは、フランス人の認識調査。

「あなたの意見では、1945年のドイツの敗北に最も貢献したのはどの国ですか?」

一番左が1945年。1994年には、真逆になった。

画像

 

といった具合で、昨日は、戦後アメリカが営々と作ってきた、ナチスを破ったのは俺だ、だから俺が今度の世界の唯一の勝利者(英は子分)、みたいな認識が白昼堂々となった日とも言えますね。

 

■ 嫉妬

でね、見てて、これって結局、アメリカに巣くってる一部の人間たちのほの暗い嫉妬の具現化だったのかなと思った。

1945年にエルベ川でソ連兵と握手してたアメリカ人は、後でソ連兵を騙してやる、お前の勝利を盗んでやるなどとは思わないわけでしょ。

プーチン&トランプ:エルベ河の邂逅を記念して共同声明

 

チャーチルもルーズベルトも、ソ連の人たちがいなかったらこんなことはできなかった、感謝してると1944年頃には述べている。その後のことはともかく、これは本当にそう思ったと思う。

1945年2月、ヤルタというクリミアでの厳しい戦いの後の現場に来たチャーチルもルーズベルトもふざけた顔はしていない。

1945年2月4日、ヤルタ会談始まる

 

だけど、そこを終えてすべてが終わってから、ようし、この体制はもらったとなった、ダレス的世界の人たちの暗躍が始まり、現場で命をかけていた将兵の考えを無視して(ソ連だけではない、英米の将兵だってそう)、新しい戦争時代を作っていく。それが本家NATOと極東NATOの構成。

といって本当に戦争をするというよりは、紛争を使ってIMF/世界銀行を通して金融のコントロールで各国を支配するというのが本筋。

だから卑怯なんだと思う。現地の将軍は自分の命令で何十万人もの人間が死ぬかもしれないことをよく知った上で、自分の名前で命令を下す。失敗したら自分も死んで当然だと思ってる。しかし、金融とメディアのコントロールは影からの支配。

なぜ表に出てこないのか。それは、表に出てきたら誰もついてこないことを知っているからでしょう。だから影からコントロールしようとする。

 

この意図の卑しさについてはまた別途暴言を並べるとして、そもそも、「産業的大殺戮」としか言いようのないナチスとミニナチス諸国(ハンガリーとかルーマニアとか)を止めさせた人々に感謝の念を持つ人たちがいることがそんなに不思議だろうか?

ドイツ、ソ連軍捕虜の記録をロシアに渡す&産業的大規模殺人

 

ファシズムの愚かで堅いゲートを開けてくれる元気な兵隊を喜ぶ人々を喜べない人々たちが、1945年に終わった戦争からソビエトを外したがっているのだろうと考えるとなんだか納得できるような気もする。

1945年1月27日:ソ連赤軍アウシュビッツ解放

 

ファシズムとは、個人をバラバラに閉鎖系に押し込めようとするシニカルな試みの総体なのかもしれない。

 


 


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6 コメント

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Unknown (海坊主)
2020-05-10 19:26:24
本当は個々の記事に感謝の意を表したいところなのですが、あまりにも汚らしくなるので、この記事に。いつもありがとうございます。

WW2の趨勢を決定づけたのが最も血を流して大祖国戦争を戦い抜いたソ連だった、と言う正しい事実を現在に再提示されたのはTAKUMI様の大きな功績の一つだと思っています。充実した記事群は読み応えがありました。
そしてニ正面作戦の一翼を担おうとした大日本帝国の態度にスポットライトを当てられた点も良かったです。死後に名誉回復を果たしたゾルゲの功績も大きかったと思います。国威掲揚と言う理由が有ったとは言え。

終戦直後はナチスの魔の手から辛うじて逃れた人々が欧州中に居たでしょうから、ソ連の功績を正しく認識されていたのでしょうが、50年も経過するとプロパガンダに簡単に転んでしまうものですね。
当時を知る人達は、その悪夢の過去を言い伝えていく、掘り起こしてゆく代償に耐えきれなかったのか、それとも戦争を知らない世代が過半数を超えて少数派になってその声が届かなくなったのか、或いはそれ故に諦めたのか。考えさせられることばかりです。

こればかりは世界共通ですね。歴史はだから繰り返されるのか、と。
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ありがとうございます (ブログ主)
2020-05-10 20:25:25
海坊主さん、

私としては自分の疑問に答えるために書いているので、そうおっしゃられると面はゆいばかりですが、でもありがとうございます!

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ロシア「欧州解放」史観で孤立 (石井)
2020-05-10 21:58:13
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200509-00000056-kyodonews-int
昨日の記事、このコメント欄を見るに、我が同胞の対ソ対露観がよく分かります。無意識下にまで浸み込んだ「正しい知識」は全ての事柄に「前提条件」から出発できるよう教育されています。
先週のこと、プラハでコーネフ将軍の銅像が引き倒され、同時に(別の場所ですが)ヴラーソフと彼の軍隊の記念碑が作られるというニュースには少なからず衝撃を受けました。あの国の大統領には好感を持っていたのですが、、、
モスクワのテレビを見ていると、「ヒトラーがソ連を占領できなかったのは残念だ」「レニングラードは早々に降伏すべきだった」「1990年代は良かった」「プーチンが来てから暗黒の時代が始まった」と堂々と語る輩がいます。リベラルと呼ばれる連中です。

こういう人々の議論、立場を支えているのは物質的豊かさだと思います。アメリカは「豊かさ」を提供できたけど、ソ連はできなかった。ところが、この数十年アメリカの「豊かさ」は失われる一方でしょう。莫大な貯えと詐欺手法で持ちこたえていますが、最近のコロナ騒ぎで時代は変わり、アメリカのプロパガンダが神通力を失うことを期待しています。
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日本は最後の「守旧派」 (ブログ主)
2020-05-10 22:07:43
石井さん、

お知らせありがとうございます。そんな記事が出るんですね。というか、馬鹿ですよね、実際。

ただ、事実を言って孤立するなら、私なら大変名誉だと感じます(笑)。

つくづく思いますがこの問題に関しては日本が実は最後尾ですよね。だって欧州+アメリカ内には最低でも2、3割は、そんなのおかしいと言い続ける人が見える(無関心層を除いた実効値としては5割期待できる)。

でも日本でのその比率は多分1割もいかない。そもそも極東軍事裁判さえ受け入れてないですから、要するに、ナチ&カルトのままなんです。
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わずかひと世代で塗り変わる認識 (名無しの在日)
2020-05-11 01:30:42
アレクシエーヴィチの「戦争は女の顔をしていない」中のエピソードに、10代半ばで志願兵として従軍したシベリア出身の女性(古参党員だった父親はスターリン時代の粛清で逮捕された経験があり、母親は国内戦の頃反ボリシェヴィキ勢力の手にかかり若くして亡くなった、という家庭に育った)のこんな証言があります。

戦後、外国人たちとのある懇談会に彼女が参加した時、フランスの記者からインタビューを申し込まれた。彼の興味は、「世界の果て」のようなシベリアの片田舎から女子どもまでが前線に出て行ったのはソビエト政府が根こそぎ動員をかけたからではないか、ということ。

決然たる思いで彼女が自分の半生について話して聞かせると、猜疑心から質問した記者は一転泣き出して謝罪した。
曰く、フランスでは一次大戦のショックの方が二次大戦よりもっと大きく、多くの人はヒトラーに勝ったのはアメリカのおかげだと思っている、ソ連の人々が勝利のために払った4年間で2千万人という犠牲、あなた方のあまりに非人間的な苦しみなど知らないのです——。

これがいつ頃の出来事で、フランス記者がどのくらいの年齢だったのかは明記されていませんが、彼女の出征時の年頃や「非常に若く見える」という記者の言葉があることから推察して、60年代中頃〜後半のことではないかと私個人は考えています。
今エントリ中に提示されているフランスでの年代別アンケートを見るとその頃の数値は示されていませんが、ソ連こそナチ打倒の立役者だったという当たり前の認識は、おそらく戦後20数年で人々の記憶から消し去られてしまっていた、ということでしょう。

プロパガンダの恐るべき「成果」に愕然とします。
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露文で恐縮 (И.Симомура)
2020-05-14 20:18:01
前妻に「大祖国戦争勝利記念日」の祝いのメイルを送ったところ,すぐさま彼女から感動的な返電がまいりました.このサイトのルッソフィルの方々と共有したく投稿いたします.
Добрый вечер, мой милый Носке!
Большое СПАСИБО тебе за поздравление! Очень приятно. День Победы — это святой день для всех россиян. В каждой семье есть те люди, которые перенесли все трудности войны. Я родилась через 15 лет после войны, и мама очень много рассказывала, как они жили во время войны. Мама 1932 года рождения, во время войны она была девочкой, они жили в деревне и много голодали, ели траву, смешанную с мукой. А папа не любил говорить о войне. Видимо, не хотел рассказывать о том, что он пережил на фронте. Он воевал на Западной Украине в войсках НКВД. Этот праздник всегда был очень трогательным и остается таким теперь. Раньше я всегда приходила в этот день к родителям, поздравляла их с Днем Победы. А теперь уже много лет некого поздравлять. Только в памяти храню воспоминания. И рассказываю Ангелине, чтобы она понимала, что такое война. Всем горя досталось. И в Японии это было трудное время. Дай Бог, чтобы оно не повторилось!
Целую тебя, мой милый,
Наташа
彼女の父は無口でした.NKVD(内務省)軍の兵士だったのです.
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