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墨映画(BOKUEIGA)

映画を墨彩画とコメントで紹介する。
映画好き・絵好き・書道好きなどなど。好きなこと寄せ集めのブログ。

風が強く吹いている

2009-12-15 21:15:32 | 映画(か行)
「たのみます」想いを継ぐ
自分だけの成果ではない。みんなで共に走ってこその成果。

【STORY】(goo映画様より引用させていただきました。)
寛政大学4年生のハイジはある日、貧乏な新入生カケルを陸上部の寮・竹青荘に連れてきた。カケルはかつて天才ランナーと呼ばれたが、今は陸上部に所属していない。竹青荘の寮長も務めるハイジはカケルに対し、陸上部入部などを条件に家賃格安の竹青荘への入寮を許可。そしてここからハイジの野望が始動する。それは寛政大学陸上部で箱根駅伝に出場すること。ハイジは長距離専門の竹青荘メンバーらを徐々にその気にさせていき……。

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スポーツ物。結構好きですね。
目標があって、それに向かってがんばって。やったー。
ってな具合に分かりやすい。
その例に漏れず、感動をよぶ作品でありました。

展開として、ベタな部分は否めませんが、それでも感動させられるところは脚本の力でしょうか。
カメラも非常に工夫されていました。
印象に残ったのは、朝日だったか日陰の中、列を作って走るメンバー。
順番にまるでスポットライトを浴びるが如く一人ずつ照らし出されてゆく様子は、美しかった。
夕日の中を走るシーンも綺麗。
外競技だけに、自然のひかりや色を利用したカメラワークが映える作風を取っていました。

「こいつの為なら仕方ない。ムリもするさ。」
その気持ちがメンバーを束ねてゆく。
なかなか、そう思ってくれる仲間には出会えるものではないし、仲間にそう思わせる力はおいそれと備わるものではないだろう。
そんな仲間にめぐり合える素適さを感じられる。
これって、やはりスポーツならではなのかな。

とにもかくにも、さわやかさ溢れるスポーツ映画に出会ってしまった。
だから映画好きはやめられない。


機動戦士Zガンダム 星を継ぐ者

2009-11-24 20:31:46 | 映画(か行)
「シャア!」
戦いの中、呼び合う二人の心。

【STORY】(シネマ・トゥデイ様より引用させていただきました。)
富野由悠季が総監督、原作、脚本、絵コンテを担当した劇場3部作の第1弾。ほぼ1年の歳月を経て作り上げた壮大な物語と映像はファン必見。なおテーマ曲は若者に大人気のGacktが歌っている。
地球連邦政府とジオン公国の大規模な宇宙戦争から10年弱がたった。ユニバーサル・センチュリー0087。地球に住む人々とスペースコロニーに住む人々との確執は続いており、人々の魂もいまだ地球の重力から解放されていなかった。

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機動戦士Zガンダム 星を継ぐ者 - goo 映画


タイプが違うからこそのガンダムの30周年記念としての企画。劇場版ガンダムシリーズの振り返りレビュー。
もうすぐ12月というのにまだこんなところ。
少し、巻きをかけねば。

ガンダムの2作目としての話であるZ。その劇場版第一作目。
新たな主人公を迎えての本作品であるが、気になるのはやはり、前作のキャラクター達の同行なのです。
ラストシーンでの、アムロとシャアの再会。
TVでのセリフの方が好きです。
しかし、先の戦争以来の再会。二人は戦いの中、ずっと共に戦いつづけてきたが如くのシーン。
さすがは、ニュータープの二人なのでした。
全編を通していえるのは、前作のキャラクター達が出演するも、カミーユの生き様への影響がさほどあるように感じられない点が残念でならないZです。

先のシリーズよりは、戦争映画の装いは薄く。
エウーゴ・ティターンズの対立組織も、所詮連邦軍内の話。
内戦的要因からそう感じるのかもしれない。
むしろ、ニュータープ論にひとつ解釈を加えた印象が強い。
従って、よりSFちっくな作品であろう。
父親・母親から孤立した主人公は、正に現在の殺伐とした家族背景をうかがい見る様です。
その割に、主人公カミーユはよりは数段素直で、戦士としての成長も早いように感じられるのでした。

とにもかくにも、新たなニュータイプ論第一章の映画に出会ってしまった。
だから映画好きはやめられない。


機動戦士ガンダムⅢ めぐりあい宇宙(そら)編

2009-10-24 18:09:41 | 映画(か行)

「戦いの果て。」

宇宙(そら)での“めぐりあい”は、悲しき別れを伴っていた。
ララアは、何処へ行くのか。アムロとシャアの運命をかき回し、戦いは終局へ。

【STORY】
地球連邦軍基地ジャブローへのジオン軍の執拗な攻撃を退けたホワイトベースは、宇宙へ向けて発進した。今回の主任務は、ルナツーへ向かうティアンム艦隊よりジオン軍の目をそらすこと、すなわち囮となることだった。シャアもまた、ホワイトベースの後を追って地球を発進した。
サイド6では、行方不明の父テム・レイと再会。
酸素欠乏症で脳を侵されている父に絶望する。同じ頃、ララァと呼ばれる不思議な少女出会う。
サイド6を後にしたホワイトベースは、連邦軍の第三艦隊と合流。宇宙要塞ソロモン攻略戦に参加。凄絶な闘いの末、ソロモンは陥落した。しかし、この戦いでスレッガーが死ぬ。アムロとララァ。同じニュータイプの戦士の戦いもまた、悲しみしか残さなかった。
そして、連邦軍は宇宙要塞ア・バオア・クーに向けて侵攻作戦を進める。
アムロとシャア、宿命の対決の決着は。
そして連邦とジオンの戦闘の行方は。

ガンダム30周年を記念してのMY企画。劇場版ガンダムシリーズを追いかける第3段。
いよいよ、1年戦争シリーズの最終章のめぐりあい宇宙(そら)編。

またもや思い入れの深さのため、絵も文章も“産みの苦しみ”を味わってしまいました。

この1年戦争シリーズは、これまでも書きましたが、戦争映画色が非常に強いシリーズだと思っています。
しかしながら、最終章のこの作品は、このシリーズにおける串に当たるニュータイプという考え方。ここが大きく前面に出ます。シリーズ中では、SF色が強いように思います。
さりとて、ガンダムのこのシリーズは戦争映画と思っている私。
爆発するモビルスーツのコックピットで「マリア~~!」と女性の名前を叫んで死んでゆく兵士。
誘爆する火に恐れ、母を呼ぶ兵士。「火、火が…。か、母さーん!」
無名の兵士達のシーンが忘れられない。

アムロもまた自らの手で、ニュータープとして心を通わせたララアを自らの手で殺してしまう。
戦争は、悲しみしか生まないのだろうか。
しかし、ラストシーンはそんな中でも、アムロが真の仲間を理解し、その元へ帰ってゆくシーンは、何度みても感動的。
やはり、スレガー中尉のセリフが全てを語っているように感じられてならない。

とにもかくにも、「悲しいけど、これ戦争なのよね。」の映画に出会ってしまった。
だから映画好きはやめられない。


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機動戦士ガンダム? めぐりあい宇宙編 - goo 映画

空気人形

2009-10-14 15:26:22 | 映画(か行)
「私は心を持ってしまった。空気人形」
心を持ってしまった空気人形。
窓辺でたたずむ心初心者の彼女は、人間の世界を見て何を思うのか。

【STORY】(シネマ・トゥデイ様より引用させていただきました。)
『歩いても 歩いても』などの是枝裕和監督が、業田良家原作の短編コミック「ゴーダ哲学堂 空気人形」を映画化した切ないラブストーリー。心を持ってしまった空気人形と人間の交流を温かく見守る。『グエムル -漢江の怪物-』のペ・ドゥナが空気人形役を熱演。共演者も『蛇にピアス』のARATAや『ニセ札』の板尾創路ら個性派が顔をそろえる。国際的撮影監督、リー・ピンビンのカメラによる情緒豊かな東京の風景と、人形の純粋さに夢中になる。
レトロなアパートで秀雄(板尾創路)と暮らす空気人形(ペ・ドゥナ)に、ある日思いがけずに心が宿ってしまう。人形は持ち主が仕事に出かけるといそいそと身支度を整え、一人で街歩きを楽しむようになる。やがて彼女はレンタルビデオ店で働く純一(ARATA)にひそかな恋心を抱き、自分も彼と同じ店でアルバイトをすることに決めるが……。

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空気人形 - goo 映画

まずは、ペ・ドゥナの脱ぎっぷり。男としては外せない見所のひとつ。
しかし、邪心を打ち払ってくれるほど内容は辛く悲しいものだった。
いわゆるダッチワイフである空気人形。
なぜ心を持ってしまったか。それは、今回関係が無い。
最初は、恋をしたり、親切にしてみたり、はしゃいでみたり。
心を持った故の楽しみが前面に出ていた。
しかし、次第に装いは、孤独や嫉妬、怒りなど、負の装いが濃くなってゆく。
そして心初心者(無知)ゆえの悲劇も起こる。
なんとも悲しい。

心って、一体何なのだろうか。
人間の体にあって感情をつかさどるもの。
しかし、それだけだろうか。
この内容からすれば、頭。
しかし、心を示す時、日本人は胸の内を指差す。
体全体の中心。
正に、人として生きてゆく中心が心なのだろう。
楽しいこともあれば辛いこともある。喜びもあれば怒りもある。
そんな人の中心。
空っぽで空虚な世の中。人の中心も空虚。
だからこそ、空気人形の空っぽの中身に宿った心に惹かれるのかもしれない。

つかみ所の無い内容ではあるが、それがまた、人の心の複雑さを表しているようで。
私にとっては、非常に心に響いた作品であった。

とにもかくにも、「ラースと、その彼女」とは違う映画に出会ってしまった。
だから映画好きはやめられない。


ココ・アヴァン・シャネル

2009-10-07 12:26:05 | 映画(か行)
「結婚しない女」
SYOWを見る彼女。
その先には、一体何を見据えていたのか。
結婚をしない。仕事をしたがる女。
時代の先駆とも言える彼女は、こんな時代を見ていたのか。

【STORY】(シネマ・トゥデイ様より引用させていただきました。)
伝説のファッション・デザイナー、ココ・シャネルの若き日を描いた伝記ストーリー。監督は『ドライ・クリーニング』のアンヌ・フォンテーヌ。孤児として育ちながら、後にファッションを通して女性たちの解放をうたう存在へと成長するココ・シャネルを『アメリ』のオドレイ・トトゥ、彼女の生涯の思い人を『GOAL! ゴール!』のアレッサンドロ・ニヴォラが演じる。想像を絶する体験を重ね、やがて伝説となるヒロインの生き様に注目だ
孤児院で育った少女時代を経て、酔った兵士を相手に歌うナイトクラブの歌手となったガブリエル(オドレイ・トトゥ)。その一方、つつましいお針子として、田舎の仕立屋の奥でスカートのすそを縫う日々に甘んじていた彼女は、将校のエティエンヌ・バルサン(ブノワ・ポールヴールド)の愛人となり、退屈な暮らしを送ることに……。

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ココ・アヴァン・シャネル - goo 映画

シャーリー・マクレーンの「ココ・シャネル」。
http://blog.goo.ne.jp/de-nory/e/f3536aaff610271765719ff685f6ee31

物語の構成の仕方は、「ココ・シャネル」の方が私は好きだ。
晩年からの振り返りのような構成は、観ていて安心感がある。
「ココ・アヴァン・シャネル」と話の時代は、ほとんどかぶっていて同じ時代を描いてる。

ファッションの感じが、同じ題材なのにずいぶん違う感じがした。
どちらかと言えば、「ココ・アヴァン・シャネル」の方がシャネルのイメージに近い感覚だった様に思う。
あまり詳しく無いので、素人感覚だけれど…。

共に素適だったのは、女優さん。
「ココ・シャネル」のバルボラ・ボブローヴァもいい演技だったと思う。
オドレイ・トトゥは、チラシを観ているとすごく綺麗な人。
チラシの写真はラストのほんの1シーン。
それまでは、それほどの美人に見えない。これは女優さんの力だよな。
飾り立てせず、しかも注目を浴びるようなセンスが光っていた。女性をあまり美化せず自然体で描いていたように感じる。
より、身近な存在としてシャネルと言う人を感じられたように思う。
「ココ・シャネル」は教訓めいたところが感じられるが、そういった感じが薄く、包み隠さない姿が、女性からは共感を呼ぶかも知れない。
女性としての生き様を描いたのが「ココ・アヴァン・シャネル」。ビジネス的見方からシャネルの生き様を描いたのが「ココ・シャネル」なんだかそんな印象を持った。
「ココ・シャネル」は男性向き、「ココ・アヴァン・シャネル」は女性向きといった感じだろうか。


とにもかくにも、素顔のシャネルの映画に出会ってしまった。
だから映画好きはやめられない。


【劇場版】機動戦士ガンダムⅡ 哀戦士編

2009-10-03 12:19:43 | 映画(か行)
「そして、宇宙(そら)へ…。」

哀しみの地上戦。
哀しみを地球の重力に縛り付け、ホワイトベースとクルー達は新たな戦場、宇宙(そら)へと進む。
キッカ達が、戦死した中間達に手向けた花束が、空を舞う。

【STORY】
宇宙世紀0079年。地球総人口の半数が宇宙を故郷にして五十年。サイド3というスペースコロニーがジオン公国を名乗って地球連邦政府に独立戦争を挑んできた。
ジオン公国の末子。ガルマを退けて、連邦軍の新型強襲揚陸艦ホワイトベースのクルー達は、連邦軍本部シャブローへ向っていた。
ガルマの敵討ちを命ぜられたランバ・ラル率いる独立部隊が彼らを追う。
アムロは指揮官ブライトと対立しガンダムと共に逃亡。逃亡先でランバ・ラルと出会うアムロ。そして、ラルの攻撃に再び船に戻る。凄絶なラルとの戦いの末、ラルは自爆した。
ヨーロッパでの大きな作戦。オデッサ作戦が始まる。
リュウ、マチルダが戦死、少年たちは悲しみに沈む。
戦いは連邦軍の優勢で進み、作戦には勝利を収める。
なんとかシャブローにホワイトベースは到着した。その頃、地球連邦軍本部は宇宙戦略を急ぐことを決定、囮としてホワイトベースが地球を飛び立った。それを追う、シャア。


この作品もTVシリーズの流れを追ってはいるものの、随所に劇場版ならではの扱いが施されている。
しかし、それが良かったかというと、そうともいえない部分もある。
リュウ・ホセイの死。
ランバ・ラルの弔い合戦を行うハモン。
ハモンの乗るマゼラトップにリュウのコア・ファイターが特攻。
ホワイトベース・パイロットの兄貴的存在の彼。その死は、クルーがひとつにまとまるきっかけとなる意味のある死なのである。
映画ではこの戦闘はオデッサ作戦の最中に起こっている。
リュウの死の後、マチルダもその命を落とす。
そのため、マチルダの死が前面に出てしまった。
アムロの「マチルダさ~ん。」の絶叫でオデッサ作戦のエピソードは終わる。
なんとも、扱いが気の毒なリュウさん。
劇場版でよかったところは、コア・ブースターだろう。
Gファイターは、ガンダムとのドッキングがあったり、兵器感が無い。
他に、GMの工場に仕掛かられた爆弾を、カツ・レツ・キッカの3人が捨てに行くシーン。
アムロに車を乗り換えてもらって、車を谷底へ。
「アムロ~!飛び降りて!!」
三人の叫びは、ラストシーンへの布石のよう。
未来を担う子供達のニュータイプへの兆しか。
などなど、劇場版独自のアレンジが素適な部分も多いように感じる。

しかしながら、戦争映画の色濃い感じ。
特に地上戦であることから戦争のリアル感も増すというもの。
物語の中心的キャラクター達が死んでゆく。
正に「哀戦士」なのだ。

とにもかくにも、哀しき戦士たちの映画に出会ってしまった。
だから映画好きはやめられない。


機動戦士ガンダムⅠ【劇場版】

2009-09-25 15:29:34 | 映画(か行)
ガンダム30周年にあたり、実寸ガンダムを見逃してしまった私としては、手をこまねいているわけには行きません。
劇場版作品を中心に、再度ガンダムを振り返ってみようと思います。
劇場版Ⅰ~Ⅲ
劇場版ΖⅠ~Ⅲ
逆襲のシャア
1年戦争に登場するキャラ達が関わる、この7作品を随時レビューUPしてゆきます。
その第一弾。

「崇」
壮大に高くそびえ立つ。
新兵器はかくも壮大にサイド7の地に立ち上がった。
しかし、その後は兵器ゆえに悲しき戦争の只中へ。
戦いに巻き込まれてゆく少年・少女達と共に。

【STORY】
宇宙暦0079年。百億人近い地球総人口の半数が地球周辺に浮かぶスペース・コロニー(宇宙都市)に移民していた。地球から一番遠いコロニー、サイド3はジオン公国と名乗って地球連邦政府に独立戦争をいどんできた。ジオン公国は独裁政権、ザビ家がその統制を行っていた。レーダーを無力化する物質、ミノフスキー粒子の発見が、人型の兵器モビルスーツでの戦いを有利にしていった。先行してモビルスーツ“ザク”を開発したジオン軍は戦いを有利に運んでいた。
遅ればせながら連邦軍もモビルスーツの開発に成功、最終テストをコロニー、サイド7で行なっていた。
ジオン軍の戦闘指揮官シャア・アズナブル少佐が、その開発を察知する。
偵察にザクを送り込む。サイド7は戦場となっていった。
サイド7に住む機械マニアの少年、アムロ・レイは、父の開発したガンダムとその解説書を偶然に入手。ジオンと戦う運命をたどる。
広大な宇宙空間を舞台に、泥沼化する戦闘のなかでアムロと仲間の少年・少女たちは一人前の戦士として成長していく。

ガンダムⅠは、劇場版作品とはいえ、TVシリーズのオムニバス的要素を色濃くもっている作品。
劇場版ゆえの独自の展開は、他に比べると薄い印象だ。
しかし、短時間でまとめている関係だろうか。戦争映画の印象を非常に受ける。
戦術・戦略面もさることながら、戦争に巻き込まれ、戦ってゆかざるを得なくなった少年・少女達。
悲しんでばかりいられない。戦士にでも何にでもなって、生き抜いてゆかねば。
戦争をはじめた大人達の同行は、Ⅱ以降語られる。
その導入編としてはうまくTVシリーズをまとめた作品だと言えるだろう。
主人公のアムロが決して“いい子”ではないところがこの作品の魅力であろう。
彼の成長が分かりやすい。
複数のキャラクター達が、それぞれの立場でそれぞれの物語を持っている点も楽しみのひとつである。
シャアとセイラの兄妹物語がその最たる物であろう。
敵同士に分かれてしまった二人の行く末も展開期になるところであろう。
作画的には、あまり新たな書き込みが多くない。ここでもTVシリーズを継承する形だ。
しかし、新たに書き込んだ絵。特にキャラクター画は安彦氏のやわらかい線が非常に出ていた。

ロボットアニメが悪を倒すヒーロー者を描くことが、大勢だった当時。
かっこいいメカを兵器として描いた本作品。今の世界に誇るアニメ大国、日本を継承させていっている事に多大なる影響を与えていることは間違いない。
「アニメの殿堂」。箱物の建設を止め、その分人材育成などに費用を使うことを決めた民主党。彼らの「器ではない。」という政策はとても評価できると思っている。
韓国が映画産業に力を入れたことで、勧告映画の評価や韓国人俳優のハリウッド映画への進出が飛躍的になったと思う。
日本もアニメでそのような活動をせねば!

とにもかくにも、アニメな戦争映画・導入編に出会ってしまった。
だから映画好きはやめられない。


クリーン

2009-09-22 20:38:00 | 映画(か行)
「命長辱多」(命長ければ辱多し)
長生きはめでたいことである。しかし、長き故に多くの屈辱を受ける。その屈辱を乗り切ったからこそ、長き人生が大きな喜びとなる。

【STORY】(MovieWoker様より引用させていただきました。)
フランス人監督オリビエ・アサイヤスが、かつての妻であるマギー・チャンをカンヌ映画祭主演女優賞に導いた感動作。人生の"再生"というテーマを美しい映像で描き出す。
歌手を夢見るエミリーは、ロックスターの夫リーをドラッグの過剰摂取で突然失う。夫の両親の元で暮らす幼い息子を引き取り、自立しようと決意するが、思いばかりが空回りしてしまう。そんなある日、息子と数年ぶりに再会する。

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クリーン - goo 映画

ドラックの過剰摂取で死んでしまう夫。しかし、同じドラックをする妻エミリーは生き残る。そして、逮捕・投獄・脱ドラックの苦しみ。子供と共に暮らせない悲しみ。
正に屈辱を受ける。
死んでしまった夫は受けることの無い屈辱。
彼女は、もがき苦しみながらも、自らの好きなことで人生の再起をかけた。
気持ちがすれ違いながらも、子供と再会し、共に過ごすことで再起の思いはより強くなるであろう。
苦あればこそ楽しい。
失敗すればこそ成功の喜びがある。
死あればこそ力いっぱい生きられる。
いろんなことが、このようなパラレルな関係にある。
人生は正にそういうものであろう。

先日、のりピーが釈放されました。
彼女とエミリーとがダブります。夫婦でドラック。子供もいる。
なんだか非常に近いものを感じます。
彼女はどうなるかは分かりません。しかし、お母さんであるが故に、彼女の人生の再生を願わずにはいられません。
この苦が彼女の糧にならんことを。

とにもかくにも、浮き沈みこそ人生の映画に出会ってしまった。
だから映画好きはやめられない。


ココ・シャネル

2009-08-26 21:37:23 | 映画(か行)
ブランド品。私にとっては、ほとんど興味が無い世界。
ファッションに気を使わなくは無いのだけれど、「有名ブランドでないといかん。」ということは全く無い。
そんな、私でも知っている「シャネル」。
その創始者ココ・シャネルの半生を描いたドラマである。
シャネルって、帽子屋さんから始まっているのだとは、知らなかった。
香水や、黒色基調の服の印象が強いけれど。そう、後「C」を基にしたロゴ。
この辺は、映画中では、サラリとしか触れられていない。

シャーリー・マクレーンが往年のシャネルの貫禄ある姿を好演している。
彼女は、最近「イン・ハー・シューズ」でキャメロン・ディアスのおばあちゃん役が記憶に新しいところだろうか。
そして、若き日のシャネルを演じたバルボラ・ボブローヴァ。彼女もすばらしい演技をしていた。
これからも注目したい女優さんだな。

ファッション界へ復活をするための第一回のショウで苦評を浴びる。しかし、そんなことにはめげず、2回目を企画実施する。
そんな中、差し込まれてゆくシャネルの若き日の苦労、そして躍進の日々。
仕立てもなかなかで見ごたえがあった。
「失敗あるからこそ前に進める。」
シャネルが言うから重みがあるのか。
当たり前に感じることなのだろうが、こんな簡単そうなことが、なかなかこだわって突き詰められないのが、我々なのだな。と痛感する。

とにもかくにも、大成をなした人の言葉は深いイイ。の映画に出会ってしまった。
だから映画好きはやめられない。

【STORY】(シネマトゥデイ様より引用させていただきました。)
現在でも世界中で愛されるトップブランドの創始者でデザイナー、ココ・シャネルの半生を描く伝記ドラマ。第二次世界大戦後、亡命生活を終えてファッション界へカムバックを果たした1954年以降のシャネルが、自身の駆け出しの時代を追想する2部構成で、世界で最も有名なデザイナーに肉迫。シャネル役は、オスカー女優シャーリー・マクレーン。ビンテージの宝石やバッグなど、それぞれの時代のシャネルファッションにも注目。
1954年のパリ。空白の15年を経てファッション界に戻り、復帰コレクションを用意したココ・シャネル(シャーリー・マクレーン)のオートクチュール店には、たくさんの評論家や顧客が集まった。しかし、コレクションは不評に終わり、シャネルと、ビジネス・パートナー、マルク・ボウシエ(マルコム・マクダウェル)はがく然とする。


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こわれゆく世界の中で

2009-06-15 12:53:56 | 映画(か行)
実をいうと「夏時間の庭」を観る前にDVDで見た。
この映画、全くターゲット外で、レンタルビデオ店でふと目に止まった。
一見すると、SFチックなタイトル。目に止まったのは、そのあたりか。
ジュード・ロウとジュリエット・ビノシュ。何で公開当時目に止まらなかったかが、ふしぎ。
ジュリエット・ビノシュは、「ホウ・シャオシェンのレッド・バルーン」
http://movie.goo.ne.jp/contents/movies/MOVCSTD12562/index.html
で人形劇団の主宰。華やかな女性を演じている。
本作品と非常におもむきを異にする女性だ。

ボスニア移民の女性との三角関係のエピソードを絡め、図らずもお互いを傷つけ合ってしまう愛の形が浮き彫りにされる。これゆくのは人と人との関係なのかも知れない。
コミュニケーション不全などの問題を盛り込んだ本作。自分自身は、上手くいっているつもりが、すれ違いを起こしている。
やさしさと言う名のオブラートに包まれ、本来の姿を見せないがゆえに誤解を生んでしまったり。なぜか、人との関係は不毛の現代ではないか。
そんなことは、我々の周りにも多く存在するように思う。
ともすると、陳腐な不倫映画に終わってしまいそうな展開であるが、そこがアンソニー・ミンゲラ監督の技か。
他の人とじっくり話したり、話題になったり、したりする映画ではないように思う。
見終わった後、一人で黙々と考えてしまう。そんな映画のように感じる。

とにもかくにも、コミュニケーションが下手な現代人に捧ぐ映画に出会ってしまった。
だから映画好きはやめられない。

【STORY】
「イングリッシュ・ペイシェント」の名匠アンソニー・ミンゲラ監督が“真実の愛”をテーマに紡ぎ出すラブ・ストーリー。
現代のロンドンを舞台に、繊細な恋人と情熱的な未亡人という対照的な2人の女性。その間で葛藤する男性の姿を描く。
ロンドンで建設業を営むウィル(ジュード・ロウ)。ロンドンの治安の悪い地区の再開発を手がけていた。恋人リヴ(ロビン・ライト・ペン)と彼女の娘ビー(ポピー・ロジャース)とともに暮らす。そんな中、オフィスの窃盗事件をきっかけに出会ったボスニアの未亡人アミラ(ジュリエット・ビノシュ)に心引かれ始める。
主演は「コールドマウンテン」でもミンゲラ監督とタッグを組んだジュード・ロウ。「ショコラ」のジュリエット・ビノシュ、「美しい人」のロビン・ライト・ペンら2人の実力派女優との競演に注目。

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