DALAB情報発信用ブログ:OpenCAE+GPGPU+Peridynamics編

DALABで行っている研究活動の中で、OpenCAEやGPGPUや破壊解析の取り組みについてまとめてゆきます。

本当は全然違うのに!

2005年10月17日 09時30分16秒 | Weblog
一応、教員という職業だが、常日頃行う活動において、それは本当は全然違うのに、混同していて、まずいんじゃないのと思うことが、しばしばあるので、それをまとめておく。
「教育と研究」
自分の職業の種類を説明するとき、教育研究職と言うことがある。また、組織の使命にしても、教育および研究とあるが、これらは全く異なる方向性を持つ活動であって、一人の人間がどちらもこなすことは、本質的に無理だと思う。まあ、どちらも適当に中途半端に行うのなら良いが、どちらも一人前にやろうとするのは諦めたほうが良い。
まず、教育のプロは教師であって、教育方法の研鑽はするが、それはあくまで教育の対象である生徒らの成長を願ってのことであり、結果的に本人のスキルが上がるのは副産物だと思う。それに対して研究者のプロは、あくまで自分自身の興味を実現することのみを考えており、結果的にスタッフのスキルが上がるのは副産物に過ぎない。つまり、主体と対象を考えると、教育は対象を中心とした活動で、研究は主体を中心とした活動だから、これらの特性は全く異なり、これら両方を一人前に出来る人間などいないと思う。このごろ、高等教育機関で、これら両方の使命を適当に混同していたのが、区別する方向にある。高専はどちらかと言うと教育機関なので、研究は2次的な目標なのだが、そこが矛盾してしまっている。
「研究と開発」
一応、研究者を目指してきた柴田だが、最近の活動はもっぱら開発に集中している。これまで、この2つを区別せずに行ってきたが、これらもはっきりと異なる活動だと分かってきた。まあ、関連はあって連続しているものだが、フェーズはや意識は完全に異なっている。ここのところを意識して区別していないと、自分の活動が冷静に判断できなくなる。
まず、研究と言うのは狭い意味では真理の探究であって、対象についての知見を増やすことを目的としており、対象自体に手を加えてはいけない、基本は観察なのである。一方、開発と言うのは未知の創造であって、これまでにない対象を作り出すことを目的としており、対象自体を変えてゆくことが本質で、基本は創造なのである。柴田の興味はもっぱら開発にあって、世の中を変える研究のためには、これまでにない新しいものを創造することが不可欠であって、そのための調査や設計などは必要だと思うし、創造したシステムが社会的にどのような効果があるかを評価することまでは興味の範囲である。しかし、他人が作ったものを調査分析するだけ、気まぐれな人間の指向をアンケートするだけ、なんて全く興味がないし、意味もないと思う。
しかし現実の場合、これらが厳密に区別されるかと言うと、お互いが連携する部分もあるとは思う。しかし、それを実現するためには、両方をこなす高度な能力が必要であって、余程の人物でないと難しいと思う。これを実現できる人物が、俗に言う「スゴイ人」なんだろうな。

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