だいずせんせいの持続性学入門

自立した持続可能な地域社会をつくるための対話の広場

「自分らしく暮らし、働く場」としての田舎

2018-04-05 14:08:23 | Weblog

「従来、過疎地域に内在する価値として、食料生産、環境保全、水源涵養等の公益的機能が挙げられることが多いが、これに加え、『自分らしく暮らし、働く場』としての価値があることについても、本研究会の調査報告を通してあらためて広く認識される機会となることが期待されるとともに、今後の過疎対策のあり方を考えるに当たっては、このような視点を反映した検討が求められる。」 『「田園回帰」に関する調査研究報告書』(総務省地域力創造グループ過疎対策室、平成30年3月、p28)

 このことは、過疎地の現場で地域づくりに携わる者にはもう常識であるけれども、政府によって確認されたことは意義深い。この調査では、移住者に対するアンケート調査を行っている。都市から過疎地へ転居したもののうち、「『地域の魅力や農山漁村地域(田舎暮らし)への関心が、転居の動機となったり、地域の選択に影響した』と回答した人は全体の27.4%」(p.23)である。こう答えた人が我々が言ういわゆる移住者である。その人たちに移住した理由を複数回答可で問うたところ、

1位 「気候や自然環境に恵まれたところで暮らしたいと思ったから」(47.4%) 

2位 「それまでの働き方や暮らし方を変えたかったから」(30.3%) 

3位 「都会の喧騒を離れて静かなところで暮らしたかったから」(27.4%) 

という結果であった(p.24)。「それまでの働き方や暮らし方を変えたかっ たから」というナイーブな選択肢を用意したアンケートの設計者に拍手を送りたい。1位の自然環境を求めて、や3位の都会の喧騒を離れてというのも、この「それまでの働き方や暮らし方を変えたかったから」という理由のバリエーションだと思われる。「暮らし方を変える」具体的な内容が、自然に恵まれ、都会の喧騒を離れた環境で暮らすということなのだと思う。

 「それまでの働き方や暮らし方を変えた」い理由はさまざまだろう。ブラックな会社に耐えかねて転職したい、と思ったのかもしれない。このまま働いて何十年後の自分の姿を上司に重ね合わせて幻滅したのかもしれない。窮屈な雇われる働き方ではなく、やりがいのある事業にチャレンジしようと思ったのかもしれない。あるいは離婚を機に転居することになったのかもしれない。体や心の不調によって今の生活が続けられなくなったのかもしれない。

 人生には、それまでのことを全てリセットしてみたい、ということが必ずある。その時に、今の日本では田舎に移住するという選択肢がある。これはとても幸せなことである。

 日本の田舎には、担い手不足で荒廃しつつあるとは言え、春には花々に華やかに彩られた山、夏にはむせるばかりの緑に覆われた集落がある。川には透明の清らかな水が豊富に流れる。秋には黄金色に輝く田んぼと紅葉の山。冬の雪に沈む景色も格別だ。 

 海外を見渡せば、田舎というのは一般的には山には木がなく、川は枯れ、村の中はゴミだらけで荒廃している。人々は都会に出て行き、都市近郊にはスラムが広がる。世界を旅して、日本のような美しい田舎にはなかなかお目にかかれない。

 日本の高度経済成長の時代。若者は「金の卵」として大挙して都会に出て行った。田舎はもう半世紀も人口減少が続いている。それでも、日本では田舎が消滅しなかったという点は高く評価されるべきことだと私は思う。都会で工場が立ち並び、郊外の住宅団地ができ、華やかな商業地ができていく一方で、田舎には大変な金額の公共投資が行われ、農地の改良・基盤整備、河川改修、砂防工事、道路建設などが行われた。農業生産が増大するとともに、その労働生産性が格段に向上し、余った時間で土建業を立ち上げたりそこで雇用されたりして、人々は兼業農家になった。そのおかげで収入は増大し、都市住民と遜色のない豊かさを手に入れた。

 戦後の拡大造林政策によって人工林が増えた。1980年代半ばまでは木材の価格は高く、山の木は財産だった。子どもが大学に進学するとか、娘が嫁に行く時には、山の木を伐ってお金にすればよかった。このゆとりは都会で暮らす者には考えるべくもなかった。

 そのような中で、集落の自治は維持されてきた。集落の共同の草刈りや神社のお祭りは今でも集落総出で営まれている。集落に外灯をつけるなどという些細なことも、皆で話し合い、行政に要望したりして実現している。美しい田舎の風景は集落の自治の賜物である。

 このように豊かで美しく自治力のある田舎に、今、都会から若い人が移住して来る。自分らしく生きられていない現実を、いったんリセットしようとして。

 自分らしく生きるとはどういうことか。自分の中にはその答えはない。他の人や自然との関わりにおいてはじめて分かるものだ。圧倒的に巨大な社会にひとりで立ち向かわなければならない都会の暮らしはいかにも過酷だ。そこではよほど特別なスキルがない限り、自分がいなくなっても誰かがその穴を埋める。自分はそれだけの存在だ。

 田舎に来ると、何でも自分でやってしまうカッコイイじいちゃんたち、絶品の漬物をつくれるカワイイばあちゃんたちに囲まれて、他でもない自分が、ただ若いということでそこに必要とされたりする。道端でかわすたわいもないおしゃべりさえ、都会では得がたいものだ。かけがえのない人たちの間で、自分もかけがえのないひとりになる。頬に感じる陽の光や風、触る土の感触。そういうものの中に自分らしさが実感される。その手ごたえを求めて、移住者はやってくる。その姿に触れることができること。高度経済成長とともに成長した世代である私は、複雑な気持ちもありつつ、幸せに思う。

 しかし、残された時間は多くはない。集落の多くは限界を超え、消滅に向かっている。限界を超えた集落に移住することは難しい。まして消滅した集落に再開拓に入るのはとてつもなくたいへんだ。一つでも多くの集落を残して、「自分らしく暮らし、働く」人が一人でも多くなるように。みんなで努力していきたい。

 

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