瘡守稲荷神社
鎮座地 山王下1-622
祭神 倉稲魂命(うかのみたまのみこと)
旧格式 無格社
別当寺 村民持ち
例大祭 2月初午
解説
山王下地区で祀られていた祠。
もとは北側の山頂にあったが、多摩ニュータウンの造成により現在地に遷った。
皮膚病の治療に霊験あらたかで、土の団子を供えて治癒を祈願し、治ると米の団子を供える風習がある。
かつて例大祭の前夜には、ビシャ講というお日待ちがあった。
境内には付近の開発で遷された小祠がいくつかある。
その中のひとつに鶴供養塔がある。(ちょうど写真右側電柱の後方)
江戸時代当地では鶴を殺すと死罪であったが、ある村人が傷ついた鶴を助けようとしたところ、かなわずに死んでしまった。
役人が捕縛に来た時、名主の五兵衛は「彼は(町田市)図師の鍛冶屋へ鍋のツルを売って来たのであって、鶴を打ったのではない」と言い訳して、村人は助かったと言う。
その後鶴の供養塔を造り、この付近の地名は鶴牧になったとの事。
鎮座地 山王下1-622
祭神 倉稲魂命(うかのみたまのみこと)
旧格式 無格社
別当寺 村民持ち
例大祭 2月初午
解説
山王下地区で祀られていた祠。
もとは北側の山頂にあったが、多摩ニュータウンの造成により現在地に遷った。
皮膚病の治療に霊験あらたかで、土の団子を供えて治癒を祈願し、治ると米の団子を供える風習がある。
かつて例大祭の前夜には、ビシャ講というお日待ちがあった。
境内には付近の開発で遷された小祠がいくつかある。
その中のひとつに鶴供養塔がある。(ちょうど写真右側電柱の後方)
江戸時代当地では鶴を殺すと死罪であったが、ある村人が傷ついた鶴を助けようとしたところ、かなわずに死んでしまった。
役人が捕縛に来た時、名主の五兵衛は「彼は(町田市)図師の鍛冶屋へ鍋のツルを売って来たのであって、鶴を打ったのではない」と言い訳して、村人は助かったと言う。
その後鶴の供養塔を造り、この付近の地名は鶴牧になったとの事。