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いつか素晴らしい世界になって、誰でもが望む旅を楽しめる、そんな世の中になりますように祈りつづけます。

残酷な歳月 28 (小説)

2015-12-28 10:29:08 | 小説、残酷な歳月(16話~30話)

残酷な歳月
(二十八)

小さな温泉宿で手伝いをしていた女の人で、六~七歳の女の子を連れて、宿に住み込みで働いていた女性、あの穂高での事故の後、りつ子が小屋締めを手伝った時、無断で小屋にいた母と子だったようだと、ガイド仲間、何人かの話があった事を伝えてきた。

もう、二十七年も前の事だから、確かめる事ができるかはわからないが、もし、糸魚川の宿に訪ねて行くのなら、佐高さんも同行してくれるとも、言ってくれた。

母はすでに、亡くなっている事は事実だけれど、なんとしても、妹の行方を捜さなくては、その事が、ジュノの、今の一番の気がかりであった。

妹の行方に繋がる、どんな、小さな情報でも、ジュノは欲しいと、つい期待を持ってしまうのだが・・・

やはり、糸魚川温泉には、古い話でもあり、又、母と妹が、糸魚川にいたと思われる期間は短いだろう事が想像できたから、何の手がかりも無いままに、ジュノは、冬の日本海の荒れ狂う海を見て、落胆するばかりだった。

母は、樹里の事を誰にも、何も話さず、まるで、樹里の存在を隠すようにして、なぜ、何一つ、手がかりを残してくれなかったのか、いらだちと共に、不思議で、不安な感情を持った。

この、あまりにも、怖いほどの激しく荒れて冷たい冬の海を見て、この海を隔てた先に、生れて、育った、母の国がある!
懐かしい家族の待つ祖国がある!

この海を、どんな思いでみていたのだろうと、母の気持ちを思い、ジュノは胸のつぶれるような痛さを感じた。

母と妹がいたかもしれないと言う海辺の小さな宿!
この小さな宿は、おそらく、母と妹がいたかもしれないが、今までのいきさつを考えた時、母は、自分たちの存在を出来るだけ、誰にも知られないように気をつけて、暮らしていた事を考えると、やはり、難しい事だった。

この小さな宿も、不慮の事故で、十数年前に、代替わりしていた事で、益々母たちの存在を確かめる事は困難だった。

それでも、佐高さんと枕を並べて、その夜は、この小さな宿で、やすんだが、ジュノはほとんど眠れずに、朝を迎えた!

一晩中、冬の海は、波の音がまるで、誰かを呪うかのように、唸り声のように重く、激しく、ほえ続けていた。

ジュノは、何も見えぬ、くら闇の海を、漂いながら、まるで、怒れる魔物が襲い掛かってくる夢を、明け方の浅いねむりの中で、何度も見ていた。

その魔物の姿は、時として、大杉さんのあの優しかった笑顔で、私を抱き上げてくれる姿と入れ替わる瞬間があって、ジュノは、いつしか、怯えと、喜びがない交ぜになる混乱する夢にうなされていた。

何度も同じような夢をみて、よほど、うなされ、怯えていたのか、佐高さんの呼び声で目を覚ました。

ジュノは身体中が冷たい汗にまみれて、鳥肌がたち、悪寒が走っている、全身から、力を奪われたような疲れを感じた。

ジュノの気持ちの中で、あまり期待を持たないようにしては、来たけれど、現実に、何の情報にも繋がらない落胆は大きい、ましてや、冬の日本海は、不気味なほど、深く黒さを増して体を締め付けるように唸る。

ジュノの心を、いっそう暗く、重い・・・
日本海の荒波は、ジュノに、底知れぬ不安と、説明の出来ない、怖さを胸に迫る。

何も知る事が出来ない、心残りは何処までも増幅して母や妹が、ここで暮らした地だと繋がる事の微かな望みさえつかめないまま、いつまでもここにいることも出来ない!

離れがたい、糸魚川の宿にジュノは心を残して、海を眺めていたが、忙しい身のジュノは、佐高さんに諭されるように、糸魚川を離れた。

荒海の砕け散る波
怒りの呼び声にも似て
美しき人の痛み張り裂ける思い
孤独が夜の闇をつつむ
離れすぎた距離
母と子の距離は遠すぎて
もう埋まる事のない
悲しみの海が荒れ狂う
黒い波は深く冷たく
屈辱と焦燥が母を壊した
美しき人の求める
母の祖国の香りは消えて


(壊れ行くジュノ)
糸魚川から帰り、ジュノは、ただ仕事だけを考える日々、けれど、どんなに係わる事を避けようと願っても、避けることの出来ない事は、
『人の死!』

人の死は、外科医という仕事柄、避けようのない場面に立ち会う事も多い。ジュノが、願い、祈っても、友人である、りつ子の死は、避けようのない事だった。

「突然届いた知らせ!」
「覚悟はしていた事だったが、りつ子の死は!」
ジュノにとって、ショックが大きく、ひどく残念な思いと悲しみが残る!

外科医として、最善をつくした事には、間違いはないけれど。

手術前のりつ子の歪んだ性格でのジュノに対する嫌味な振る舞いを避けようとした接し方は、加奈子との後のつながりを思い出させて、無意識の内に、りつ子に係わりたくない気持ちから、やはり、絶対的に、最善をつくしたと言い切れないような、後ろめたさがあって、ジュノは、自分の中にこんなふうな、弱さを持ち合わせていた事にも、混乱した思いだった。

ジュノは心が重く、りつ子の安曇野へ帰る時に見せた、精一杯のつくり笑顔がジュノの意識から離れない気持ちであった。

外科医として、患者さんを、差別する事はない、どんな、患者さんの手術であっても、最善をつくして、ジュノはメスを握る事を誇りにしている。

だが、りつ子に対する感情は、やはり、違っていたのだろうか?
そんな、ジュノの心の揺れを、まわりの人間が知る事などない!



           つづく


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