CURRY_SAMBA

カレーにまつわるエトセトラ。

猿も木から落ちる

2009年11月21日 | 行った!お店カレー
こんなこともあるんだなあ。

おばあちゃんがいなくなって10日後、
おじいちゃんも息をひきとった。

92歳のおじいちゃんは一人暮らしになっても野菜を育てたり、庭木の手入れをしたりして
(→もらったナスでカレー
きっと100歳まで生きるんだろうと思ってた。
それが、ちょっとした転倒であれよあれよ…という間に入院してしまい
結局、おばあちゃんのお葬式の間も一人病院で苦しい時間を過ごした。

すべてが終わったあと、家族からちゃんと話したところ
驚いた顔をした後、「そうか、そうか」と頷いたという。
自分のこと以上に心配していたから、安心したのだろう。
10日後におばあちゃんの元に旅立った。

「これでやっと2人で暮らせるね」

どちらか(だいたいは女の人)が残される場合が多いけど
すぐにまた一緒にいられるなんて幸せな夫婦だなあと思った

                           

おじいちゃんは大正6年生まれ。
戦争でいくつかの戦地に行ったけれど「いっさら弾があたらず」(本人談)
幾多の幸運に恵まれて生き残った。
その後、帰国して電気関係の会社を興し、たくさんの人たちにも恵まれた。
「まじめに働いていればまちがいない」「見栄ははるもんじゃない」
など、人生の大先輩としてたくさんの教訓を子どもたちに残してくれた。


「共栄堂」は大正13年創業。
明治の末、行き詰まった日本から脱出して東南アジアに渡った伊藤友治郎氏は
南方の風俗を紹介し、通商貿易に大いに貢献した。
大正13年、今の東京駅近くに「カフェ南国」という店を開店し
スマトラ島のカレーを提供するものの、関東大震災により倒壊。
その後、レシピを「共栄堂」に引き継いだ。
        (「共栄堂」HPを参考に編集)

おじいちゃんが生まれた大正のカレーを味わいに「共栄堂」へ。
正確には大正時代のスマトラ半島の味なのかな。
それは、ほろ苦くて、実直で、少しがんこな味がした。


(写真/神保町「共栄堂」/ポークカレー800円)

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