このインド旅行で体験したのと(バラナシ駅でのハプニング)
同じくらい、生きたここちがしなかった。
3月11日に起きた東北関東大震災。
その時間は、いつもどおり職場で取引先の営業さんと電話をしていた。
「あれ?ちょっと揺れてません?」(震度1)
「あー、揺れてますねえ」(震度2)
「なんか、けっこう揺れてますよね」(震度3)
「電話しながら地震の話題ってタイムリーですね」(震度4)
「ちょ、ちょ、なんかすごいので、一回切りますね!」(震度5)
まわりの同僚もそれぞれ電話していたが、いよいよヤバイと感じて
みんな一旦電話を切った。直後、立っていられないくらいの大きな大きな揺れ。
「無理ー!!!!」
生まれて初めて、本気で机の下に避難。
この時は本当に死ぬかと思った。
しかし、震源は東京よりもはるか北で、大津波に襲われて…ということを
ニュースで知った。
その日は都内の電車もストップし、帰宅できない人は会社に泊まるか歩いて帰るか
どちらかの選択。すぐにコンビニには夕食を買い求める人が列をなした。
私は幸い自宅まで40分ほどの距離なので、頃合いを見計らって
大勢の人波にのって歩いて帰った。
iPodで聴いていたラジオでは「暗くなったので、女性は一人で歩かないように」と
注意がされて、なかなか家族との電話もつながらず、不安な帰り道だった。
昨日で、地震から1週間がたち、食料や日用品などの物資も
いよいよ避難所に届き始めているようだ。
けれど、毎日のように死者・行方不明者の数が報じられ、
福島原発の動向に神経を使い、電車が動くかどうか気にしながらの生活。
避難所では病気になる人も増えているという。
同じ時間、東京で震度5を体験しているだけに人ごとには感じられず
できることはやっていきたいと思う。
ただ、ボランティアの受け入れ、物資の受け入れはとてもいま
混乱しているもよう。
現実的には、義援金と節電が地味だけど一番の方法のようだ。
被災地の一日も早い復興を、心より祈っています。
さて、インド日記にもどって「アーグラー」。
ホテルで一休みしてまず向かったのは、有名な「タージマハル」ではなく
「アーグラー城」のほう。
理由は単純で、電車が到着した駅のすぐ隣にアーグラー城があったから。
(というより、アーグラー城の隣に、後で駅ができたのだろう)
アーグラー城の入り口
門をくぐって中に入る。
入場料は250Rs(=約500円)。
中にはきれいな花がいっぱい咲いていた。
花火みたい。
広い庭園のような敷地に、宮殿や建物が点在している。
これは「ディワーネ・アーム」という接見のための宮殿。
反対側からのぞいたところ。
「世界ふしぎ発見!」ごっこができそう。
接見の間の内側からみたところ。
「世界ふしぎ発見!」エンディングっぽい。
「ムサンマン・ブルジュ」という塔。
そして遥か遠くに見えるのは…タージマハルだ!
塔の中。タージを眺める親子。絵になるなあ。
少しクローズアップしてみたものの、タージの大きさが全然想像できなくて
この場所との距離感がつかめない。
ちなみに、タージマハルを造った「シャー・ジャハーン」(ムガル帝国5代皇帝)は
息子によってこの塔の中に幽閉され、自分の造ったタージをここから眺めていたという。
「タージマハル…いよいよ見えてきたね」
「おれは観光地は興味ないけどね」
「ここまできて、タージマハル見ないで帰る気」
「そういうわけじゃないけど…」
そして、アーグラー城からタージマハルという超定番のコースは
もちろんリクシャーの総攻撃に遭い、
「オレが」
「いや、オレが」
「むしろオレが」
とけんかになるのを横目に、たまたま通りかかった少年リクシャーに乗り込んだ。
次回はついに、タージマハルを訪れます!
(写真/アーグラー城の塔からタージマハルをのぞむ/アーグラー)
同じくらい、生きたここちがしなかった。
3月11日に起きた東北関東大震災。
その時間は、いつもどおり職場で取引先の営業さんと電話をしていた。
「あれ?ちょっと揺れてません?」(震度1)
「あー、揺れてますねえ」(震度2)
「なんか、けっこう揺れてますよね」(震度3)
「電話しながら地震の話題ってタイムリーですね」(震度4)
「ちょ、ちょ、なんかすごいので、一回切りますね!」(震度5)
まわりの同僚もそれぞれ電話していたが、いよいよヤバイと感じて
みんな一旦電話を切った。直後、立っていられないくらいの大きな大きな揺れ。
「無理ー!!!!」
生まれて初めて、本気で机の下に避難。
この時は本当に死ぬかと思った。
しかし、震源は東京よりもはるか北で、大津波に襲われて…ということを
ニュースで知った。
その日は都内の電車もストップし、帰宅できない人は会社に泊まるか歩いて帰るか
どちらかの選択。すぐにコンビニには夕食を買い求める人が列をなした。
私は幸い自宅まで40分ほどの距離なので、頃合いを見計らって
大勢の人波にのって歩いて帰った。
iPodで聴いていたラジオでは「暗くなったので、女性は一人で歩かないように」と
注意がされて、なかなか家族との電話もつながらず、不安な帰り道だった。
昨日で、地震から1週間がたち、食料や日用品などの物資も
いよいよ避難所に届き始めているようだ。
けれど、毎日のように死者・行方不明者の数が報じられ、
福島原発の動向に神経を使い、電車が動くかどうか気にしながらの生活。
避難所では病気になる人も増えているという。
同じ時間、東京で震度5を体験しているだけに人ごとには感じられず
できることはやっていきたいと思う。
ただ、ボランティアの受け入れ、物資の受け入れはとてもいま
混乱しているもよう。
現実的には、義援金と節電が地味だけど一番の方法のようだ。
被災地の一日も早い復興を、心より祈っています。
さて、インド日記にもどって「アーグラー」。
ホテルで一休みしてまず向かったのは、有名な「タージマハル」ではなく
「アーグラー城」のほう。
理由は単純で、電車が到着した駅のすぐ隣にアーグラー城があったから。
(というより、アーグラー城の隣に、後で駅ができたのだろう)
アーグラー城の入り口
門をくぐって中に入る。
入場料は250Rs(=約500円)。
中にはきれいな花がいっぱい咲いていた。
花火みたい。
広い庭園のような敷地に、宮殿や建物が点在している。
これは「ディワーネ・アーム」という接見のための宮殿。
反対側からのぞいたところ。
「世界ふしぎ発見!」ごっこができそう。
接見の間の内側からみたところ。
「世界ふしぎ発見!」エンディングっぽい。
「ムサンマン・ブルジュ」という塔。
そして遥か遠くに見えるのは…タージマハルだ!
塔の中。タージを眺める親子。絵になるなあ。
少しクローズアップしてみたものの、タージの大きさが全然想像できなくて
この場所との距離感がつかめない。
ちなみに、タージマハルを造った「シャー・ジャハーン」(ムガル帝国5代皇帝)は
息子によってこの塔の中に幽閉され、自分の造ったタージをここから眺めていたという。
「タージマハル…いよいよ見えてきたね」
「おれは観光地は興味ないけどね」
「ここまできて、タージマハル見ないで帰る気」
「そういうわけじゃないけど…」
そして、アーグラー城からタージマハルという超定番のコースは
もちろんリクシャーの総攻撃に遭い、
「オレが」
「いや、オレが」
「むしろオレが」
とけんかになるのを横目に、たまたま通りかかった少年リクシャーに乗り込んだ。
次回はついに、タージマハルを訪れます!
(写真/アーグラー城の塔からタージマハルをのぞむ/アーグラー)