2022年5月9日、大分市で開かれた会合で安倍晋三は1000兆円の政府債務のうち、半分は国債の形で日銀が購入しているとしたうえで、「日銀は政府の子会社なので満期が来たら、返さないで何回借り換えてもかまわない。心配する必要はない」と解説してみせていた。
早速、「『日銀は政府の子会社』...安倍氏発言は本音か?焦りの表れか?」 という批判記事をジャーナリストの白井俊郎が書いていた。
安倍氏は2012年末に政権に返り咲くと、翌13年1月に日銀に「物価目標2%」の導入を飲ませ、日銀にアベノミクスの一翼を担わせてきた。黒田東彦氏を総裁に据えたほか、副総裁、審議委員といった日銀の最高意思決定機関の人事も任命権者とし牛耳り、日銀を事実上、政府の支配下に置いてきた。 この間、空前の異次元の金融緩和を続けさせるなど、日銀を「便利使い」してきたと言っても過言でない安倍氏としては、「政府の子会社」発言に何の違和感も抱かなかったのかもしれない。 しかし、思わぬ批判が沸き起こった。「身内」であるはずの政府・与党内からの猛批判にさらされているのだ。 「日本銀行は政府がその経営を支配している銀行とは言えず、会社法でいうところの子会社にはあたらない」 鈴木俊一財務相は2022年5月13日の閣議後記者会見でこう強調した。 「政府は日銀に55%出資をしているが議決権は持っていない。また、日本銀行には日本銀行法によって金融政策や業務運営の自主性が認められている」とも述べ、安倍発言を全否定した。 安倍氏に推されて日銀トップに就いた黒田東彦総裁も同じ13日の講演で、鈴木氏と同様の説明をしたうえで、「日本銀行の金融政策や業務運営は、日銀法により自主性が認められていて、日本銀行は政府が経営を支配している法人ではない」と反論した。 政府が中央銀行を財布のように扱う「財政ファイナンス」は、各国で深刻な経済の混乱を引き起こしてきた。日本でも大戦中、戦費調達のため大量の国債を日銀に引き受けさせた結果、終戦後のハイパーインフレを招いた。 中央銀行の独立性は「金融政策の初歩の初歩」(アナリスト)とも言える。政府は1997年、新日銀法を成立させ、中央銀行の独立性を明記したほどだ。 「アベノミクス失敗」の批判に、財政政策で挽回か 与党内では、発言の背景に「安倍氏の焦り」を指摘する向きもある。 アベノミクスの下、黒田・日銀は異例の大規模金融緩和に踏み切った。デフレ脱却が狙いだったが、ゼロ金利が長期化すると、いくら借金をしても利払い費が低く抑えられる環境に慣れっこになり、政府の財政のたがが緩みはじめた。 いまや、財源の多くを国債発行に頼るいびつな予算編成が常態化している。 安倍首相在任中に2%の物価目標の達成ができず、野党などから「アベノミクスは失敗だった」との批判も強まっている。そこで、最近の安倍氏は、財政政策に力点を移しているとされる。 自民党の「財政政策検討本部」の会合にも最高顧問として毎回顔を見せ、積極的に発言もしているが、首相を務めた重鎮がこの手の会合に頻繁に顔を見せるのは異例だ。「金融政策でデフレ脱却ができなかったため、財政政策でカバーし、アベノミクスは失敗との批判を回避しようということではないか」(与党関係者)との声がある。 だが、借金漬けの財政運営は容易ではない。巨額の政府債務を抱えたまま、日銀が「物価目標2%」の達成が見えたとして金融政策を変更すれば、国内の金利が上昇して政府の利払い費が膨れあがり、国家財政が一気に傾くリスクもある。 そんな中での「日銀子会社発言」だけに、ある政府関係者は「有権者に政府の借金がいくら膨れ上がっても『心配ない』と強調すると同時に、日銀に対し、金利上昇につながる政策変更はするなとクギを刺す狙いがあったのではないか」と解説する。 この発言が安倍氏の本音なのか、それとも現状への焦りの表れなのか。真相は分からないが、どちらにしても日本の財政・金融政策のゆがみが深刻ゆえに飛び出した発言であることだけは確かなようだ。 |
その「子会社」と言われた日銀の総裁の発言がまたもや炎上しつつある。
政府の擁護紙である産経新聞は日銀総裁の発言を、「日銀総裁『家計が値上げを受け入れている』」と無批判で垂れ流していた。
日銀総裁「家計が値上げを受け入れている」
— 小沢一郎(事務所) (@ozawa_jimusho) June 6, 2022
国民に直に聞いてみたか?妄想か?御自分の家計を基準にしているのか?国民生活の厳しさ、現在の物価高騰の家計への影響を理解もできない人物に、日銀総裁など務まる訳がない。言い訳と自己正当化。いい加減、出口戦略の説明を。https://t.co/C51wjpDipI
「家計が値上げを受け入れている」ってすごいな。「抵抗しなかったから合意があった」とか言われてレイプが無罪になるやつみたいだな
— 古川 (@furukawa1917) June 6, 2022
日銀総裁「家計が値上げを受け入れている」 https://t.co/KoQx0sDTww
地方紙の東京新聞は、「日銀・黒田総裁の『値上げ許容』発言 家計にどれだけ目配りできているか疑問」とのタイトルで疑問を呈し、黒田東彦総裁が発言の根拠として引用しているのは、渡辺努・東京大大学院教授が4~5月に国内の8383人を対象に実施した調査をこう検証していた。
この調査は「いつも行っているスーパーでいつも買うチョコやビールなどの値段が10%上がった」際の行動を尋ねたもの。他店に行かずに「その店で買う」と答えた人が昨年8月の43%から56%に増えたという。 この結果が、「家計の値上げ許容度が高まっている」ことらしい。 前年と比べて賃金上昇が伴わない中での値上げならば、多くの家計にとって物価上昇は「許容している」のではなく「許容せざるを得ない」というのが実態ではないのか。 また「その店で買う」との回答も、資源高や円安は食品などの価格を全体的に押し上げるため、消費者は他店に行くのをあきらめたに過ぎない可能性もある。 |
やはり多くの人のこの総裁発言に対する怒りは収まらない。
「日銀総裁『家計が値上げを受け入れている』発言に『世間知らず』『月給20万円で生活してみろ』と非難轟々」
この記事に対するネット民のコメントのなかで比較的まっとうなものを紹介しておく。
★総裁の真意が分からない。 一部の発言を切り取られて報道されていると総裁は思っているのかもしれない。 例えそうだとあっても、上位の公職者は自身の発言がどのように受け取られるか考えて発言すべき。 これまでの発言を仄聞すると、総裁は国を見て国民を見ていないように思える。 エリートの視点としてはそれが正しくあるべき姿だと考えているのだろうか。 だが消費は消費動向という結果だけでなく、消費マインドも重要。消費できるだけの余裕があり、また消費してもそれに見合う収入が将来も得られる見込みが有れば国民は消費する。 果たして国民は家族を作ろうとか、家族の未来のために消費できる状況だろうか。 やむを得ない必要な消費や、刹那的な消費になっていないか、目配りはできているだろうか。 ★言いたいことは分かるけど、公式の場で使う言葉としては不適切だとは思う。 受け入れているってのも、多分当人からすると経済活動全体が値上げを皮切りに極端に鈍ったわけではない、ってくらいのつもりなんだろうし、鈍るのが予測されてはいるけど、それまでに賃金の向上で対策するのが目標です、って繋げたいんだろう。 でも聞いている一般市民からすると資産への不安が増している中でも生活スタイルをすぐに変えられるわけないだろって反発が出るのは必然だと思うんだよ。 正直言動に危機感がないことは露呈してると思うし、これを下々の人間がまた言葉尻をとらえて反発しているって受け取っても不思議じゃないなあって思う。他人事なんだもの。 ★この様なトチ狂った発言が出てくるのは、なぜか高支持率の岸田政権あっての話である様に思う。 政権というものは決して甘やかしてはいけない…。 国民が常に監視し、おかしな事には声を挙げる事が緊張感のある政権運営に繋がる。 選挙を前にして、予算委員会で首相が消費税の維持を平然と語れる状況…野党も国民も完全にナメられているという事ではないだろうか? ★価格が上がってるのが人件費の高騰による場合は、「家計が受け入れてる」と言えるかもしれない。 給与が上がり、終身雇用ではなくても将来に不安を抱かない状況で、特に苦がなく生活ができてる場合に当てはまる表現だと思う。 今は値上げを受け入れざるを得ない。 でも給与は上がらないので、多くの国民は更なる節約、将来価格がどこまで高騰するのかという不安に備えなければならない。 YouTuberとかはもしかしたらじゃんじゃん使ってくれる人もいるかもしれない。 でも多くの一般人は黒田さんの予想と真逆に、お金もないけど、入ってきたらなるべく貯金するだろう。 仕入単価が高騰し、販売数が減れば企業はコストを抑えるために雇用に手をつけるかも。 黒田さんは足元の経済が見えてないよ。 |
さて、この黒田総裁をと二人三脚で7年半に渡り総理大臣を努めた安倍晋三の影響は、2度目の辞任から1年8カ月余りを経た現在も政界に色濃く残っている。
毎日新聞で政治部副部長などを務めたジャーナリストの尾中香尚里は今回、国会の論戦の場で未だに安倍晋三の存在がちらつく現状や、今夏に控えた参院選で熱狂的安倍晋三支持者の取り込みを狙う日本維新の会の動き等を紹介しながら、辞任から2年近く、政界は結局「安倍の残滓」をまだ消すことができない、というわけか。そして当の岸田首相は、こんな状況の中でいつまで埋没している気なのだろうか」という記事を書いていた。
「まだ参院選も『安倍氏が主役』か?元首相の“亡霊”がチラつく政界の実情」
ところで、胡散臭い話はこれくらいで、もっとわかりやすい安倍晋三のおひざ元の山口県内のあの「有名」な新聞のコラムでは、安倍事務所を「“たかり集団”」と断罪しコイツラを忖度して見過ごしている山口県警も批判している。。
「タダ酒、タダ飯に御用心」(コラム狙撃兵)
駆け出しの頃、「タダ酒、タダ飯には気をつけろ(警戒しろ)!」が先輩記者からの教えで、取材先の知人や他社の記者たちと飲食に行くにしても必ず折半で会計を済ませ、安易に奢られるようなことは慎み、貸し借りの関係を作らないことが徹底されていた。奢ってやった、あるいは奢ってもらったことが始まりでその関係性に優劣が生じ、奢ってもらった側は恩義に縛られて物いえぬ立場を強いられ、奢ってやった側からするとそれは先行投資となって、場合によっては相手に物いわせぬ力を発揮するからだ。「かけた恩は水に流せ、受けた恩は石に刻め」という先人の教えもあるなかで、かけた恩を石に刻む人だっているのが世の中で、タダ酒・タダ飯とはある種の毒なのである。そもそも、他人にタダ酒・タダ飯を奢ってもらって平気であったり、ラッキーと喜ぶ感覚自体が狂っていていじましいが、目先得したような気になって毒饅頭を食らったおかげで、下手するとがんじがらめに縛られるケースもままあるのだ。対等な付き合いを保ち、適度な距離感で居続けたいなら、親しき仲においても折半が無難であろう。 さて、安倍晋三後援会が開催した桜を見る会の前夜祭を巡って、大手飲料メーカーのサントリーがタダ酒を提供していたことが発覚して物議を醸している。時の首相の後援会が選挙区である地元からお上りさんの後援会幹部や支持者を大量に招待し、会費5000円で飲めや食えやの大フィーバーをしていたが、そこで振る舞われていたのが実はタダ酒だったというのだ。本当にみっともなくてどうしようもない連中だな……大の大人たちが恥ずかしくないのだろうか? というのが同じ山口県民としての率直な感想だが、恐らく参加者はサントリーから無償提供された酒だったことなど知るよしもないだろうし、そこを問うても仕方がないのだろう。 時の首相という権力に媚びを売って無償提供したサントリーもサントリーで、見返りを求める企業の下心や魂胆があったと見なすのが自然だ。そのタダ酒を平然と受け取って参加者に振る舞っていた安倍事務所についても、まるで境界線なり政治家事務所としての分別がなく、“たかり集団”みたく思えてならない。日頃からの“当たり前”や癖が露見しただけではないか? と感じさせるのだ。 安倍事務所の秘書をもてなし、パーティー券をまとめて買ってやったり、タダ酒・タダ飯を奢って可愛がってやるかわりに、企業であれば見返りを求めるというのは地元では当たり前なのだろう。口利きで小銭稼ぎしている私設秘書がいないかどうか、特定の企業とか病院の口利き役となって役所に無理難題を持ち込んでいるヤツがいないか等々、警察が真面目に捜査すれば一発でわかることだ。下関市役所で介護報酬の3億円にものぼる過大請求事件がスルーされ、役人たちがゴニョゴニョしているのも、そこのオマエが口利いたからだろ? と私設秘書界隈に向かって思うし、山口県警も忖度ばかりしてないで少しはまともに仕事しろ! と思うのである。 選挙で協力するかわりに見返りを求める、あるいは選挙区において支配的地位についたり、安倍事務所が君臨したコミュニティーのなかでそれなりのポジションにありつけるというのもありがちである。そのようにして選挙区で地盤、看板、カバンが引き継がれ、「御恩と奉公」によって山口4区における自民党支配の政治構造は成り立ってきた。傍から見て、それは政治的信念というよりは、利害関係に拠るものが大きく、仮に利害にありつけないなら「安倍先生! 安倍先生!」と持ち上げるメリットなど何もないのだろう。 桜を見る会の前夜祭は、誰がどう見ても安倍晋三及び安倍事務所による有権者の接待であり、結局のところ「次の選挙をお願いします!」の催しにほかならない。東京における権力を田舎者に見せつけたのであろう。ところがあれだけタダ酒でもてなしたのにも関わらず、昨年の選挙では安倍晋三票は8万票を割るところまで落ち込み、前々回の衆院選から実に2万4000票以上減らす結果となった。歴代最長八年の首相在任期間を経て、モリカケ桜等等、目に余る権力機構の腐敗堕落、けじめのない政治の在り方に嫌気がさして、安倍離れが加速したのだった。 タダ酒飲ませるなら、サントリー提供ではなくせめて自腹で奢りやがれ!(法律違反ではある)とも思うが、今回の場合、会費をとっておきながら酒は原価ゼロとなると、それもまたせこいように感じるのだった。 |
「昨年の総選挙では安倍晋三票は8万票を割るところまで落ち込み、前々回の衆院選から実に2万4000票以上減らす結果」に対して“たかり集団”の安倍陣営ははかなりの危機感を持っているようなのだが、子種のない安倍晋三にとっても将来の自分の地盤の後継者も目途がたっていないし、当面の自分の選挙も同じ自民党員からも脅かされている。
今年の参院選挙は、どうやら「安倍の残滓」を消し始める第一歩となるのではないだろうか、とオジサンは思う。