新・定年オジサンのつぶやき

残された日々をこの世の矛盾に対して勝手につぶやきます。
孫たちの将来に禍根を残さないよう、よき日本を「取り戻したい」。

死者に鞭打つことは許されないがは死者への褒め殺しは冒涜ではない

2023年07月08日 11時40分43秒 | 安倍晋三

一応「時期柄の話題」なので、安倍晋三の銃殺事件1周年記念としての、在京大手紙の社説を覗いて見た。
 
■朝日新聞「(社説)安倍氏銃撃から1年 『分断』の政治のその先へ
 

その政治手法において、安倍氏には際立つ特徴があった。「友」と「敵」の峻別(しゅんべつ)であり、「分断」である。
 味方とは徹底して仲良くする一方で、考えや立場の違う相手は手加減なしに攻撃した。「こんな人たち」「悪夢のような民主党政権」。敵対をあえてあおり、そこから権力行使のエネルギーをくみ上げる手法である。
安倍氏には、改憲への前のめりな取り組みなどに右派的なイデオロギーを感じさせるところがあった。海外メディアに保守ならぬ「急進」ナショナリストと評されたこともある。経済政策では左派的と見られることがあった。外交の場面では、法の支配や、人権、自由といった通常リベラルと形容される言葉を使った。

 
■毎日新聞「安倍氏銃撃から1年 民主主義守る決意新たに
 
歴代最長政権を率いた安倍氏は、敵を明示して対立をあおることで支持層を固め、政治を動かす原動力とした。
 巨大与党の数の力を背景に、集団的自衛権の行使に道を開いた安全保障関連法など賛否の割れる施策を推し進めた。経済政策のアベノミクスは株価を上昇させたが、恩恵は大企業や富裕層に偏った。
 異論に耳を傾けず、丁寧な説明や国会での議論を軽視するような姿勢が目立った。国政選挙で6連勝し「安倍1強」状態を生み出した一方、世論の分断も生んだ。

■讀賣新聞「安倍氏銃撃1年 教訓を生かして安全な社会に」 
 

いかなる理由でも暴力は許されないという認識を社会で共有し、対策を強化せねばならない。
 銃や爆発物の製造方法がインターネットに掲載され、誰でも見られる時代だ。AI(人工知能)で危険な情報を探知し、削除する取り組みを進める必要がある。選挙演説などでは、ドローンで上空から監視することも有効だろう。
自民党内の力学も変化した。安倍派ではベテラン議員がけん制し合い、安倍氏の後継会長を決められずにいる。これでは100人超の最大派閥とはいえ、政策や人事で影響力を行使できまい。
 保守の代表格だった安倍氏の言動は、リベラルの多い宏池会出身の岸田首相に緊張感を与えていた面もある。その「重し」がなくなったこともあってか、首相の政権運営が強引な印象を与え、支持率低下を招いているのは残念だ。

 
朝日新聞、毎日新聞の社説で共通しているキーワードが分断」であった、
 
讀賣新聞のような「いかなる理由でも暴力は許されないという認識を社会で共有し、対策を強化せねばならない」というくだりは、あまりにも教科書的であり、国家最高権力者となった者への暴力(刺殺・銃殺等)は決して無差別ではなく、背景も明らかにされている過去に幾度となく繰り返された歴史的な事実である。
 
いずれにしても「殺されても当然」と言われる人はいないはずで、ましてや「死者に鞭打つ」ことが憚れる日本ではこの程度の内容が限界なのだろう。
 
上記の3つの社説では引用しなかったが、岸田文雄に対するくだりもある。
 
岸田氏は安倍氏の死去後、別の顔も見せ始める
 安全保障政策の転換や、原発活用への回帰などを強引に進めた。国会審議でも、情報を出し惜しみ、説明を避ける場面が少なくない。
 安倍氏の国葬を国会に諮ることなく進め、世論の二分も意に介さなかった。
 多様な民意の包摂と丁寧な合意形成という点では、安倍政治並みか、それ以上に縁遠い、という疑問を禁じ得ない。」
 (朝日新聞)
 
「岸田首相は一昨年の就任当時、「わが国の民主主義が危機に陥っている」と強調し、「国民の声が政治に届いていない」と訴えた。
 この言葉には安倍氏の政治手法に対する反省も込められていたはずだ。しかし、この1年間、国会で議論を尽くさないまま、重要政策を次々と転換した。
 専守防衛のあり方を変容させる「反撃能力」(敵基地攻撃能力)の保有と防衛費の大幅増額で、安全保障政策を大きく変えた。国債頼みの積極財政と合わせ、生前の安倍氏が唱えていたものだ。
 経済政策では、新自由主義に代わる「新しい資本主義」を掲げているものの、格差是正の具体策には踏み込めていない。成長重視のアベノミクスを踏襲しているのが実態だ。」
 (毎日新聞)
 
実は安倍路線を岸田文雄は露骨に踏襲していると指摘しているメディアもある。 
  
『安倍路線』は死去後も加速している…さらに「改憲で安倍さん超えたい」岸田首相 銃撃事件から1年
 
     
                                          【東京新聞より】 
      
◆「検討使」が一変、軍事や原発で国会抜きで方針大転換
首相は7日、安倍氏の死去から1年を前に、官邸で記者団に「安倍氏の遺志に報いるため、先送りできない課題に取り組んできた。こうした姿勢を大事に職責を果たしていきたい」と強調した。
 岸田政権は2021年10月の発足後、政策面で「検討中」を繰り返し「検討使」とも称されたが、安倍氏の急逝後は一変した。
 昨年末、安倍氏が唱えた敵基地攻撃能力の保有や、防衛費倍増を盛り込んだ国家安全保障戦略を閣議決定した。原発政策でも今年2月、60年超への運転期間延長を含め「最大限活用」との基本方針を決定。過去に首相が「考えていない」と発言していた原発の建て替え方針も盛り込んだ。
 政治手法も説明責任を問われ続けた安倍氏を想起させる。安倍氏の国葬は、国会を素通りして閣議だけで決定。安保政策も原発政策も、国会での議論をほとんど経ないまま決めた。
 首相周辺は「敵基地攻撃能力の保有や防衛費の大幅増は、安倍氏だったら反発が大きくてできなかったが、成し遂げている」と首相の自負を代弁する。
 だが、首相が率いる自民党岸田派は第4派閥で党内基盤が弱い。首相が「安倍路線」を突き進むのは、来年9月に任期を迎える党総裁選で再選するため、最大派閥の安倍派など保守派の支持を得る狙いがあるとも指摘されている。
 改憲に関しては、複数の自民党保守派議員が「首相は改憲で安倍さんを超えたいと思っている」と口をそろえ、党幹部の一人も「改憲への首相の思いは本気だ」とみる。
 首相は6月21日の記者会見で「目の前の任期で改正すべく努力するとの思いを(以前から)申し上げている」と語り、来年9月までの実現を目指す考えを強調した。ただ、改憲には衆参両院での3分の2以上の賛成による発議と、国民投票での過半数の賛成が必要。国民の理解を得る十分な説明が大前提になる。
◆「安倍氏以後の自民党の路線はいまだ模索状態」と後房雄教授
 安倍政権と岸田政権の評価や関係性について、愛知大の後房雄教授に聞いた。(柚木まり)
 戦後日本政治で自民党は、社会主義や共産主義に対抗する意味での保守として、福祉政策や地方への利益配分を行う中道左派的役割も担ったが、安倍政権で大きく転換した。「岩盤保守」と呼ばれる日本会議や旧統一教会など、国粋主義的とも指摘される右派的保守の存在が一定の勢力として普通になりつつあり、存在感を強めた。
 安倍晋三元首相は、岩盤保守の支持や期待を集めつつ巧妙に距離を保ち、現実的な政策を取った。右派的保守を一つにまとめられる大きな存在だった。
 これに対し岸田文雄首相は、独自性を打ち出した「新しい資本主義」の中身を明確に発信できず「異次元の少子化対策」も安倍路線と大きな違いを示すほどの実質的内容は含まれない。全体として、安倍氏以後の自民党の路線はいまだ模索状態という印象だ。
 結果として、かなりの部分で安倍政権の政策を引き継いでいる。防衛費倍増や敵基地攻撃能力の保有などは、ロシアによるウクライナ侵略など安全保障環境の変化による側面が大きく、右派的保守の立場に近づいたものとはいえない。
 首相は、自民党総裁任期中の改憲にも意欲を見せるが、安倍氏の死去で右派的保守の勢力は分散し、存在感が薄れつつある。保守派が脅威にならなければ、具体化しない可能性もある。

 
安倍晋三の「分断」手法はそれなりの効果があったのだろうが、政治ジャーナリストではなく、個人投資家であり作家でもある山本一郎は「安倍晋三元首相が凶弾に倒れて1年が経過しようとしている。
7年8カ月という長期政権を築いたが、安全保障や社会保障、日本経済のテコ入れなど対処できなかった国家的課題も少なくない。
「お友達官邸」で政権は安定したが、能力のある人の登用がうまくいかなかったことが必要な政策を推し進めることができなかった一因だ」と、こんな安倍晋三と岸田文雄の評価をしていた。 
 
極右から中道左派まで取り込んだ安倍晋三、悲運の死から1年経って思うこと
安倍政権の負の遺産に苦しむ岸田政権の、マヨネーズのように軟弱な支持基盤

 
2022年7月8日、悲運としか言いようがない事件で安倍晋三さんが亡くなられてから、早くも1年が経過しようとしています。
 安倍晋三さんに対しては、熱狂的に支持する方も、戦後日本政治をダメにしたと批判する方も、賛否両論どちらも多くの声に彩られており、今なおその存在について議論になるあたり、やはりいろんな意味で大きい存在だったのだなと改めて実感します。
 個人的に、安倍さんと直接お話させていただく機会はそう多くはありませんでしたが、ややもすれば「お友達官邸」などと揶揄される同志意識の強さに裏付けられる結束の固さこそが安倍さんの力の源泉だったのだなと思い返すことが、亡くなられてからむしろ増えた気がします。
 というのも、岸田文雄政権における臨時国会閉幕間際の解散するしないのドタバタに関して、各種調査で浮き彫りになった一つの事実があるからです。それは、「まあまあ国民からの支持は集まっているんだけど、熱烈的に岸田さんを支持する人がいるわけではない」というマヨネーズかよと思うような支持基盤の弱さです。
 これは、岸田文雄さんが宰相としてダメだという話ではなく、本来、政党に対する支持というのは空気というか陽炎(かげろう)のようなものであって、質問の仕方や直前の事件報道一つで有権者の支持は揺れるものだからです。社会調査において国民有権者の民意を探ることと、工業製品であるネジが良品かどうかを計測するということとは本質的に異なるのです。
 きめ細かな分析を、と要望されることも増えてきたものの、特に高齢者の方の意識調査の場合、経験則として年金支給日前の調査では政権支持は低めに、年金支給日のあった週末は高めに出るのは「有権者には、現実の、生活があるから」に他なりません。
 政治の役割は国民の生活を豊かで安寧たらしめる目的に他なりませんから、今の生活を振り返って政治姿勢を示すとき、どうしてもそういう目の前のことで支持するしないが揺れるのは当然のことなのです。
 他方、安倍晋三さんというのは不思議な人で、割と劇薬めいた「アベノミクス」と自ら名付けた社会実験のような強烈な量的緩和を強行して、トリクルダウンと称する謎の経済政策で円安誘導をするかたわら、政策的には中道左派、というか左翼のような割と大きめの政府で国民の生活防衛に資する政策を組んでいました。
いわば、上野千鶴子さん的な「みんなで貧しくなろう」的な経済政策にも近いやり方であり、その極北は安倍さんによる「デフレ経済脱却を目的とした物価上昇目標2%」や「最低賃金の年3%引き上げ」という、共産党も椅子から落ちるような極左真っ青の政策目標だったわけです。インフレと戦うはずの日本銀行がインフレ目標を設定して札束を刷って証券を買い上げるってなんぞ?
■極右から中道左派までを取り込んだ曲芸師のような政治家だった 
現に、「勤労世帯のセーフティネットを充実させるのだ」と言ってみたり、選挙では全体主義をも感じさせる「一億総活躍社会」を標榜したり、女性進出においては男女平等参画に踏み出したりと、左派系野党であるはずの立憲民主党が主張する政策のお株を奪うような政策を、第二次安倍政権では次々と立案し、どんどん推進していきました。
 また、株式や不動産など経済の上流にとって比較的有利な量的緩和を進めるということは、そのような投資をする余禄や余財のない、割と貧乏な右翼からすれば唾棄すべき政策を次々と実現してきたことになります。
 しかしながら、安倍さんが特に安保法制の成立を強行させようとワイワイやっていた時代、特に自公連立政権としての安倍政権において「岩盤支持層」とされたのは、本来なら政策の被害者であり、より貧しくなるはずの民族系右派だったことはよく理解しておく必要があります。どれも右派からすれば不利な政策ばかりを安倍ちゃんが推進しているのに、なぜそんな熱心に支持しているんだ?
 いわば、安倍さんはこういう右派からの熱狂的な支持を受けながら、政策的にやっていることは左翼のようなことばかりであるという認知のズレを引き起こし、結果として民族系極右から中道左派まで、幅広い支持層から自民党支持を獲得して国政選挙を勝ち続けてきた、曲芸師のような政治家だったことを意味します。
 旧民主党の負の遺産を引きずる立憲民主党が、首をひねりながら党運営に苦労し、まさに「安倍晋三政権を支えるのは弱体野党」と揶揄されてきましたが、有権者の動向から見れば一目瞭然の事実として、安倍さんのうまいことやってた政権運営に左派的政策を奪われ、いいようにやられていたことが背景にあるのです。
 さらに、長く官房長官を務めた菅義偉さんも、目下すったもんだしている公明党との不協和音を吸収する役割をパイプ役としてこなす一方、先に崩壊したみんなの党の支持層を大阪発第二自民党的に吸収していった日本維新の会との良好な関係を維持するという、左に公明党・右に維新というやじろべえ構造の支柱の役割を果たしていました。
 野党第一党を目指し、ゆくゆくは何らかの連立政権の一角を占めることを目標としているであろう維新の躍進を取り込む仕組みは、安倍さん菅さんの巧妙な役割分担の下で構築されてきたということも指摘されると思います。
■安倍晋三が対処できなかった社会保障改革
あいにく後を受けた菅義偉政権はコロナ政策と東京五輪でイマイチな展開となり、失意の降板となってしまうわけですが、安倍晋三さんはそんな菅義偉政権の次も見据えての活動を進めようとしていたことは間違いありません。
 院政を敷こうとしていたという表現が適切かどうかは分かりませんが、戦後最長期間を務めた宰相として、安倍晋三さんが自公政権で一定以上の影響力を残そうとさまざまな手を打とうとしていたことは事実です。
 一方で、先にも述べたアベノミクスの賞味期限が切れ、長きにわたった安倍政権の精励にもかかわらず、日本は経済的にも長期低迷から衰退の症状が覆い隠せなくなってくると、今度は岸田政権が安倍政権の残した負の遺産に苦しむようになりました。
 少子化も円安も、安倍さんがうまく対処できなかった国家的難題の一つであって、その根本であり、自民党下野から復活するための旗頭でもあった、税と社会保障の一体改革および消費税も含めた財源確保が先延ばしになった結果、恐らく2042年をピークとする社会保障費負担はどうにもならなくなります。これと連動して、人口減少に見舞われた地方経済は立ち行かなくなり、自治体の再々編や地方資本の集約は待ったなしになっていきます。
本来であれば、改憲議論のようなものは必要としつつも、より優先課題として取り組まなければならなかったのが社会保障であり、高齢者対策だったと思います。年金も医療も介護も国民の人生設計の根幹となる部分。それが立ち行かなくなることへの危機感を亡くなるその瞬間まで安倍晋三さんはずっと抱いてきて、なお対処しきれなかったのではないかとも思うわけですよ。
 外側の台湾有事も含めた安全保障と、内側の日本経済テコ入れと社会保障の両輪を曲がりなりにも両方推進しようとした一方、最後まで経済成長に必要なイノベーションや起業、研究開発、少子化対応、教育といった方面にうまくウイングを伸ばせなかったのは、お友達官邸とされた安倍政権の成り立ちに原因がありました。
 わずか1年の短命で終わった第一次安倍晋三政権の反省から、能力よりも信頼性で人選した「お友達官邸」は確かに安定したものの、これらの問題に正面から対処できる能力を兼ね備えた人物の起用に失敗してきたことも、必要な政策を推し進めることができなかった背景にあるのではないかと思うのです。
 対中国親書書き換え事件から対ロシア外交の屈辱的な失敗まで、アメリカ・トランプ政権との密接な関係で得らえた日米関係の安定という利得を帳消しにするような失点があったのも、長年の安倍晋三政権の弛みがもたらした弊害ではないかとも感じます。
■偉大だった国際政治家・安倍晋三の影
 さらに、被告・犯人の山上徹也さんの件も踏まえた自民党の保守傍流・清和会と祖父・岸信介さんが活躍した時代の統一教会(現・世界平和統一家庭連合)と宗教二世、三世の問題が半世紀の時代を超えて悲劇の舞台装置になったのは、個人的にはただの事件で終わらせてはいけない、大きな意味を持つ一件だと考えています。
 民主主義の手続きに則って、充分な証拠のある形でいかに解散命令を裁判所に請求するか。これは本当に難題です。
 亡くなられた安倍さんの後を生きた者が引き継ぎ、より良いものにしていくうえで、こういった問題が引きずる安倍さんの凄さと怖さを感じずにはいられません。偉大だった国際政治家・安倍晋三さんの影こそ、今後しばらく続く日本政治に落ちるコントラストなのでしょう。

 
作家らしい「サビ」の効いた指摘も随所に見られたのだが、「偉大だった国際政治家・安倍晋三」という表現には驚いたが、既に死んでいる人間に対しては.、いくら「褒め殺し」を行っても罪には問われないということなのだろう、とオジサン思う。     
  

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