絵の教室を終えて家に帰ると、すっかりお腹を空かせた猫たちが鳴いていた。
大慌てで餌をあげ、家の中の異常を確認する。
昨夜、映画を観て家に帰ると、家の1階部分の天袋が全て開いていた。
家の近所では空き巣が流行っていて要注意なのだが、この様子だとおそらく犯人は、猫たちかもしくは座敷わらしだろうと思う。
ちなみに今日の被害は、お気に入りの
カーラ ブルーニのCDケースを床に落として破損くらいだった模様。ちょっとむかついたけど、まあ、いいか。これしきのこと
家に帰ると、“千と千尋の神隠し”をテレビでやっていた。
この映画は宮崎映画の中ではあまり好きな方ではないけど、ジブリの世界観は殆どなんであろうと、観てるだけで楽しいので、観ることにした。
でも、この映画で私が一番好きなのは、やっぱり歌だ。
“
いつも何度でも”に私はかつて救われた。
この映画が公開当時、今は亡き私の父が倒れた。
最初は、脳髄膜炎で、その後食道と胃に癌が見つかった。
そこからおよそ2年間、父の闘病生活が始まるわけだが、
それは、振り返っても、最悪な2年間だった。
父が倒れて以来、心から幸せな日々はついぞ訪れなかったし、常に涙を我慢して過ごす日々だった。
そんな時、千と千尋が公開され、上野の映画館まで観に行った。
私はこの曲を宣伝等で聴いた時から、すごくいい曲だと思っていたので、当日、まだ映画の始まる前、期待あいまって、このCDを購入した。
買ってみて、歌詞をじっくり見てますます気に入ってしまった。
私が好きなフレーズは、
“生きている不思議 死んでいく不思議♪”
という箇所。他にも随所が好きだが、なんか、この映画を観て、この曲を聴いていると、死後の世界もそんなに悪くないかなあ、なんて。
生きている不可思議さと、死んでいくという不可思議さ。ただそれだけの違いなんだと思うと、ふと心が軽くなって、今まで身の毛もよだつような恐ろしい“死”という文字が、なんだか親近感を持って接することができるような。そんな気分にさせてくれる歌詞なのだ。
私は、父の死を認めたくなかったけど、ちょっとだけ、とてつもなく重かったものが軽く感じられたような、そんな救われたやさしい気持ちになれたのが、今でも思い出されます。あの崖っぷちの時に聴いた曲、ちょっとだけ救われた曲。
私がもし、死ぬようなことがあった時も、(もちろん病気とかでね、)こんな風に思えたら、楽にいけるような気がします。
“いつも何度でも”以下抜粋。
呼んでいる 胸のどこか奥で
いつも心躍る 夢を見たい
かなしみは 数えきれないけれど
その向こうできっと あなたに会える
繰り返すあやまちの そのたび ひとは
ただ青い空の 青さを知る
果てしなく 道は続いて見えるけれど
この両手は 光を抱ける
さよならのときの 静かな胸
ゼロになるからだが 耳をすませる
生きている不思議 死んでいく不思議
花も風も街も みんなおなじ
呼んでいる 胸のどこか奥で
いつも何度でも 夢を描こう
かなしみの数を 言い尽くすより
同じくちびるで そっとうたおう
閉じていく思い出の そのなかにいつも
忘れたくない ささやきを聞く
こなごなに砕かれた 鏡の上にも
新しい景色が 映される
はじまりの朝の 静かな窓
ゼロになるからだ 充たされてゆけ
海の彼方には もう探さない
輝くものは いつもここに
わたしのなかに
見つけられたから
もちろん、
木村弓さんの歌声とハープの音色は言わずもがな最高です