みらいのダ・ヴィンチたちへ

できるかできないか。そんなことは明日に任せて、今このときを一所懸命に「ぼく・わたしは考えたよ。描いたよ。作ったよ。」

走る鉄と転がる石の一日旅

2021年04月28日 10時18分05秒 | 日記・エッセイ・コラム
「明日は遠足で新海池公園に行くんだけど、雨が降ったら教室の机の上でお弁当なんだよね」楽しみにしている多くの子に天気予報は無情の知らせを告げる。ニュースでは外出自粛を連呼しながらのおススメ行楽情報を無責任に流している。本当に子どもたちがかわいそうだ。(当日の朝、庭が微かに濡れている。お天道様に祈るばかりである)
ある塾生から、庭に転がっている石ころをどこで拾ったのかと聞かれる。その子は何にでも興味を示す子で、創作物にもそのボリュームが強く表現されている。
またある子は、庭に敷かれている枕木と線路(総全長234mm)を撫でながら、何かを思い出そうとしている。「何で犬釘って言うのか知ってる?それはね、、」
本物の姿を見ることでしか本物の感動は伝わってこない。図鑑やユーチューブを見て、わかったつもり、知ってるつもりになることは現実としては致し方ないとは思うが、できる限り本物に接してもらうことで空想力やリアリティーの表現力に凄味が加わってくる。「百聞は一見に如かず」
鉄道に乗って石ころを探しに行く旅に行かないかと、子供たちにそれとなく声をかけた。塾生として、もちろんではあるが自分で判断行動できなければ参加資格はないと伝える。自分で行先までの切符を買うことができる。危険を回避する判断力と困難対処力を有する高学年生に限る。(ただいま参加者を募っています。ヒゲ先生まで)~後半に続く



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