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みらいのダ・ヴィンチたちへ

できるかできないか。そんなことは明日に任せて、今このときを一所懸命に「ぼく・わたしは考えたよ。描いたよ。作ったよ。」

「書く」と「描く」の違いは

2016年09月27日 10時26分51秒 | カリキュラム
3分間の休憩の時間になると、決まって誰かがホワイトボードに落書きを始めます。解放された自由な絵を見ていると、画用紙にもこれくらい勢いのある絵を描いてほしいと思うたびに私の指導力不足を恥じています。落書きのすばらしさのお話は後日に。 
「これはヒゲ(先生)が書いたヘタな絵で~す」とメッセージが残っています。すぐに指摘します。「絵をかく」の「かく」は本当は「描く」なんだけどな。でも中学校で習うから今は「かく」でいいんだよ」
これまでも乳幼児期においての「ぬり絵」の弊害を目の当たりにしてきました。純粋で吸収力のある脳に記号化された形や色を教え込まれる。同じ花、同じクルマ、同じ顔、はては同じ構図(葉が二枚、茎が伸びて、おなじみのチューリップの形を赤色で塗る)そんなぬり絵から抜け出せなくなってしまった子が中高学年生になって、共通する絵の特徴として ①対象物が小さく、勢いが弱い ②神経質に描き直しを繰り返す ③急ぎ完成させることが目標になる。 子供の成長にとって大切な「描く」ことを楽しめないでいる様子が強く伝わります。
では「描く」とは何でしょうか?漢字の成り立ちが面白いので、少し脱線して紹介します。田(たんぼ)に草かんむりで「苗」になります。その意味は、小さい・しなやかな・細々とつながる、です。その「苗」に手へんをつけると「描」(えがく・かく)になります。意味が具体的になってきて、細かく手や筆を動かす・物事の形の細かなところまでを写し描くことをいいます。一方の「書」の意味は少し違います。いわゆる誰が書いても同じでなくてはならない文字を書く作業をいうので、類似はしていますが、まさに一線を画くものです。
細かなところまで手・筆を動かすとは、一人ひとりが感じるままに、感動や情緒を手筆を通して絵に表現するものにほかなりません。
「描く」ことへの課題は個々に伝えていますが、主なものに①塗り残し(白いところがないように塗りつぶす)②絵具のはみ出し、にじみ、汚れをどう対処する。③葉は緑色、空は空色、肌は肌色、などと決めつけない。などがあります。無責任に聞こえるかもしれませんが上記の課題は創作の上で良くも悪くもないのです。なったらなったで、その時々で考えれば、なんとかなる。ぐらいの楽しみ方を持ってほしいと考えています。

媚びない。

2016年09月07日 11時04分28秒 | カリキュラム
学校で学ぶことは学校で、家庭においては躾を。その基盤の上で、この教室にしかできない経験を、この子たちの将来に持たせたい。成績を上げることも大切でしょうが、絵がうまくなることよりも、地味ですぐには成長が見えないけれど、何か困ったときには、自分でも驚くほどの自信を胸に秘め、行動力の鎧を身につけ、天馬のごとく駆け抜ける気高き勇者になるチカラを持ってもらいたい。
私はこの子たち一人ひとりに熱い思いを、夢を託して向き合える数多い大人のひとりでありたい。だからこそ、一切の甘やかしはしない。指導も厳しさに妥協しない。「ほめて伸ばす」などというまやかしは子供は先刻お見通し。しかし、できてもできなくてもほめる。その子なりの努力には最大級でほめる。なめてかかってくれば叱る。指導はごくシンプルで、その子にはわかりやすい、叱られても納得できる。楽しいだけのお教室だと思っていては大間違いです。
すべてが真剣なる信頼関係を濃密にすることに徹底的にこだわっている。もしもそこに「媚びる関係」があると言葉には出さずとも、その子は相手(教室では私)の非を問答無用で責める。「ヒゲ先生!次は何をすればいいの?」「ここは何色で塗るの?」「言うとおりにしたら変になった!」
「造形=創造」このことを間違えてはいけないと子どもたちには伝えている。創造することは学識を教わることではありません。創造であるから1+1=3も素敵なのです。ゲームのように途中でクリアさせるノウハウでもありません。いかに苦境に立ち向かうのかを経験する場なのです。だからさっと簡単には回答を示すことはしません。もっと言えば正解なんてないのだから。つまり個々に私からの返答は異なります。全く返答になっていない場合も大いにあります。正解を教えることはその子の創造する貴重なチャンスを奪うことになります。わざととんでもない(間違い)指示をします。すると、その子の脳ミソがブルブル始動するところを見守ることができます。
おおいにほめて、おおいに叱って、見守って、突き放す。これがこの教室のあるべき指導のスタイルだと考えています。過激な言い方になりますが、あとはその子の責任です。他の誰でもありません。

「また白い課題なの~ッ!」

2016年09月06日 11時38分21秒 | 日記
先回の発泡スチロール課題、今回の石膏課題、素材はどちらも白色です。発泡スチロール課題では着色なしで取り組んだこともあってブーイングが全方位から聞こえてきます。でもやっちゃいます!今回の石膏課題は素材が手袋とタオルということもあって、立体表現が難しため、着色(描画)することで表現を助けようとするものです。でも、めざす目的は違うところにあります。題して「ヌルカチ」
過去に園などでドロンコ遊びを十分にした経験のあること、そうでない子。ものづくり意欲の基礎はここから始まっています。ドロンコ遊び向けに作られている今回の石膏は、独特の感触が味わえます。味わったこともある子には楽しいのですが、経験がない子にとってそれは嫌な感触のなにものでもありません。タオルを指先でつまんで、少しでも石膏が付こうものなら、すぐに手洗い場に急行する子は(男女学年を問わず)じっくり制作どころではありません。楽しんでいる子は調子に乗って「まるで○○○のようだ~!」とはしゃいでいます。
(業務連絡~常時、汚れてもよい服装で通わせて下さい~!)
一番の目的は素材の凹凸から生まれる光と影の明暗をじっくりと観てほしいのです。白黒モノトーンの美しさもさることながら、布のウエーヴの優しさ、プリーツのリズム、重量が作り出す自然なカーヴ、丸み、跳ね等、この美的形状を良く感じ観察してもらいたいと考えています。
ある子がスポーツカーをつくるといって、手袋の指、タオルをハサミで全部切り取っています。与えられた制約(材料)の中でどのように表現するのかも学びですので止めはしませんが。終了間際、掛け下ろしたタオルの形状を見て、「スキー場だ!」と方針転換をしたようです。いい気付きを褒めました。さあ、手袋を使ってスキーヤーを滑らせることができるでしょうか。期待しています。

かならず最後に根気は勝つ!

2016年09月06日 10時39分12秒 | 日記
思うようにならないとすぐに手を止めてしまい、工夫をすることもしないで、やっぱり駄目だと諦めて、目前のチャンスを逃し、楽なほうへと逃げ込み、そこで安心してしまう。「できなくてもいいもん!」一度や二度の経験で、できないと言い切ってしまうはあまりにも残念です。そんな子がいる中にあって

世界遺産タージマハルを制作したSくんは、私の「ちょっと難しいんじゃないのかな?」にも果敢に向かってゆきます。上手くできなかった原因を改善し決して諦めません。みんなが次の課題に入っても、慌てず静かに考え、落ち着いて作業を続けています。
そんなとき、私は見てしまいました。単純作業をしているときにSくんの目線と耳が、次の課題をしている子と私の会話を忍者のごとく追っていることを。この探求意欲と根気が強靭な両脚となって、凸凹路を疾走し山を登ってゆくのです。 全幅900高さ500 四隅の塔先のアーチドームもしっかり再現されています。威風堂々の作品です。あっぱれ!

夏の特訓、熱血仕事ゾクゾク!

2016年08月04日 20時34分42秒 | 日記
夏は特訓!毎年、汗流し、笑いあり、涙ありのドラマが展開される感動の時間。新しい出会いが私の楽しみです。7月26日、中川区と熱田区から参加してくれた、のぶくん・ふうくん(3年生)「夏の生活」課題のアルミ箔で作るキラキラ画が静かに始まった。仲良し友達で一緒に花火大会の思い出を制作する。「花火」そのイメージはふたりにどのようにインプットされたのかは知りえないが、それに勝るだけの過去の記憶(知識という名の一般常識)が、この夏の花火の印象を弱くしているように思えた。制作にもそれが表れている。そうは言っても、他人の私が判断すべきことではなく、ふたりには貴重な経験であったことに間違いはない。
ヒゲ先生:「花火を見ただけだったのかな?」ふうくん:「あっ、思い出した。タコ棒を食べたよ!」のぶくん:「僕はかき氷を食べたんだ!」さらに思い出を掘り進めます。「タコ棒はどんな形なの?」色紙を切り絵にしてペタッツと貼り付けようとしています。「え~!美味しそうじゃないな~」色紙をグジャグジャにして、半立体につくり貼り付けるように指導する。ここで、目の輝きが変化してきます。「なんでもやっちゃっていいんだよ!君の作品なんだから」
このやりとりは、この夏を過ぎたら、花火のように忘れてしまうのかもしれませんが、汗をかいて取り組んだことは忘れないでほしいと願っています。

写真は2年生の課題「袋の動物」です。

この夏、コンクールに燃える

2016年07月15日 17時42分20秒 | 日記
「よ~しっ!○○ランドへ行くぞ~っ!」Eくんが大きな声で宣言します。「海とさかなとわたしたちコンクール」の入賞者の副賞に盛り上がる一方で、「ぼくは何回も行ったことがあるから、賞なんかイラナイもん。」と冷めた顔でつぶやく子。どちらも本心だとおもいます。指導者としてこれまで十年来、繰り返してきた光景です。また、コンクールの功罪として教育界で議論されているものです。私はどちらの子にも常に言い伝えてきました。「挑戦してみようか!きっとワクワクするよ」もちろん、万が一、選ばれなかったときのフォローの声かけを忘れてはなりませんが。最初からあきらめて、描くことが苦痛になっている子はいないと願っていますが、丁寧に見届けなくてはなりません。「難しいことに挑戦している君はすごい!」
で、Eくんのはなしに戻ります。どうしたらよく描けるのか?という質問のはずが、「ヒゲ先生!どうしたらイケるか!」と何度も聞いてきます。彼へのアドバイスはひとことです。「何度も同じ質問をする時間があったら、筆を動かしましょう!○○ネズミが逃げちゃうよ」そのあとは真剣な姿勢で取り組んでいたことは言うまでもありません。
さあ、この夏も連覇なるか!やっちゃえEくん。
 
*暑い昼下がりに、ふっと眼をやると、朱里ちゃん(1年生)の帽子(未完)が本人に負けないくらいに輝いていました。あまりの光の美しさと朱里ちゃんを思い浮かべながら、また、お昼寝を続けました。

湧き出る意欲に後に続く技能

2016年07月11日 10時23分28秒 | 日記・エッセイ・コラム
「すっごいな~!」でも本人はいつものポーカーフェイスです。ねらっていても、なかなか受賞することが難しいものです。自分らしさを持っている子は、やはりひとつキラリと輝いています。鬼頭快空くん(長須賀小学校2年)毎回、教室に入ってくるときの顔が「今日は何がはじまるのかな?!」サバンナで獲物を狙う2歳のライオンのようです。教室では私がひとりひとりに今日の目標・アドバイスを順番に説明していきます。快空くんの順番には特に注意が必要です。やる気満々で、気がつくともう、はるかかなたのサバンナをピョンピョン駆け巡っているのです。「まてまて~!今日はこっちのオアシスで魚を描くんだよ~」
そろそろ混色や筆の扱い方をと考えてはいますが、持ち前の豊かな意欲と強烈な勢いを萎縮させないようにしなければなりません。私も秘策を考えています。題して「タッチ&ゴー」本来は飛行機の操縦技能ですが、その時々の気分や感情を観察確認することでスムースに創作を楽しませることを目的にしています。
「なつのせいかつ」表紙絵入選やったね!


ある出来事から思うこと

2016年06月02日 14時23分36秒 | 日記
ラジオで耳にしたニュースです。ある中学校で授業時間外にのこぎりを持ち歩いていた生徒を教師が注意したところ、その教師が生徒の上半身に持っていたのこぎりを当てたとして、後日、保護者に謝罪。私はこれだけを聴いてもの申すことはいたしませんが、批判を承知で、私のしてきたことを述べたいと思います。
ガオー教室ではすべての子に多くの道具をできるだけ使わせています。いきなり話を脱線させます。昭和の時代、青少年に刃物を持たせない、使わせない運動があったそうです。理由は刃物を悪用する危険があるからだそうですが、詳細は割愛します。これによって何が変わったのでしょうか。「安全な社会生活になった」そうかもしれません。でも、失ったものも確かにあるのではないでしょうか。「道具は安全に使えば生活を豊かにする」そのことをしっかりと子どもたちに添えて指導してこなかったこと、その時代の当事者として歯がゆい思いがあります。
話を戻します。ガオー教室ではカッターをはじめ、トンカチ・ペンチ・千枚通しなどなど、すべての子に使わせています。ただし、ルールを守らない子には厳しく指導が入ります。道具の本当の怖さを甘く見ている子、ふざけて調子づいている子には、最終手段として、ケガをするまで見守ります。カッターやハサミの刃を開いたままに放置する、少なくありません。瞬時にカミナリが落ちます。反論してきます「今、片づけようとしていたところ!」問答無用です。「今じゃ遅い!すぐだ!」ここまでいっても覚えない子には、心を鬼にして「ケガをするまで見守ります」このような指導をご理解いただけない親御様もあろうかとはおもいますが、私は責任回避するつもりはありません。なぜならば、大切な経験を奪ってはけっしてその子の将来のためにならないからです。勢いあまって付け加えますが「めんどくさい!」を口癖にする子や、やってもいないのに「できない!」と投げ出す子。「つぎ、どうするの!」まずは自分で考えなさい。
私のようなこんな指導では、小学校での図画工作の成績向上は望めませんね。

気づいてくれたかな?その2

2016年05月10日 10時21分26秒 | 日記
コンクールシーズン前のおだやかな時期。いよいよ、あの伝説の課題が静かに始まりました。普段、落ち着きのない子、手が止まってしまう子、興味が弱い子、それがこの課題には、ヒトが変わったように集中します。(トイレも忘れて)
発泡スチロールを素材に、立体像を考え作ります。素材を切断するのは熱線カッターです。火傷をしないように初回は扱い方を伝えますが、怖いもの知らずで、すぐにスイッチを入れたがります。気持ちはわかりますが火傷はさせたくはないので、私はここで大芝居をうちます。
プラグをコンセントに恐る恐る差し込みます。「感電したことアル? いまからこの板を電気の熱で溶かしながら切っていくけど、ニクロム線は250℃にチョー高温になるから気をつけてね。」と言いながら、赤ペンで線を描いた手の甲を見せながら「みんなも油断するとこうなっちゃうからね!」これ以上、話を過激にしていくと、本当に怖がってしまうので。

熊野厳蔵くんの作品をみせて、気が付いた子がいます。よくみると使ってある部品はすべて、ほかの子が出したゴミを、さらに工夫して組み上げています。
大きな板なんだから、あっちこっち自由自在に切り刻んでしまい、あとはゴミにすることと、無駄の出ないように考えて切る、残りも工夫することでは、まったく違いが出ます。「ゴミも宝になる」子どもたちには、なかなか理解してもらえませんが。

気づいてくれた子いるかな?

2016年05月10日 09時36分49秒 | 日記
教室玄関のすぐ左の壁に木槌(きづち)が掛けてあること。ほとんどの子が木槌そのものを見たことも触ったこともないのでは。「なんだろね、これ。」興味を示す子ほど個性を表現する作品を多く見せてくれているのではないかと思います。
この木槌の下には私からのメッセージがそえてあります。
「気づきの木槌の使い方」 
翼がなくても大空を飛べる。 
動物たちとおしゃべりができる。 
どんな未来だって想像できる。 
そのためには今、みなさんが心の中に持っている、
小さなタマゴの殻、あたりまえの殻を一度、勇気を出して、こわしてみよう。
 
でも大丈夫。 
その中にはだれよりも大きな可能性と、もっと深い探求心が芽生えている。 
この木槌は、夢を持ち続けることがどんなに大切なことなのかを気づかせてくれる、
一人ひとりの心の中に備わっている。
ヒゲ先生から皆さんへ