CocoMani Diary

♪日進月歩日々炸裂日々色々思う事♪見た事 聞いた事云わんとする事♪ブライトサイドとダークサイドの共存場所♪

再びDVD君ONナリ

2008-08-28 22:50:37 | <研究中>地震・前兆カモ。
24日以降、随分頻繁にDVD君が反応している。
一応前回の分に当てはまるかもしれない地震は起きていたが、まだ不明である。

本日28日未明、またもやDVD君が勝手に電源ONになった。今回は完全全面表示で、表示されるもの全てが出ている。しかし、いままでと違うのは画面の下に丸いものがあって、いつもはここが青く発光するのだが、今日はその丸い部分の光は点いていない。変なパターンだなー。

今日は夕方からものすごい雨、、、ゲリラ雨、、、雷もすごいので、雷の影響もあるのだろうか。しかし実は今日は朝から頭苦がある。昨夜は夢は見たもののあまり眠れなかった。

大雨の雷のあとにドーンと地震が来なければいいが…。今晩から明日29日が、前回の反応期間に該当する。前は4日前点灯、前日点灯、で大きめなものが来た。

魔女シンクローリー

2008-08-28 14:58:55 | <研究中>夢・勘・不思議?予知夢?
んー、今回のエントリー、カテゴリーは「NEWS」と「レギュ」と「夢」全部ひっくるめて投稿するナリ。(更新:はじめはxxx氏と、名を全伏字にしたが、この人の登場の場合は結果が出ることがほとんどなので、やっぱり半伏字(笑)にした。)

 いやいや、クロウリーネタの続きじゃない(^^;
が、昨日の夜中(正しくは今日だけど)、「魔女狩り」についてちょこっと触れた内容を書いたが、時を同じくして(シンクロして)「魔女狩り」関係のニュースが出ていた。
~「欧州最後の魔女」とされ1782年に処刑された女性、アンナ・ゲルディさん~と、この人物の事は知らないのだが、226年ぶりに名誉回復とか。
ニュース魚拓はココ

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さて。これまた不思議なシンクロで、今日は226の数字の付く友人(誕生日)が夢にでてきた。(ここから夢カテ)
どこかの病院のような殺風景な大衆が集まる建物に、その友人といる。何故私たちがここにいるのかわからない。私たちは半分あいている右のドアの方向から、人がくる気配を感じた。急いで違う方のドアから、その先の部屋へ入った。
その部屋に入ったが、入ってきた方向には既に違う場所がひらけている。まるで次元が変わった場所に移動したかのように。
○原氏がドアの入り口にいる。彼は自分のコンサートをキャンセルした。今日と明日だ。今日の分は自己都合によるキャンセルするので払い戻しをします、、、という展開だ。私は13番。友人は15番。
○原氏は、13番のワタシを見て真正面に歩いてきた。(なぜだろう?不思議に思った)。わかりましたよ。だから来たんです。
15?13?。。。
○原氏:「でも、それは大学時代の友人に似ていたからだったかもしれません。」
私:「。。。?」
別室へ入る。○原氏が衝撃の離婚をする方向!?そしてとある女優柴●コウという人みたいな女優がいる。この女性と再婚したいと言っている。
それを見守るワタシの意識が在る。(この○原氏とうまくいかない人なんて、いるのか?と思うワタシの意識)
その正当性と、人生の流れを「本」にして出版するので。と言っている。
でも、それは今までのものとは大きく趣旨が異なり、おそらく常識をも覆すであろう内容だ、と言っている。
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場面は変わった。
祭りの日らしい。外ではお祭りだ。はじめは行く気がなかったが、友人2人が一緒に行こうよ、と誘ってきたので晩御飯でも食べるか、ということで車に乗った。
その友人二人はワタシの悪友(笑)と、その同級生兼同僚の男だ。そこから女の友人は帰り(子供の世話か?)、ワタシはその男となぜか動物園に車を乗り入れた。そこでラーメンでも食べよう(藁)という感じ。

場面は変わり、終わる寸前のお祭りを目の前にしていた。
その後片付けは2時過ぎから始まり、3時過ぎには終了の予定だった。
祭りは終わった。食べ物屋も終わった。その宴の終焉を見ながら道を歩くワタシが在った。


シンクロした意味はスタンスの導き

2008-08-28 02:30:06 | レギュロギー
先日からの「未確認飛行物体と催眠」と「未確認飛行物体と催眠(2)」のコメントのやり取りの中で、ワタシの基本的なスタンスを書いた。クロウリーのシンクロは、先日書いた「曲とウェブサイト」のシンクロ以外にも、実はもっと違うところでシンクロしていたことが判明したので、個人的には、このクロウリーがきっかけとなって、ここまで話が派生し、それから出た自分のスタンスをハッキリ書き残しておくべき、と感じたので、あえてその部分をエントリーとして転記したいと思う。

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クロウリーについては、私はほとんど何も知りません。OZZYの歌詞で出てきたMr.Crowleyというのも、架空の人物だと、つい最近まで思ってました。が、ようつべのコメント欄で、このクロウリ氏について「一体誰?」みたいなコメントが付けられていて、そのコメントのスレを読んで初めて氏を知ったのでした。

それでも「過去の人物」というのは「脚色されて」文献で残っている場合も多いので、特に彼が何を専門にしていたのかは知りませんが、どこかのサイトで「結局は魔女狩されたようなもの」、今でいう、非凡な能力を持った人物が「悪魔扱い」されたっぽいんですね。
例えば、もともと完全善意で行っていたはずの人物が、その世界を嫌っている人物・団体によって偏った情報だけを表にだされ、迫害されるようなものでしょうか。
人間は多面性がありますから、ひとつの単純な間違いですら槍玉に挙げられ、「本質」を把握する機会すら奪われてしまう悲しさもあるでしょう。

ワタシは基本的に「本人と直接議論」しないことには、ほとんど「半分」しか信じていません。あとの半分は「書かれている何かを疑う」ことです。これがさきに書きました「ポジティブでありネガティブでもある姿勢」なんです。
しかし、これには理由があって、ひとつは情報操作。もうひとつは読み手の角度の違い。

(追記:これは自分の解釈をも疑う姿勢である、自問する、ということも含まれます。よって安易に答えを出さないということになります。)

昔、国語の授業で、先生が質問していました。
「この作者の意図することはなんでしょう」と。
確かワタシは、「Aである可能性もあるし、Bである可能性もある。前後からみてCである可能性も否定できない」という思考をしていた学生時代を思い出しました。

それと同じくラヴクラフトについてもいえます。彼の作品やら影響やら、本当に未知の部分です。しかし「銀の鍵」が入っている第6集は、それまでの1ー5とは趣が異なり、自身の夢が基盤になっている、と、コメントで読んだので6だけ買いました。で、読んでのも今のところ銀の鍵だけ。あとは文章が難解なので、気のゆるいときにもう一度読み直してみようかと思います。

繰り返しになりますが、私はあくまで「何が書かれているか」に重きを置いています。
それが誰によって言われたとかは、時代と時期と年代によって、その「誰」も変わるでしょうし、それが意味することは「抽出されたものは結局不変の何か」だと思っています。


同じ本でも、読み手によって解釈も変わってくる事実もありますし、読む時期によっても自分でも解釈も変わることがありますし。スタンスとしては「常に中道(または中庸)であれ」です。イコール常に考えているわけです。終わりのない勉強かもしれません。
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簡単な例で補足すると、結局ふるいにかけて残ったものが最終的に行き着くところを意味するものであり、それが「各地方の言い伝え」であろうと、「各宗教の教え」であろうと、「名前の付けられた概念」であろうと、深く掘り下げていけば、おおもとは同じ、皆出てきたところも帰るところも同じなのではないかと思うわけです。ただ、そこに到達するまでにいろいろな誤解釈、誤用、誤訳、を経験するわけなのかもしれないのかな、と。