昔、こちらホゲホゲ弁護士事務所ってドラマあったよな…。あれ好きだったなぁ、あまりにアホすぎて。また観たいなあ…ボソ…
本題:
捕鯨問題は平行線をたどったまま、まともな論議ができていない。
それは当然といえば当然の成り行きである。なぜならば、反捕鯨派の言い分というのは、やはりどの側面から見ても感情論でしかないと思うからだ。とはいっても、まったくのベジタリアンとか、完全無欠の非肉食である人が全部をひっくるめて「動物愛護」と言ってくるのとは、問題がちょっと違うが。
実際、オーストラリアを筆頭とした反捕鯨世論は、そもそもにおいて「価値観が違う」。例えば、「鯨はかわいそうだけど、牛羊豚鶏は家畜だからかわいそうでない、殺されても食べられても当然」という、まったくワタシには理解不可能な価値観と偏見が存在している。この出発点からして大きく異なる議論に、理論なんて成り立つわけがない。
どの動物にしても植物にしても、人間は自然の恩恵を受けているのだから、人間の偏った価値観で判断してわけのわからん議論を振られても、ただ頭にくるだけである。きれいで、かつて数の少なかった鯨だけは特別扱いという、その考え方にまともに反論しようと試みたが無駄であった。また、彼らがワタシを納得させるほどの論理的な反捕鯨への理由も無かった。
彼ら彼女らは、ただ「かわいそう」という感情と、「なぜ日本人は鯨をたべるのか」という食文化の違いへの不理解、そしておそらく「マスコミ誘導の世論」であろう。
多くのオーストラリア人や外国人が、この問題について文句をいうのは、おそらく国内のテレビ、ラジオ、新聞によるジャパンバッシングにそのまま洗脳されているからだろう。
洗脳だと思う理由は、やはり「生き物の価値レベル」が、念頭にある様子が見て取れるからだ。
例えば、「じゃあ、なんでBeefはOKなの?牛だってブタだって感情と神経がちゃんとあるよ。鶏だって同じだよ。なんで鯨だけは特別なの?」と聞けば、
「家畜はいいんだ。鯨は違う。」と、これしか言わない。というか、言えない。
それも、念仏を唱えるかのようにブツブツと「家畜は違う、、、」と、だからどうして、なんの基準で「生き物の価値レベル」が存在しているのかがわからない。
ここはおそらく、論議の基本点なので、その点をつつかれるとキレる。
そう、そこで感情的になる。
拒否反応である。DeadEnd、行き止まり行き詰まりになったところで、頭が感情的に反応する。
「家畜は食べられるために生きているから良い」なんて、家畜として生まれてしまった動物に対して人間としてココロから申し訳なく思う。実際、ワタシも食べちゃうから、この点では偽善者になってしまうがー。
しかし、彼ら彼女らは、そこは違うらしい。これはもう理解ラインを超えているので、ワタシには何も言うこともない。「迷える子羊たちよ、、、」の子羊を普通に食べ、、、、。なんらかの感情OFFスイッチがあるんだろう、きっと。
食文化といえば、豚足とか丸焼きとか、チキンの丸焼きとか、その姿だけで、実は食欲が衰退してしまう、そのレシピ。でもアチラではそれは残虐には見えないらしい。中国でも同じような食べ方がある。これは本当かわからないけど、その中国では出産後の人間の胎盤を食するところもあるとか…。(…!?)
日本は姿焼きというか、活け造りの調理法がある(ワタシあれ食べられないです、、、)
そういえば、カンガルーって駆除されてる。駆除。
人間の生活に危害が及ぶから駆除。逆にその危害って何かと言えば、まぁいろいろあるけど、人を襲うとか、民家を荒らすとか。でもその理由は、自分たちの住処を破壊されたから、本来なら近づきたくない人間のもとにやってきている。難しい問題だ。
どこまで偽善が続くのかはわからないが、この問題の背景に人種差別もかかわってきているらしい。たしかにそうかも。でもそんなことまで考えないで「反捕鯨」を言う人もたくさんいる。やはりプロバガンダに気づかず影響されちゃった?
反捕鯨をネタにして、募金を募っている団体ー。やっぱりどこか変だよねぇ?
でも、繰り返される「かわいそう かわいそう 野蛮 野蛮 動物愛護、、、」という思想の植え付けが浸透しているのだろうか。
確かにかわいそうだ。でもどの動物だってかわいそうだ。だから感謝して食べる。
決して当たり前だなんて思えない。「犠牲」「生け贄」これらの思想が何を意味しているか。
もっとその前に、自国の先住民に対して、まともに人間扱いせず虐待していたのはどこだったかな。
同じ人間同士守れない人間が、動物愛護だのなんだので国際問題にする前にしなけりゃならんこともあるだろうに。
なんて思いながらも、結局論議する気になれない。価値観のラインが違うとお話ができないから。
でも、よく考えてみると、それは無知から始まることだ。知ることができないから、その問題の本質が理解できない。これはしょうがない。
これから情報網などが発展していけばおのずと理解される世界も開けてくるだろう。そして白人至上主義者、選民思想などなど、人間ならではの愚かな勘違いが消え去るまで、似たような問題はいつでも出てくることだろう。
そんなわけで、相手をみて適当に言い流す、とは「うそも方便」のようなもの。
適当に、「あーそーだよねー殺すのはかわいそうだよねー。」「あたしは食べないからねー終」「うーん何でだろうねー」「戦争後の影響だったんじゃん」とかなり適当に言い流す。
だけど、そうこう言うより、これを観ると勉強になる!
このビデオ↓はよく勉強されて反論している。これだけの材料をもって望めば議論もできる、、かな?したくないけど。(^^;
いや~勉強になりました!やはり事実関係をはっきりさせるのは大事だね。
ぜひともみんなでお勉強会。喧嘩じゃなくてお勉強会。感情論でムカつくんじゃなくて勉強会!
日豪捕鯨討論 ~豪の言い分を全て論破~(前編)
http://www.youtube.com/watch?v=9p_reZsg8xA
日豪捕鯨討論 ~豪の言い分を全て論破~(後編)オチがイイ!
http://www.youtube.com/watch?v=bFI8xN1RhiQ
そして、このアメリカの男性も切り口がするどい。日本人以外の人が、ここまで反論してくれるとありがたくも思える。
やはり日本人は日本人としてしか見てもらえないしね。
プロバガンダバスター氏のビデオに日本語訳がついているバージョン:
http://www.youtube.com/user/umausa
本人のページ
http://www.youtube.com/user/PropagandaBuster
結構強気なおっさん、ハッハッハ ハッハッハ
しかしヨウツベはいろいろな番組が見られるねぇ…。知りすぎっちゃてコワイワ。
ハッハッハ!
本題:
捕鯨問題は平行線をたどったまま、まともな論議ができていない。
それは当然といえば当然の成り行きである。なぜならば、反捕鯨派の言い分というのは、やはりどの側面から見ても感情論でしかないと思うからだ。とはいっても、まったくのベジタリアンとか、完全無欠の非肉食である人が全部をひっくるめて「動物愛護」と言ってくるのとは、問題がちょっと違うが。
実際、オーストラリアを筆頭とした反捕鯨世論は、そもそもにおいて「価値観が違う」。例えば、「鯨はかわいそうだけど、牛羊豚鶏は家畜だからかわいそうでない、殺されても食べられても当然」という、まったくワタシには理解不可能な価値観と偏見が存在している。この出発点からして大きく異なる議論に、理論なんて成り立つわけがない。
どの動物にしても植物にしても、人間は自然の恩恵を受けているのだから、人間の偏った価値観で判断してわけのわからん議論を振られても、ただ頭にくるだけである。きれいで、かつて数の少なかった鯨だけは特別扱いという、その考え方にまともに反論しようと試みたが無駄であった。また、彼らがワタシを納得させるほどの論理的な反捕鯨への理由も無かった。
彼ら彼女らは、ただ「かわいそう」という感情と、「なぜ日本人は鯨をたべるのか」という食文化の違いへの不理解、そしておそらく「マスコミ誘導の世論」であろう。
多くのオーストラリア人や外国人が、この問題について文句をいうのは、おそらく国内のテレビ、ラジオ、新聞によるジャパンバッシングにそのまま洗脳されているからだろう。
洗脳だと思う理由は、やはり「生き物の価値レベル」が、念頭にある様子が見て取れるからだ。
例えば、「じゃあ、なんでBeefはOKなの?牛だってブタだって感情と神経がちゃんとあるよ。鶏だって同じだよ。なんで鯨だけは特別なの?」と聞けば、
「家畜はいいんだ。鯨は違う。」と、これしか言わない。というか、言えない。
それも、念仏を唱えるかのようにブツブツと「家畜は違う、、、」と、だからどうして、なんの基準で「生き物の価値レベル」が存在しているのかがわからない。
ここはおそらく、論議の基本点なので、その点をつつかれるとキレる。
そう、そこで感情的になる。
拒否反応である。DeadEnd、行き止まり行き詰まりになったところで、頭が感情的に反応する。
「家畜は食べられるために生きているから良い」なんて、家畜として生まれてしまった動物に対して人間としてココロから申し訳なく思う。実際、ワタシも食べちゃうから、この点では偽善者になってしまうがー。
しかし、彼ら彼女らは、そこは違うらしい。これはもう理解ラインを超えているので、ワタシには何も言うこともない。「迷える子羊たちよ、、、」の子羊を普通に食べ、、、、。なんらかの感情OFFスイッチがあるんだろう、きっと。
食文化といえば、豚足とか丸焼きとか、チキンの丸焼きとか、その姿だけで、実は食欲が衰退してしまう、そのレシピ。でもアチラではそれは残虐には見えないらしい。中国でも同じような食べ方がある。これは本当かわからないけど、その中国では出産後の人間の胎盤を食するところもあるとか…。(…!?)
日本は姿焼きというか、活け造りの調理法がある(ワタシあれ食べられないです、、、)
そういえば、カンガルーって駆除されてる。駆除。
人間の生活に危害が及ぶから駆除。逆にその危害って何かと言えば、まぁいろいろあるけど、人を襲うとか、民家を荒らすとか。でもその理由は、自分たちの住処を破壊されたから、本来なら近づきたくない人間のもとにやってきている。難しい問題だ。
どこまで偽善が続くのかはわからないが、この問題の背景に人種差別もかかわってきているらしい。たしかにそうかも。でもそんなことまで考えないで「反捕鯨」を言う人もたくさんいる。やはりプロバガンダに気づかず影響されちゃった?
反捕鯨をネタにして、募金を募っている団体ー。やっぱりどこか変だよねぇ?
でも、繰り返される「かわいそう かわいそう 野蛮 野蛮 動物愛護、、、」という思想の植え付けが浸透しているのだろうか。
確かにかわいそうだ。でもどの動物だってかわいそうだ。だから感謝して食べる。
決して当たり前だなんて思えない。「犠牲」「生け贄」これらの思想が何を意味しているか。
もっとその前に、自国の先住民に対して、まともに人間扱いせず虐待していたのはどこだったかな。
同じ人間同士守れない人間が、動物愛護だのなんだので国際問題にする前にしなけりゃならんこともあるだろうに。
なんて思いながらも、結局論議する気になれない。価値観のラインが違うとお話ができないから。
でも、よく考えてみると、それは無知から始まることだ。知ることができないから、その問題の本質が理解できない。これはしょうがない。
これから情報網などが発展していけばおのずと理解される世界も開けてくるだろう。そして白人至上主義者、選民思想などなど、人間ならではの愚かな勘違いが消え去るまで、似たような問題はいつでも出てくることだろう。
そんなわけで、相手をみて適当に言い流す、とは「うそも方便」のようなもの。
適当に、「あーそーだよねー殺すのはかわいそうだよねー。」「あたしは食べないからねー終」「うーん何でだろうねー」「戦争後の影響だったんじゃん」とかなり適当に言い流す。
だけど、そうこう言うより、これを観ると勉強になる!
このビデオ↓はよく勉強されて反論している。これだけの材料をもって望めば議論もできる、、かな?したくないけど。(^^;
いや~勉強になりました!やはり事実関係をはっきりさせるのは大事だね。
ぜひともみんなでお勉強会。喧嘩じゃなくてお勉強会。感情論でムカつくんじゃなくて勉強会!
日豪捕鯨討論 ~豪の言い分を全て論破~(前編)
http://www.youtube.com/watch?v=9p_reZsg8xA
日豪捕鯨討論 ~豪の言い分を全て論破~(後編)オチがイイ!
http://www.youtube.com/watch?v=bFI8xN1RhiQ
そして、このアメリカの男性も切り口がするどい。日本人以外の人が、ここまで反論してくれるとありがたくも思える。
やはり日本人は日本人としてしか見てもらえないしね。
プロバガンダバスター氏のビデオに日本語訳がついているバージョン:
http://www.youtube.com/user/umausa
本人のページ
http://www.youtube.com/user/PropagandaBuster
結構強気なおっさん、ハッハッハ ハッハッハ
しかしヨウツベはいろいろな番組が見られるねぇ…。知りすぎっちゃてコワイワ。
ハッハッハ!