おととい見た夢は、内容はあまりはっきり覚えていない、、、というか断片的に覚えてるけど本当に全部が脈絡の無いストーリー仕立てだった。
けれども、いつも違ってすごく楽しい夢だったみたいで、途中で半分目が覚めている状態で「寝ながら笑っている」自分を半分起きている状態で自覚していたんだわさ!
だから「寝ているのにスゲー満面の笑みを浮かべている状態の自分」を客観的に見たらマジで笑えるだろうなー、と、ちょっと可笑しく思いながら多分半分寝ていた、、、。
それから、これでもかってくらいまたハッピーを夢を見ていたようで、その日は一日で二日分くらいのハッピーな状態で脳みそを使った感じだ…。
…とはいっても、夢を長く覚えている状態っていうのは、結局よく眠れていない、ということだから、さすがに夢ばっかり見る夢見る少女、、、じゃなくてオバハン、、、も、さすがに最近疲れてきたヨ。一日24時間とは言えども、まるで日曜日の今日、飛行機でどっか行って帰ってきて、また今日は日曜日、、、みたいな日付変更線上をまたぎつづける日々みたいな感じ…。
要するに、フトンに入ったら別世界にトリップして、その違う世界で続けて生活しているような感じだ。でも「覚えていない部分」は、結局夢の記憶としては「存在していない」から、その記憶が、いわゆる「現実の世界」にて覚えてるかどうかというだけの違いなんだろうなぁと思う。その思い出すださないの違いで、こんなにも世の中の見方が変わるもんなんだなぁと不思議に思う。
というのも、妄想だろうと、創造、想像だろうと、結局「3~4次元では存在していない」事などを、脳の中(または意識の記憶)で実際見ているんだから、結局次元って何なのだろうって思ってしまう。
たとえば、知らない人がたくさん出てきたり、本当に知らない場所とか、はたまたアリエナイ空間とか、展開とか、夢の中というのがなぜにこんなに複雑でなければならないのかという部分も不思議だ。
頭の中での記憶の整理だったら、普通に見た聞いたまま、それをごっちゃにして何かしら現実っぽい夢のストーリーで見ていれば何の不思議もない。
でもなぜか一般的には「夢の世界は変で当たり前」という、「なぜ変(現実っぽくない)という事が当たり前なのか」という基本的な部分を疑問視しない。
それはまるで、「太陽を書いて」と言われて、日本の子供たちは赤で太陽を書くけど、西洋国の子供は黄色で書くという「植えつけられた認識の仕方の違いの存在」を間近で見て、それをお互いに変と思わないことに似ている。
実際、太陽なんて目で確認できても白に近い色(に見える)なのに。
しかし白い紙に描こうとしたら何かしらの「色づけ」をしないと目立たない。だからわかっていてもあえて現実とは違うことをする…。
これってどっちが「現実っぽい」のか判らない感じ!
色づけされた現実は、真実(または真理)ではないことはわかっているけど、それは置いといて、一般的な常識に沿った形で事をすすめる。
しかしながらその本質には触れたがらない傾向がある。何でだろう?
多くの場合、自分で理解できない現象や事柄があると、第一番目に見られる行動は「拒否反応」である。だが、「えーウソーぉ?ありえない!」と自分達が理解できることの範疇外の世界を見ても、そう、それは「ありえないこと」として存在している。想像にせよ、妄想にせよ、所詮は3次元に生きる人間の頭で作った内容なんだから、3次元、時間を加えても4次元を超えることはできないハズ、、、、、なのに?
夢とか想いとか記憶とか、そういった「見えない部分」は3次元と4次元(時間)では説明がつかない、、、けれども存在している。でもその証拠も示せない。
じゃぁ、それって何次元なのか?その別の次元ってのが仮に在ったとして、そこには「目に見えないチカラ」とか存在しているの?という疑問へ発展するわけだ。
見えていないけど、実際一人一人が、今まさにこの瞬間「想像している」その頭の中の「物体」等って、どこの次元に置けるの?
…どこの次元だか住所だかわからないけど、とりあえず在るみたい、でもその存在だけが全てじゃない。3,4,5次元、、、は 3rd, 4th, 5th という「その前が在って存在する、何番目のソレ」ということだから、全部がないと成り立たない。
一応4次元までの条件は確認できる。
その4次元目の「時間」をなんらかのチカラで操作されちゃっても、その次の5次元が一般的に認識されていなければ、その事実を確認できない…。うーんこりゃ怖いねぇ。
簡単に言うと、迷路ゲームを入り口から時間に沿って進んでいっている私たちとは別に、その出口方面から、その私たちの行動を生ぬるい目で見ている存在なんかあっちゃったりして、その出口の方向っていったい何があるのさ!とか、その出口の方向から、こちらの方を見るとどんな感じに見えるのよ!って思っちゃったわけだ。
まーその辺のところはそれぞれの「想像と創造と妄想と連想」あたりで更なる論議の発展を期待しつつ…
…
けれども、いつも違ってすごく楽しい夢だったみたいで、途中で半分目が覚めている状態で「寝ながら笑っている」自分を半分起きている状態で自覚していたんだわさ!
だから「寝ているのにスゲー満面の笑みを浮かべている状態の自分」を客観的に見たらマジで笑えるだろうなー、と、ちょっと可笑しく思いながら多分半分寝ていた、、、。
それから、これでもかってくらいまたハッピーを夢を見ていたようで、その日は一日で二日分くらいのハッピーな状態で脳みそを使った感じだ…。
…とはいっても、夢を長く覚えている状態っていうのは、結局よく眠れていない、ということだから、さすがに夢ばっかり見る夢見る少女、、、じゃなくてオバハン、、、も、さすがに最近疲れてきたヨ。一日24時間とは言えども、まるで日曜日の今日、飛行機でどっか行って帰ってきて、また今日は日曜日、、、みたいな日付変更線上をまたぎつづける日々みたいな感じ…。
要するに、フトンに入ったら別世界にトリップして、その違う世界で続けて生活しているような感じだ。でも「覚えていない部分」は、結局夢の記憶としては「存在していない」から、その記憶が、いわゆる「現実の世界」にて覚えてるかどうかというだけの違いなんだろうなぁと思う。その思い出すださないの違いで、こんなにも世の中の見方が変わるもんなんだなぁと不思議に思う。
というのも、妄想だろうと、創造、想像だろうと、結局「3~4次元では存在していない」事などを、脳の中(または意識の記憶)で実際見ているんだから、結局次元って何なのだろうって思ってしまう。
たとえば、知らない人がたくさん出てきたり、本当に知らない場所とか、はたまたアリエナイ空間とか、展開とか、夢の中というのがなぜにこんなに複雑でなければならないのかという部分も不思議だ。
頭の中での記憶の整理だったら、普通に見た聞いたまま、それをごっちゃにして何かしら現実っぽい夢のストーリーで見ていれば何の不思議もない。
でもなぜか一般的には「夢の世界は変で当たり前」という、「なぜ変(現実っぽくない)という事が当たり前なのか」という基本的な部分を疑問視しない。
それはまるで、「太陽を書いて」と言われて、日本の子供たちは赤で太陽を書くけど、西洋国の子供は黄色で書くという「植えつけられた認識の仕方の違いの存在」を間近で見て、それをお互いに変と思わないことに似ている。
実際、太陽なんて目で確認できても白に近い色(に見える)なのに。
しかし白い紙に描こうとしたら何かしらの「色づけ」をしないと目立たない。だからわかっていてもあえて現実とは違うことをする…。
これってどっちが「現実っぽい」のか判らない感じ!
色づけされた現実は、真実(または真理)ではないことはわかっているけど、それは置いといて、一般的な常識に沿った形で事をすすめる。
しかしながらその本質には触れたがらない傾向がある。何でだろう?
多くの場合、自分で理解できない現象や事柄があると、第一番目に見られる行動は「拒否反応」である。だが、「えーウソーぉ?ありえない!」と自分達が理解できることの範疇外の世界を見ても、そう、それは「ありえないこと」として存在している。想像にせよ、妄想にせよ、所詮は3次元に生きる人間の頭で作った内容なんだから、3次元、時間を加えても4次元を超えることはできないハズ、、、、、なのに?
夢とか想いとか記憶とか、そういった「見えない部分」は3次元と4次元(時間)では説明がつかない、、、けれども存在している。でもその証拠も示せない。
じゃぁ、それって何次元なのか?その別の次元ってのが仮に在ったとして、そこには「目に見えないチカラ」とか存在しているの?という疑問へ発展するわけだ。
見えていないけど、実際一人一人が、今まさにこの瞬間「想像している」その頭の中の「物体」等って、どこの次元に置けるの?
…どこの次元だか住所だかわからないけど、とりあえず在るみたい、でもその存在だけが全てじゃない。3,4,5次元、、、は 3rd, 4th, 5th という「その前が在って存在する、何番目のソレ」ということだから、全部がないと成り立たない。
一応4次元までの条件は確認できる。
その4次元目の「時間」をなんらかのチカラで操作されちゃっても、その次の5次元が一般的に認識されていなければ、その事実を確認できない…。うーんこりゃ怖いねぇ。
簡単に言うと、迷路ゲームを入り口から時間に沿って進んでいっている私たちとは別に、その出口方面から、その私たちの行動を生ぬるい目で見ている存在なんかあっちゃったりして、その出口の方向っていったい何があるのさ!とか、その出口の方向から、こちらの方を見るとどんな感じに見えるのよ!って思っちゃったわけだ。
まーその辺のところはそれぞれの「想像と創造と妄想と連想」あたりで更なる論議の発展を期待しつつ…
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