猫のCOCOとヒゲじいさんのなっからさくい生活

なっからさくいは「めっちゃ気軽な」って感じ、ちっとんばいデブなシャム系猫といい歳こいたじいさんの自楽な生活記録です

松竹院裏の馬場川にある分水堰から、水路に沿って雨の中の散歩、斜め道路なんかを歩いて…

2023-06-23 08:02:43 | なっからさくい生活

昨日は朝から雨になりました。でも、馬場川の下流の分水を見に行くって言っちまったんで、朝食休憩をとった後、雨支度をして傘を差して歩いて散歩に出ました。馬場川まで来ると、第二舟橋の舟の上には、前日のカルガモの姿はありませんでした。


馬場川が国道の下へ入る手前にも水門がありますが、ハンドルは錆びつき、使われていないみたいです。たぶん、馬場川の水系と端気川の水系を連絡する水路の一つだと思います。前橋の街中の用水は、あちこちでお互いに繋がり合っています。雨は結構な降りでした。

 <雨降ってんだから、気を付けて行って来いよ。滑ってハタッ転ばないようにしなよ!>、出かけてくるときにCOCOが心配してくれてました。全く散歩日和でない雨中の2時間余をご覧ください。

 

 
国道50号を渡って松竹院の裏手へ行くと馬場川の流れに再会します。国道から見ると、少し先で水路の三分の一ほどのところに水路を分けるコンクリート壁があります。川の流れが二つに分かれています、分水です。

 
30mほど下流へ行って振り返ると、幅の広い水路はゆったりとながれ、狭い方の水路はずっと流れが速いのです。それに、水面の高さに20cmほどの差ができています。狭い水路の方が強い勾配で流れ下っているのです。水面で雨粒が踊ってました。

 
二つに分けた水の流れが二つに分けられてから50mほど下流に、水量を調整するための水門があります。右方向の広い水路が馬場川の本川、左の狭い水路は昔は元川や村島の養魚場を経て端気川へ合流する水路です。狭い水路と広い水路の間の水門はぴたりと閉じています。広い水路側の水門で分水量を調整しているようです。馬場川の松竹院裏の分水堰です。

 

 
広い水路はマンションの西側を暗渠で抜けて、その先のJR両毛線の高架を潜り抜けています。端気川に合流する水路はマンションの北側から東側を回ってから鉄道高架の下を潜り抜けています。今日は、広い水路の方をたどります。

 
鉄道高架の南側へ行くと、道の下から水音が聞こえてきます。覗くと、地下の水路に水の流れが見えます。

 
ちょっと古びた住宅地の道の左側に暗渠水路があります。この道は5~60mでT字路になっていて、その突き当り、町内の掲示板と非行防止のタテカンの向こうに草の茂みが見えています。

 
ゴミの集積所から覗くと水路が見えました。真っすぐに南へ、でも水路脇に道がないので迂回することになりました。雨に濡れたハンゲショウに出会いました。

 


迂回してセブンイレブンのところへ出ました。水路は暗渠となってこの店の東側にある南東方向へ向かう道の右側を流れています。ここはね、かつて関口養魚場という鯉の養殖場がありました。その後、鯉の養殖をやめて、金魚の養殖をしていましたけど、それもしばらく前におしまいになりました。


この写真は2012年3月8日に撮影したものです。道の北側の池で金魚の養殖をしていました。私が前橋高校へ通っていた頃には金魚でなく鯉の養殖をしてました。

 
10年前の風景です。でもずいぶん昔の風景のような気もします。今セブンイレブンがあるのは枯草が茂っている道の南側の池があったところです。関口養魚場は馬場川の水を利用していたんです。

 

 
セブンイレブンから南東方向へ歩いて行くと道の右側に水路が現れます。

  七つとせー 斜め道路で体当たり
  彼女はエス校の落第生 そいつは豪気だね、そいつはねー

前橋高校第二校歌」と呼ばれていた歌の七番です。学校や同窓会ののHPには掲載されていない歌です。ここに出てくる「斜め道路」がどの道であるかは特定されていません。それと、「エス校」という学校がどこの学校指すのかも分かっていません。全くもって意味不明な歌です。でも、この水路の流れる道、この歌が唄われた天川原校舎時代の前中・前高生の通学路であったことは確かです。斜になってる道筋です。


斜め道路はほどなく広い道へ出ます。欅ウォークが見えます。戦前は中島飛行機の工場、戦後はダイハツ車体の工場でした。前橋中学が天川原校舎に移転したのが昭和9年、その年の秋に行われた関東地方陸軍特別大演習に際して天皇陛下が前橋中学に行幸されています。この道が「御成道路」と呼ばれていたのは行幸に際して整備されたからかなと思っています。

 
広い道の南側一帯は、私が高校生の時にはまだ田園地帯、その中を斜め道路が続いていました。田んぼ道でした。今はもう、田んぼはありません。斜めの道も消えて、水路も見つかりません。現在は、前橋の中でも、とりわけ立派な住まいが集積しているところとなっています。そうそう、まだ田んぼだったころにサンヨー食品の工場ができて、「ピヨピヨラーメン」を作っていました。(サンヨー食品のHPによると、天川原工場は1957年、ピヨピヨラーメンの発売は1963年だそうです)

 

 
清涼高校の近くでUターンして広い道の北側に戻ってくると、北西から南東へ向かう狭い路地や路地にもなってない通路風のに出会います。みんな昔の水路跡、馬場川からの用水は南東に向かって流路がつくられていたので、そこから分けられる小水路も南東へ向かって流れていた跡が見られます。

 
旧高田町の坂道を下ってくると坂下で水路に出会います。松竹院裏の分水の狭い方の水路の下流です。この先で端気川に合流します。振り返って下ってきた坂道を見上げます。この坂を登った先の方にあった貸家で、78年前の4月に私は生まれたらしいのです。生まれてまもなくに、米軍の空襲を避けるために勢多農林の上泉農場の納屋へ疎開したんだそうです。何も覚えていません、後から聞かされた話です。

 

 
いろんな草ぐさが大事に育てられている庭に出会いました。イチリンソウの花が咲いていました。いいですね。

 散歩のしまいはドラッグで買い物、入れ歯洗浄剤と新ビオフェルミン、それを伏見稲荷のコンコンさまの袋に入れて、ジジイの買いもんだいね…。2時間余の雨中の散歩、お付き合い感謝します。

 

 午後2時に「理容たけうち」を予約してありました。店に置かれた水槽にはでかいランチュウが2尾暮らしています。このランチュウはさ、私が食道がんの手術をする前からこの店で暮らしているんです。ひょっとして、関口養魚場生まれなのかな…。

 
整髪してもらった帰り道、雨の中を出歩いている猫を見っけました。気の強そうな顔をした猫でした。

 

 家に戻ってCOCOに散歩の報告をしたのですが、ほとんど関心を持ってもらえませんでした。どうでもよいことみたいです。

 
夕食は野菜の天ぷら、人参葉、人参、舞茸、筍、それと新ジャガと新タマネギのかき揚げです。ナスは翡翠煮にして。

 
人参とタマネギの方が多い豚肉の南蛮、うわじま麦味噌を使ったキュウリの味噌もみです。

 
汁はほうれん草の卵とじでした。ユキ子さんの両親へは同じメニューをお届けしました。

今日はNiiSでトレーニングした後、JAはぐくみの榛名支店の梅の選果場へ行ってきます。大粒の梅の良いのがあったら分けてもらってきます。20kgやっちゃおうかな…

 

 ヒゲじいさんの連れ合いの三代目若柳吉駒でございます。           

1937年(昭和12年)に祖母の初代吉駒が始め、伯母の二代目吉駒が受け継いでまいりました直派若柳流美登利会、毎年春に公演会を開催しまいりまして本年4月の公演で79回目を迎えることができました。そして、7月24日には浴衣ざらい(会場:昌賢学園前橋ホール)を開催いたします。また、来春4月7日には第80回美登利会公演を予定しております。会員一同これからも精進を重ねてまいりますので、あい変わりませず宜しくお願い申し上げます。

《最近の美登利会と吉駒リサイタルの舞台をご覧になりたい方は…》
第79回美登利会と第4回三代目吉駒リサイタルはこちらでご覧ください

第78回美登利会と第3回三代目吉駒リサイタルはこちらでご覧下さい
第77回美登利会と第2回三代目吉駒リサイタルはこちらでご覧下さい
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