猫のCOCOとヒゲじいさんのなっからさくい生活

なっからさくいは「めっちゃ気軽な」って感じ、ちっとんばいデブなシャム系猫といい歳こいたじいさんの自楽な生活記録です

七夕まつりの片づけ見ながらNiiSへ行った帰りにバナナの花に出会い、前橋が「バナナの里」になるのではと…

2024-07-09 07:13:42 | なっからさくい生活

朝の9時半ごろです。こども公園の駐車場から眺めた赤城山、シルエットみたいですけど山全体が見えているのは久しぶりのことでした。でも、涼しくなったわけではないです、この時間から気温は30℃を超えていたんです。

     
こども公園の広場には人の姿が見えませんでした。散歩している人もいなかったです。「危険な暑さ」なんですから当然のことです。

 

     
七夕まつりの片づけをしている街を抜けてNiiSへトレーニングへ行きました。「危険な暑さ」の中でもたくさんの皆さんで賑わったみたいです。まつりの後は普通のまちに戻りますけど、「危険な暑さ」は続いています。

     
1897年(明治30年)生まれのユキ子さんの祖母の初代吉駒から聞いた七夕の思い出話です。「七夕の日にね、前橋公園の崖のとこの湧き水でお髪を洗うと幸せな女の子になれるって言われて、髪を濡らしに行ったのよ…」。前橋七夕まつりは戦後に始まった催事、初代の思い出話はそれよかずっと前のことです。二代目が髪を洗った湧き水ってどこにあったのかもわかりません。その頃は「危険な暑さ」なんてなかったはずです。

 

     
利根川の流水がすごく少なくなっていて、水際に砂利の川底が露出しています。釣り人が流れのど真ん中まで入り込んで鮎を追っていました。暑さのことが気になったんで、40年前の1983年の7月の最高気温を調べたら、平均では27.0℃、一番高かった日の最高気温は33.9℃でした。「危険な暑さ」ではなかったです。

     
道端に白い花のヒルガオ、外来種のセイヨウヒルガオかな…。去年2023年の7月の最高気温の平均値は34.4℃、一番高かった日の最高気温は39℃、「危険な暑さ」でした。40年前と比べると、平均値で「+7.4」、最高で「+5.1」、ずいぶんと違うものですね。今年は去年よりも暑いかもって話です…

 

     
「危険な暑さ」を避けて家の中に引きこもっていたので少々身体がだるかったのですが、鈴木トレーナーはあんまし手加減してくれませんでした。トレーニングを終えて、NiiSの前を流れる滝川の眺めて帰ってきました。川岸に生えている木は、つる草のクズにすっかり覆われてしまっていました。余水吐きの堰は気持ちよい水音が聞こえていました。

     
余水吐きの堰を眺めていたらカワウが一羽飛んできて、堰の水に降りました。すぐに潜ったんでデジカメで追っていたら浮いてきたところをとることができたんですが、何も咥えていませんでした。

     
道端の家の庭にバナナを見っけました。花が咲いています、青い小さな実もなっています。凄いですね、ここでは「危険な暑さ」は、「バナナが実る暑さ」になっていました。前橋がそのうちにバナナの名産地になって、「バナナの里」なんて呼ばれるようになるのかもしれません。

     
そして、前橋のすべての猫が、COCOと同じようにへそ天寝姿になる日がやってくるのです。家に戻って着替えとシャワーのために二階へあがったら、見ちゃったんです。

 

     
「バナナの里」になったとしても作れそうな料理をと、夕食はココナッツミルクとトマトを使ったチキンカレーを作りました。南ん国のカレーです。香辛料は、ローリエ、ニンニク、根ショウガ、ターメリック、カイエンペッパー、クミン、黒コショウ、コリアンダー、カルダモン、シナモンを使いました。あまり辛くはしませんでした。

     
<オレの先祖が暮らしていた国の匂いがするな…>って思っているのかな、COCOが階段から見物していました。とにかくこの暑さは異常です。私が小学生のころには気温が30℃を超える日なんて極めて珍しかったんです。今は、朝から夜までずっと30℃を超えているんです。この原稿を書いている今(21:00)の外気温は30.7℃です。

 

     
夕食はココナッツミルクとトマトのチキンカレー、トッピングはズッキーニ、シシトウガラシ、サヤインゲン、舞茸、ナス、夏野菜のソテーですが、盛り付けがあんましきれいでない、反省してます。サラダはトマトとラディッシュとレタスのサラダでした。ユキ子さんには保存容器で運んでもらって、義母さんちで盛り付けてもらいました。

今日もまだ「危険な暑さ」が続くみたいです。前橋が「バナナの里」にならないことを願いながら、自愛生活を続けます。

 

 ヒゲじいさんの連れ合いの三代目若柳吉駒でございます。
1937年(昭和12年)に祖母の初代吉駒が始め、伯母の二代目吉駒から私に引き継がれた美登利会を主催しております。本年4月には第80回の舞踊公演を行うことができました、こんなに長く続けることができておりますのも、会を支えてくださる多くの皆様のおかげと、ただただ有り難く、感謝申し上げるばかりです。来春も第81回舞踊公演の開催を予定しております。会員一同精進を重ねてまいりますので、どうぞ宜しくお願い申し上げます。

《最近の美登利会と吉駒リサイタルの舞台をご覧になりたい方は…》
第80回美登利会と第5回三代目吉駒リサイタルはこちらでご覧ください
第79回美登利会と第4回三代目吉駒リサイタルはこちらでご覧ください
第78回美登利会と第3回三代目吉駒リサイタルはこちらでご覧下さい
第77回美登利会と第2回三代目吉駒リサイタルはこちらでご覧下さい
第76回美登利会と三代目吉駒襲名リサイタルはこちらでご覧下さい
お稽古場は前橋市城東町、詳しくはこちらをご覧下さい


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2 コメント

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Unknown (ようこ)
2024-07-09 10:31:55
昔々
私が中学~高校生だった頃「暑いと思ったら29度もあったよ」とか「今年の夏は30度超えが3日もあったんだねぇ」とかの会話を大人がしていた記憶が有ります。
生徒数の増加で扇風機もエアコンもない急造プレハブ校舎でも平気だった訳です。
暑さのせいとちょっぴり耐寒性のある品種のせいかバナナ…前橋でも作れるのですね。
昔バナナだと思って見ていたら大人に芭蕉だと教えられた事を思い出しました。
最近芭蕉に会う機会が減っているように思います。
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暑さ (ヒゲクマ)
2024-07-09 10:59:56
ようこさん
年々暑くなってきているのは間違いのない事実です。私が9歳だった70年前の1954年7月で最高気温が30℃を超えた日は5日です。一番高い日でも32.0℃、昨日の朝の気温です。バナナの花をこの街で最初に見たのはバラ園に温室がつくられ、そこに植えられていたバナナの花を見てびっくりしたんです。バラ園の開設は1971年、私が大人になってこの街へ戻ってきた年のことです。そのころは、バナナは温室の「熱帯植物」だったんですよね。
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