猫のCOCOとヒゲじいさんのなっからさくい生活

なっからさくいは「めっちゃ気軽な」って感じ、ちっとんばいデブなシャム系猫といい歳こいたじいさんの自楽な生活記録です

街中にまた新しい店『手紙舎前橋店』が2日にオープン、クラフトビールも飲める雑貨店みたいですよ

2023-02-28 20:22:25 | なっからさくい生活

中央通商店街のイベント広場のすぐ前にあるシェアーオフィスビル「COMM」の一階で店が開店準備をしていました。改装工事をしてたのは気付いていたのですが出来上がったみたいなので外から覗いてみてたんです。「手紙舎」、変わった名前の店です。中から人が出てきて「よろしくお願いします」って、カードを手渡してくれました。


3月2日、明日オープンなんですね。イラストとビールとサンドイッチって、よく分かんねえな、細かい字がいっぱいなので全文拡大して掲載しちゃいます。




ということなのです。手紙舎のホームページはこちらです。ちょいと南に無印良品が開店したばかり、また新しい店が開きます。それも、楽しそうな店、ビール飲めないけど紅茶は飲めるので遊びに行きます、嬉しいですね。

 私が街に来たのは、すぐ先の角を銀座通りに曲がったところにある「みちした」で、携帯のストラップの紐を交換してもらいに来たのです。このストラップのトップの革細工は「みちした」のおかみさんの手作り、笑い猫です。大事に使っているのです。

 

 
昨日は心地よい日差しが届いて暖かくなりました。若宮町へ行くのに桃ノ木川を眺めてと思って家を出たら、陽だまりで眠りこけている連中に出会いました。ロン毛の黒猫は声をかけても起きません。暇げなロボットは動こうともしませんでした。


農業用水の補給が止まっている桃ノ木川の流れは細くなっちまってました。可動堰は開放され、貯まり水も消えていました。もちろん水鳥の姿もありません。

 
少し上流の流れがよどんでいるところにヒドリガモの群れがいました。


堤防の上から眺める赤城山もすごく春めいていました。ちょっと前の雪はもう消えていました。手前の集落は幸塚町です。

 川岸の柳の枝の先にツグミが一羽とまっていました。3月になると北へ向かって旅立ってゆきます。

 


街中の広瀬川、交水堰の溜り水もこんな少しになりました。カルガモが6羽ほど狭い水面を泳いでいました。水面に映る影も暖かげになりました。

 それで手紙舎前橋店の開店準備風景に出会ったのです。みちしたでストラップの紐を付け替えてもらって、それから前橋駅で買い物をして家に戻りました。


家に戻って、COCOに新しいおもちゃを披露しました。耳が前に突き出しています、ものすごく魅かれている証拠です。


ちょいと上の方へ移動させたら目つきがこんなになっちまいました。寄り目の上目遣い、ベロもチビッと出しちまって、もう興奮状態に入っています。

 
あとはこうなります。遊び好きなCOCOです。

 
近所のドラッグに、爺さまらしく入れ歯洗浄剤なんかを買いに行ったら、広瀬川の岸の梅の木にムクドリが群れていました。花をつついている奴はいません、みんなただ集まっているだけでした。

 

 
夕食にはちょいとお洒落なサラダとジェノベーゼ風のマカロニを作りました。サラダの中央はサケの中骨缶と刻んだワサビの葉のマヨネーズ和え、周りはレモンで下味をつけた白菜、ミカン、ブロッコリーです。ジェノベーゼ風は二日前に私が食べなかったポークシチューを作り変えたんです。おいしく変身してくれました。

今日から3月、3日の桃の節句にはひな寿司を作るので今日から準備を始めようと思っていたところへ、渡辺幸男さんの訃報が届きました。県庁職員になったときから「きょうちゃん」と呼んでくれた二つ年上のアンちゃんでした。悲しいです。

 

 ヒゲじいさんの連れ合いの三代目若柳吉駒でございます。
1937年(昭和12年)に祖母の初代吉駒が始め、伯母の二代目吉駒が受け継いでまいりました直派若柳流美登利会を承継しております。毎年春に開催しております舞踊会は、戦時中の開催禁止と一昨年のコロナ禍による延期を除いて、今年で78回を重ねることができました。今春4月9日には、第79回舞踊会を開くことといたしまして、会員一同精進を重ねております。引き続きご贔屓くださいますようお願い申し上げます。

《最近の美登利会と吉駒リサイタルの舞台をご覧になりたい方は…》
第78回美登利会と第3回三代目吉駒リサイタルはこちらでご覧下さい
第77回美登利会と第2回三代目吉駒リサイタルはこちらでご覧下さい
第76回美登利会と三代目吉駒襲名リサイタルはこちらでご覧下さい
お稽古場は前橋市城東町、詳しくはこちらをご覧下さい

 

 


広瀬川でムクドリの大群に出会った。そして、NiiSへ行くのに渡った群馬大橋の思い出…

2023-02-28 07:50:05 | なっからさくい生活

広瀬川の水の無い乾いた川底から、ムクドリの群れが一斉に飛び立ちました。ものすごい数、写真に写っているだけで100羽ほどいるみたいですから、300羽ほどの群れだったみたいです。

 
昨日の午後、JAファーマーズ朝日町店へ買い出しへ行きました。こども公園の脇の広瀬川も川底がカラカラに乾いています。見ると、無数もムクドリが川底で採餌しています。いるわいるわ、とにかくいっぱいなのですが、写真にとってもその数をお見せすることができません。

 ちょうど女性が一人川沿いの道を歩いて行きます。女性に気づいてムクドリが飛び立つかもしれないと、静かに待っていました。

 
想定通りムクドリの群れは一斉に飛び立ちました。そして、こども公園の木立の中に吸い込まれて行きました。広瀬川の断水のおかげで、毎日、鳥たちの姿を楽しむことができています。

 


昨日は群馬大橋を渡ってNiiSのジムへ出かけました。風も穏やかになって、気温も上がってきていました。気持ちよく赤城山を眺めながら橋を渡ることができました。


群馬大橋です。1953年、私が8歳の時にできた橋です。美しい4連の鋼製アーチの橋、橋の長さは280メートル、車道の幅員は9メートル、両側に幅2メートルの歩道が付いていました。下流側に新しい上り専用の橋が1997年に増設されて、アーチ橋は下り専用になっています。竣工間もない1960年ごろの写真をブログ「撮り鉄人生録∔α」で見っけましたのでご覧ください。


この橋の工事中、何度も見物に通いました。アーチ部を見るとたくさんのリベットが打たれています。いったい何本あるのかな、ものすごい数です。この橋のアーチは、現場で鋼材をリベットで繋ぎ合わせ固定しながら組み上げて行ったのです。そのリベット打ちの風景は今でも忘れられません。


アーチの下部ではフイゴ(鞴)の付いた炉でコークスが炎を上げていました。その中に放り込まれたリベットはオレンジ色に焼けています。その焼けたリベットを、炉の脇の職人さんが、アーチの上の作業台めがけて放り上げるのです。作業台で待つ職人さんは大きな耐熱グローブをはめて待ち構えていて、みごとに受け止めるのです。そして、リベットは鋼材に打ち込まれて行きました。オレンジ色に焼けたリベットが弧を描いて飛んでゆく姿を今でも覚えています。


この橋は国道17号ですから国が管理しています。でも、架橋工事を担当したのは国でなく群馬県でした。私が県職員になったときの上司の企画部長だった横田博忠さんがこの架橋工事を担当したのだそうです。「大学の専攻は船舶工学だったけど、戦争に負けて仕事がなくて、それで土木技術者になったんだ…」と、横田さんは言っていました。そして、このものすごい数のリベットがきちんと打設されているかどうか、一本一本ハンマーですべて打撃検査したことを笑いながら話してくれたのを憶えています。

 


昨日のトレーニングは、いつもよりも息があがったみたいです。鈴木トレーナーも気づいていたみたいです。体調が少し変動しているのかな…。帰りは中央大橋を渡りました。橋の上から、赤城山の稜線の向こうに雪の上州武尊山の姿が美しく見えていました。

 
前橋公園のマンサクの花が満開になっていました。不思議な花です。マンサク何て名前の由来は良く分からないみたいです。早春に咲くことから「まず咲く」が転訛したって説、また黄金色の花がたくさん咲くことから「万年豊作」だという説、他にも諸説あるみたいです。日本固有種なんですよね。

 昼食は家に戻ってゼンフーズの「かかあの餃子」を焼いていただきました。昨日は上手に焼けました。トレーニングの後にはとてもありがたい食べ物です。

 

 
ゆっくり休息してからJAファーマーズ朝日町店へ出かけたんです。暖かになってきていました。そいで、広瀬川のムクドリの群れに出会ったんです。先週の金曜日に買い出しをしませんでしたので、昨日は結構いろいろと買い込んじまいました。3日のひな寿司の材料も調達しています。

 買い物をして戻るとCOCOの姿が見当たりません。どこにいるのかと探すと、二階の洗濯機の上の小窓に座って日向ぼっこしてました。わが家で西日が差し込むのはここと台所の窓だけ、お天道さんが大好きなCOCOでした。

 

 
夕食は天ぷらを揚げました。ウドの芽、人参、スティックセニョール、ちくわ、ネギとしらす干しです。それと、ウドとチクワと椎茸の卵とじです。懐かしい食べ物です。

 
サラダは白菜とスティックセニョール、汁は春菊でした。野菜をたくさん食べるとなんとなくホッとします。

今日は天気もよろしいようなので少し運動をします。

 

 ヒゲじいさんの連れ合いの三代目若柳吉駒でございます。
1937年(昭和12年)に祖母の初代吉駒が始め、伯母の二代目吉駒が受け継いでまいりました直派若柳流美登利会を承継しております。毎年春に開催しております舞踊会は、戦時中の開催禁止と一昨年のコロナ禍による延期を除いて、今年で78回を重ねることができました。今春4月9日には、第79回舞踊会を開くことといたしまして、会員一同精進を重ねております。引き続きご贔屓くださいますようお願い申し上げます。

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寒い日曜日でしたが、ちょいと出たらサンシュユの花が咲き始め、オウバイ(迎春花)が窓に飾られていました

2023-02-27 07:49:19 | なっからさくい生活

カラスです。断水中の広瀬川、浅くなった交水堰の溜水ので餌を探していました。朝は氷点下、昼間もあまり気温が上がらずさむいにちようびとなりました。前日ほどではないですが冷たい北風が吹いていました。

 
比刀根橋の上流の川底はすっかり乾いています。下流の水溜りには、柳の枝の影が揺れています。鳥が一羽、ハクセキレイです。

 
セグロセキレイもいます。ツグミの姿もありました。

 もちろんムクドリもいます。断水中の広瀬川の溜水にはいろんな鳥が集まってきています。寒さ堪えて眺めていました。

 

 
COCOは心地よい日差しの中で毛づくろいしたり、あくびをしたり、そして昼寝なんです。私は、揚げ麩の煮物を作ってから、三俣町へ用足しにでました。

 
上毛電鉄の城東駅のホームには自転車を持って電車を待っている人の姿、上電は朝夕の混雑時以外は自転車を押して一緒に乗車できます。運賃はヒトだけで乗るのと同じです。どこかへお出かけの人ですね。佐久間川も水が止まっています。川底はからからに乾いていました。

 
三俣町の家並みの向こうの赤城山です。まっこと冬の赤城山です。でも道端の家の庭の梅の木はきれいに花咲かせていました。

 
これ、サンシュユです。咲き始めています。「ハルコガネバナ(春黄金花)」の別名を持つ春告げ花です。この花が咲くと、もう寒い日は来ないみたいに言うのですが、大丈夫かな…

 

 いったん家に戻って、ユキノシタやなんかに水遣りです。寒さと乾燥で枯れちまわないのかと思うのですが、小さな緑の葉を増やしていますので、寒くても水をあげないと。

 
それから街へ、広瀬川を眺めて、ヤギカフェでランチです。まち行く人はしっかり防寒着を着込んで冬支度です。ヤギカフェでは建築家の米田雅夫さんにお逢いしました。井野川の傍でカワセミの巣の番人をしている優しい建築家です。

 
商店街は冷たい風が吹き抜けていましたけど、それなりに人の姿がありました。黒田人形店が開催している「ベイブレード大会」の会場には雛人形が飾られていましたが、みんなブレード回しに夢中みたい、雛人形を見ている人は私一人でした。


千代田町5丁目の美容院のウインドーです。飾られている花はコデマリとオウバイ、オウバイ(黄梅)は中国の花、「迎春花(yíng chūn huā)」と呼ばれている春の花なのです。こんなところで会えるなんて…

 

 
家に戻るとCOCOは玄関脇の猫窓からじっと外を眺めています。上京してユキ子さんがいないのでつまらないみたい、帰りを待っているのです。私のおやつは、前日にいただいたフキノトウ入りのクッキー、ほろ苦くておいしかったです。ごちそうさまでした。

 
夕方外に出ると、近所の木にムクドリの百羽ほどの群れが、まっこと賑やかに止まっていました。群れが飛び立つ瞬間を待っていたら、群れの一部を撮るのに成功しました。凄いですね。

 

 私の夕食は春菊と椎茸のかき揚げと揚げ麩の煮物を載せた温かいうどんでした。COCOの夕食をしてやってから、6時半ごろにいただきました。

 
ユキ子さんは8時半過ぎに帰宅しました。「お腹空いたよ~」だって。白菜とミカンとカキ菜のサラダと、ポークシチューライスを食べてもらいました。ユキ子さんは、国立劇場で開かれた花柳寿楽師の『錦会』へ、ついでに他も回ったみたいで腹っ減らしで帰って来たんです。

 
土産は錦会の焼き印が押された千鳥饅頭、久しぶりで美味しくいただきました。<オレにも、なんかないのか?>、「おまえにはないみたいだぜ」、<………………………………>。

 

 ヒゲじいさんの連れ合いの三代目若柳吉駒でございます。
1937年(昭和12年)に祖母の初代吉駒が始め、伯母の二代目吉駒が受け継いでまいりました直派若柳流美登利会を承継しております。毎年春に開催しております舞踊会は、戦時中の開催禁止と一昨年のコロナ禍による延期を除いて、今年で78回を重ねることができました。今春4月9日には、第79回舞踊会を開くことといたしまして、会員一同精進を重ねております。引き続きご贔屓くださいますようお願い申し上げます。

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風の中を岩神町の養田鮮魚店まで、広瀬川の水溜りにキセキレイ見っけ、寒かったけど梅の花見して…

2023-02-26 07:46:19 | なっからさくい生活

昨日はキセキレイに出会いました。街中で出会うことの少ないセキレイです。


定期断水で水の流れが完全に止まっている広瀬川、比刀根橋の上から交水堰を見ています。浅くなった堰の水溜りに鳥の姿がありました。セキレイです。その中にキセキレイもいたのです。

 
もちろん、セグロセキレイも、ハクセキレイの姿もありました。断水で出来た浅い水溜まりは小鳥たちのえさ場になっています。風がやたらと強い日でした。夕方近くには強風というよか烈風という感じになっていました。アメダスが記録した最大風速は8.9m/秒でした。

 

 
風は強かったのですがよく晴れて素敵な日差しが届いていました。COCOはご満悦、私の朝の一仕事は、さつま芋のレモン煮と、蓮根と乾煎りした油揚げのきんぴらを作りました。常備菜です。強風なので遠出はできないのですが、友人の仕事場を訪ねながら岩神町の養田鮮魚店へ行くことにしました。まずは広瀬川によって…

 

 
友人を訪ねると、仕事場のソファーに寝袋が置かれていました。どうやらここで寝起きしているようです。お茶をごちそうになって、大根を4本分けてもらいました。友人の仕事場から岩神町へ向かう途中の平和町の通りからは榛名山が間近に見えていました。強い風、電動アシストを「強」にしました。


岩神町へ入ると梅に出会いました。みんな満開、養田鮮魚店に寄って柳原にでるまで、梅の木を見っけては自転車を停めて花見をしました。出会った7本の梅をご覧いただきます。

   

 

 
梅といっても、それぞれに違いが見えます。いいもんです。冷たい強風に吹かれながら花びら一枚飛ばすことなく咲いていました。臨江閣の土塁の松の梢は、怖ろしく大きな音を鳴り響かせていました。


柳原発電所の水槽と余水吐き、そしてその向こうに広瀬川の制水門、水のない時にだけ見ることのできる風景です。毎秒90立方メートルの大水量を使って最大出力7500キロワットの発電をしている発電所の水槽って、こんなにデカいんです。

 

 
わが家の近くの広瀬河畔の梅の木も満開です。藪の中にスズメの姿を見っけました。強風を避けているみたいです。そういや、東和銀行本店近くでマナティーさんに出会いました。「風が強くて飛ばされそうなのでバスできました」と叫びながら髪を抑えて歩いていました。ほんと、私の自転車も風にあおられました。

 

 
寝袋友人にもらった大根です。上のよりもう一回りデカい2本は、養田鮮魚店に寄贈しました。とても喜こんで「お友だちによろしくお礼言ってください」と言付かりました。ヤンニョムの作り置きがあったので、早速カクテキを作りました。これは「ひろ子」のお客さんへ差し入れです。

 それから養田鮮魚店で買って来た兵庫産の生食用の殻付きの活きガキを開いたりして遊びました。いいカキです。うまそうです。

 

 5時半過ぎ、ユキ子さんの両親へのおとどけです。こんなして、風呂敷で包んだのを専用の布製バックで運びます。昨日は、刺身の盛り合わせ、セリの浸し、活きガキ、さつま芋のレモン煮、蓮根と油揚げのきんぴら、それと、2日かけて作ったポークシチューも一緒しました。ポークシチューは明日か明後日に食べてもらいます。

 
西の空には茜色の千切れ雲が飛んでいました。東の空の雲が夕日に照らされて茜色に染まってきれいでした。この時間でも、風で自転車が煽られました。寒かったです。

 

 
生牡蠣です。兵庫産はおいしいです。まだしばらくは食べられそうです。刺身の盛り合わせはマグロと刺身用の釣りアジです。おいしいアジでした。

 
寝袋友人にもらった大根を早速煮て、胡麻味噌でいただきました。真冬の味です。さつま芋のレモン煮とセリの浸しです。

 汁は春菊の卵とじ、毎週末の刺身の夕食でした。

今日も風が強そうです。無理をしないでのんびりします。

 

 ヒゲじいさんの連れ合いの三代目若柳吉駒でございます。
1937年(昭和12年)に祖母の初代吉駒が始め、伯母の二代目吉駒が受け継いでまいりました直派若柳流美登利会を承継しております。毎年春に開催しております舞踊会は、戦時中の開催禁止と一昨年のコロナ禍による延期を除いて、今年で78回を重ねることができました。今春4月9日には、第79回舞踊会を開くことといたしまして、会員一同精進を重ねております。引き続きご贔屓くださいますようお願い申し上げます。

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ロシアによるウクライナ侵略戦争が始まって1年、NiiSへの行き帰りにロシアの人口問題を考えて…

2023-02-25 07:33:38 | なっからさくい生活

ツグミです。昨日はツグミに出会いました。NiiSでのトレーニングの帰り道、ちょいと寄り道した南町公園で出会ったんです。ツグミは渡り鳥、暖かくなると大陸へ帰って行ってしまいます。もうじきお別れです。

 

 NiiSへ出かけるので運動着に着替えていると、お天道さんがやってこないので昼寝ができないCOCOが見物に来ました。脱ぎ捨てたセーターを見つめています。「かじるんじゃねえぞ!」

 
<かじらないやい…>、「防寒手袋かじったじゃないか」、<ちゃんと片付けとかないのが悪いんだよ~んだ…>、減らず口が上手くなりました。

 


断水中の広瀬川、十六本堰はからからに乾いています。ローラースケートが出来そうです。
ロシアによるウクライナ侵略戦争が始まって一年経ちました。戦争は続いています。とにかく早くロシアが侵略をやめる以外におしまいはないと思いながら、毎日この戦争のニュースを見ています。そして思い出したことがあります。

 前橋駅前通りを西へ向かうと風呂川から分水した矢田川を渡ります。矢田川も流れは止まっています。
思い出したのは35年ほど前、県の総合計画を作る作業チームのキャップをしていたときのこと、「2010年ごろには群馬の人口増加は止まり減少に転じる」という人口予測を審議会へ出したらボロクソ言われて受け入れてもらえませんでした。日本の合計特殊出生率は、1975年に2.0を切り、1980年には1.75にまで下がっていましたので当然の予測でしたが、皆さんの理解はいただけませんでした。

 川底ではセキレイが採餌していました。
「増える予測はできないの?」と問われて、「できます」、「どういうこと?」、「日本人でない県民が増えることを想定してよろしければ…」、この答えも受け入れられず、新しい総合計画には将来人口予測を載せないことになりました。予測は国の人口問題研究所のデータに基づいていましたからちゃんと当たって、外国籍の県民もしっかり増えています。

 川岸の低い木の枝に小鳥が飛んできました。ジョウビタキみたい、すぐ飛んでっちまいました。
今、日本の合計特殊出生率は1.36(2019年)、世界208か国の中で190位ぐらいのはずです。最下位は韓国で0.7台にまで落ち込んでいます。少子化は日本だけの問題ではなくなっています。それでは、戦争を始めたロシアはどうなのかというと、1.50(2019年)でロシアも人口増加に必要な2.0のレベルを下回っています。1990年代は日本よりずっと深刻な状態になっていました。両国の出生率を比較したグラフはこちらで見られます

 


利根橋を渡りました。群馬大橋のアーチの間に雪の三国山脈がぼんやりと見えていました。
ロシアも少子化が進んでいる国の一つなのです。一橋大学のウェブマガジンに、経済研究所教授の雲和広さんが「ロシアの人口動態」という論稿を掲載しています。結論だけ抜き書きしちゃうと、「1990年代に否定的な様相を見せたロシアの人口動態は、2000年代に入って安定から改善へ向かう傾向を示した」、「とはいえその改善が見られるようになった始期である18年前は最も出生率の落ち込んだ時期であり、その当時に生まれた人口層が今後再生産年齢階層となるわけである。昨今の趨勢は1990年代の暗い展望をぬぐい去るものではあるが、今後を過度に楽観視させるものでもない事に留意が必要である」ということなのです。

 国道17号線の高架下の上越線の踏切を渡りました。真っすぐな線路です。
そのロシアが戦争を始めて1年、2月初めのイギリス国防省の発表ではロシア軍の死傷者は18万人を越えているとされています。また兵役を逃れるために国外に脱出したロシア人は70万人とも200万人ともいわれています。戦死者と国外脱出者の増加は、一橋大学の雲教授がいう「楽観」を完璧に消し去る要因です。ロシアの人口は、侵略戦争が終わろうと継続しようと暗い展望しかなくなっています。

 

 滝川も流水が止まっていました。水鳥の姿はありませんでした。
日本は、太平洋戦争中の少子化と戦後の出生の急増が「団塊の世代」を生み出し、日本の政治と経済を左右する大きな要因となりました。日本の「少子高齢化」には戦争による人工の歪みが未だに強く影響を及ぼしています。ロシアは、一度大きな人口問題を抱えています。それを克服しないままに新たな問題を抱えようとしています。

 堰の中では、重機が入って堆積土砂を取り除く工事をしていました。川もメンテナンスが欠かせません。
日本の戦後を回顧すると、経済や物的損失は戦後20年ほどでほぼ克服されています。でも、人工の歪みは克服できないまま、次から次にと新たな問題を提起し続けてきています。ロシアがどんな国になるのか、早く侵略戦争をやめないとその傷は拡大するばかりです。

 


鈴木トレーナーはいつもと変わりなく、私の身体の状態をチェックして、あれこれと指示してくれます。1時間はあっという間ですが、息はあがります。帰りは南部大橋を渡って、刑務所の南側の利根川河川敷にある南町公園へ寄りました。ここでも河津桜が咲き始めていました。
人口の歪みは治すことができない社会の傷になります。そして新しい問題を次々と引き起こして行きます。ロシアが克服不能な問題を抱え込む前に侵略戦争をやめないと、世界的損失となる予感がします。少しだけ人口問題を勉強したことのある私が抱いている暗い予感です。

 
ほとんど人がいない広い公園で一人花見をしてたら、ツグミが付き合ってくれました。このツグミは暖かくなるとロシアへ帰るのかもしれません。それまでに、侵略戦争が終わっている可能性は感じられません。
戦場でたくさんの人々の生命が失われて行くのはとても悲しいことです。そしてそのことが社会に遺す傷は100年近く経っても癒されることなく新たな問題を生み出します。戦争をやめる以外に解決する方法はないのです。悲しいことです。

 
NiiSから帰ったときは、ここは椅子の上で丸くなって寝てました。着替えて街へ、青井食堂でお昼を食べて戻ってきたときは、<どこ行ってたんだよ!>って顔で出迎えてくれました。

 

 
納豆がたまってしまっていたので夕食に納豆焼を作りました。納豆、刻みネギ、パルメザンチーズ、片栗粉少々、醤油少々を混ぜてフライパンで焼きました。酒のつまみ風です。それと揚げ焼きそばの野菜あんかけです。

 それと中華風サラダ、モヤシ、人参、シメジ、スナップエンドウ、カキ菜の蕾です。焼きそばでアゴがくたぶれました。

ロシアの政府系調査機関の全ロシア世論調査センターが2月17日発表した最新の世論調査では、プーチン大統領の支持率は79.1%、国民の多数はプーチン大統領の方針を支持しているという結果です。ロシア国民は国の未来を全く見えなくされているみたいな気がします。悲しさはますます募ります。

 

 ヒゲじいさんの連れ合いの三代目若柳吉駒でございます。
1937年(昭和12年)に祖母の初代吉駒が始め、伯母の二代目吉駒が受け継いでまいりました直派若柳流美登利会を承継しております。毎年春に開催しております舞踊会は、戦時中の開催禁止と一昨年のコロナ禍による延期を除いて、今年で78回を重ねることができました。今春4月9日には、第79回舞踊会を開くことといたしまして、会員一同精進を重ねております。引き続きご贔屓くださいますようお願い申し上げます。

《最近の美登利会と吉駒リサイタルの舞台をご覧になりたい方は…》
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