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日常の視点

ふだんのごはん「ゴーヤチャンプルー」

2007年09月21日 | kitchen


my畑では、ゴーヤは作っておりませんが、毎年夏になるとどこからともなくゴーヤのいただきものがいつもあります。

ゴーヤといえば、まず思い出すのが、実家で暮らしていた時の夏の風景。

晩御飯前の夕焼けがまぶしい家の西側の塀に、毎年ニガウリのグリーンカーテンができていて、西日をさえぎってくれていました。

夕方になると、台所から母が「ひかるちゃーん(私の名前です)、ニガウリとってきて~」と私にいうのでいつも「何本?」って聞いては、今日はどんな風な料理になるんだろう?と楽しみにしていた記憶が昨日のように蘇ります。

当時の母は、今考えれば私と同じくらいの年齢だったと思うのだけれど、ゴーヤについてこんな話を私にしてくれたことがあります。

都会のお嬢様暮らしだった(と言い張る母)母が二十歳でこの田舎に嫁いできたとき、夫となった私のお父さんは戦争と病気で早くに両親を亡くし、高校を出てからは、下にいるちょっと年の離れた妹と弟を学校にいかせたということだけど、卒業した妹(私のおばさん)は家事全般をまかされていたようで、料理がすごく得意だったらしい。

読書好きな世間知らずで何もできなかったお嬢さん育ちの二十歳の母に小姑である叔母さんは結構つらくあたっていたようで、特に悔しかったのがニガウリを母が今まで食べたことがなく、初めて食べたときにあまりの苦さに吐き出してしまって、叔母さんがすごく憤慨して、ニガウリも食べきらんと?みたいな風に馬鹿にされた(と思い込んでいるようです)のが辛かったんだとか。

母のお母さん(私のおばあちゃん)も旦那さんをなくして、当時珍しかった職業婦人となって颯爽と仕事をこなしていたそうで、家事を徹底的に手抜きをしていたらしく、食べるものが結構適当だったらしいのです。
お酒を飲まなかったので、ご飯に合うような濃い味付けの洋風のおかずが多かったということで、母は田舎料理の類をまったく食べたことが無くて、味がわからないお嫁さんということで、結婚してからはなかなか苦労したんだそうです。

今は私の知る限り、母はかなり料理が上手でセンス(手際)もよく、当時小姑だったおばさんの作る料理よりもかなり確実に丁寧でおいしい。

母は、料理がまったくできずに、味付けの味覚に対しても小さいころからの経験上お粗末なものだったにもかかわらず、二十歳以降の努力と経験で鍛えられて、今ではすっかり料理が上手で有名な奥さんになっている。

そんな話を私が小学校のころに聞かせてくれたので、私は、努力すれば大体ある程度のことはできるようになるんだな~と母の経験から学び、ちょっと勇気付けられたものでした。

お母さんもできたんだから、私もきっとできるよね♪
ってなんの根拠も無いんだけれど、初めてのことにでも物事に動じずに、やってみようかな?って気になれるのは、母の影響もあるような気がします。

ゴーヤを見るたびにそんな夏の日の記憶が蘇ります。