【誕生日】
☆エレオノラ・ロッシ・ドラーゴ Eleonora Rossi Drago (1925.9.23~2007.12.02)
このうえない女性の魅力を発揮して活躍したイタリアの演技派女優です。
イタリア人の父親とスペイン人の母親のもとジェノヴァで生まれました。17歳の時に小学校教師の免許を取得し、ドロテエ
修道会女学校を出ましたが教師にはならずラジオ技師と結婚して一女をもうけました。しかし数か月後に別れ、絵画や彫刻の
特技を活かしてデザイン画やモデルとして生計を立て、一方でエレオノラ・ドゥーゼの演劇学校で演技の勉強に励みました。
やがてジョヴァンニ・パオルッチ監督の口利きで短編映画に出演、ジュゼッペ・マリア・スコテーゼ監督にその美しさが
認められて1949年の海洋活劇『地中海の虎』で本格的デビューを飾り、その後はデュヴィヴィエ監督の1954年『埋れた青春』
アントニオーニ監督の『女ともだち』ジェルミ監督の『刑事』 そしてズルリーニ監督の『激しい季節』など一流どころの
作品に出演して演技のスキルと強烈な魅力によってスターの座を射止めました。
その後も演技派のセクシーな年上女性役などで活躍していましたが1966年の『天地創造』でのロトの妻を演じた後に映画界
から身を引いてしまいました。
エピソードとして、1947年にミスイタリア大会に参加してかなり注目されたようですが、結婚して母親であることが判明して
失格となったそうです。
【主要出演作品】
1949年『地中海の虎』 I pirati di Capri
1954年『戦争と女』 Destinées
1954年『埋れた青春』 L'Affaire Maurizius
1955年『ナポレオン』 Napoléon
1955年『女ともだち』 Le amiche
1959年『南十字星の下』 Dagli Appennini alle Ande
1959年『刑事』 Un Maledetto imbroglio
1959年『激しい季節』 Estate violenta
1960年『ダビデとゴライアス』 David e Golia
1960年『女の部屋』 La garçonnière
1962年『二十歳の恋』 L'amour à vingt ans
1963年『史上最笑の作戦』 Il giorno più corto
1964年『もしお許し願えれば女について話しましょう』Se permettete parliamo di donne
1966年『天地創造』 La Bibbia
☆ロミー・シュナイダー Romy Schneider (1938.9.23~1982.5.29)
ウィーン出身でドイツを中心に国際的に活躍した女優です。(元アラン・ドロンの婚約者としても有名)
祖母・両親共に俳優という芸能一家にウイーンで生まれました。15歳の時に母親のマグダ・シュナイダーが出演した映画
『再び白いライラックが咲いたら』で映画デビューを果たし、1955年からはドイツでヒットした『プリンセス・シシー』の
3部作でお転婆なバイエルン王国公女シシーを演じてアイドル的な人気を得ました。1958年にはピエール・ガスパール・ユイ
監督の『恋ひとすじに』に出演し、まだ無名だったアラン・ドロンと共演したことで翌年に二人は婚約することとなりました。
しかし、アラン・ドロンは直後の『太陽がいっぱい』などでトップ・スターとなり、さらにドロンの新恋人のナタリーの
出現で永すぎた春に終止符が打たれました。
その後、骨のある作品群で細々と活躍を続け『夏の夜の10時30分』では大人の魅力を発揮、また『太陽が知っている』では
因縁のアラン・ドロンと共演を果たして話題となりました。1980年代初めまで女優として活動していましたが、最愛の息子を
事故で失った翌年に薬物の大量摂取でこの世を去ってしまいました。
【主要出演作品】
1953年『再び白いライラックが咲いたら』Wenn der weiße Flieder wieder blüht
1954年『女王さまはお若い』Mädchenjahre einer Königin
1955年『プリンセス・シシー』Sissi
1957年『わたしの可愛い人』Monpti
1958年『制服の処女』Mädchen in Uniform
1958年『恋ひとすじに』Christine
1962年『ボッカチオ'70』Boccaccio '70
1962年『審判』The Trial
1963年『勝利者』The Victors
1963年『枢機卿』The Cardinal
1964年『ちょっとご主人貸して』Good Neighbor Sam
1965年『何かいいことないか子猫チャン』What's New, Pussycat
1966年『夏の夜の10時30分』10:30 P.M. Summer
1966年『トリプルクロス』Triple Cross
1968年『太陽が知っている』La Piscine
☆レイ・チャールス Ray Charles (1930.9.23~2004.6.10)
リズム&ブルース、黒人霊歌、ゴスペルなどソウルミュージックの第一人者で盲目の歌手・ピアニストです。
ジョージア州アルバニーの貧困家庭に生まれ、まもなくフロリダ州グリーンヴィルに移りました。6歳の頃に緑内障で失明
しますが盲学校でクラシック・ピアノなどを習い10代でピアノを弾けるようになり、音楽で自立することを決意しました。
1949年に自己の「マキシン・トリオ」を結成し自作の "Confession Blues" でデビュー、これがR&Bチャートで2位となって
注目を集めました。1952年には「レイ・チャールス・トリオ」としてアトランティック・レコードと契約し、1954年には
『アイヴ・ガット・ア・ウーマン』、1959年には『ホワット・アイ・セイ』で不動の人気者になり、1960年に入ってからは
白人音楽の世界であったカントリー&ウエスタンに挑んで『愛さずにはいられない』をカヴァーし、これが全米No.1の
大ヒットとなりました。これを機に黒人音楽からジャンルを超えてソウルフルな音楽へと転身、ソウルミュージックの
第一人者として名声を高めました。
その人気絶頂の時には知られていなかったのですが、20歳の頃からヘロインに耽溺して15年以上に及ぶヘロイン依存状態
でヒット曲を連発したことや、女性問題に関しても後に酷評が流れ、ミュージシャンとして尊敬される一方で人間として
軽蔑されるなどその評価は大いに分かれることとなりました。
【主要歌唱曲】
1954年『アイヴ・ガット・ア・ウーマン』 I've Got A Woman 視聴
1959年『ホワッド・アイ・セイ』What'd I Say 全米6位 視聴
1960年『わが心のジョージア』Georgia On My Mind 全米1位 視聴
1961年『旅立てジャック』 Hit The Road Jack 全米1位 視聴
1962年『アンチェイン・マイ・ハート』Unchain My Heart 全米9位 視聴
1962年『愛さずにはいられない』I Can't Stop Loving You 全米1位
1962年『ユー・アー・マイ・サンシャイン』You Are My Sunshine 全米7位 視聴
1962年『ユーア・ティーチン・ハート』Your Cheatin' Heart 全米29位 視聴
1963年『泣かずにいられない』Take These Chains From My Heart 全米8位 視聴
1964年『星空のハラード』Light Out Of Darkness
1966年『ラ・マンマ』La Mamma
1967年『真夜中のバラード』In The Heat Of The Night 全米33位 視聴