港町のカフェテリア 『Sentimiento-Cinema』


献立は…  
シネマ・ポップス…ときどきイラスト

『9月23日』

2019-09-22 14:12:48 | 明日は誰の日

【誕生日】


☆エレオノラ・ロッシ・ドラーゴ Eleonora Rossi Drago (1925.9.23~2007.12.02)



このうえない女性の魅力を発揮して活躍したイタリアの演技派女優です。
イタリア人の父親とスペイン人の母親のもとジェノヴァで生まれました。17歳の時に小学校教師の免許を取得し、ドロテエ
修道会女学校を出ましたが教師にはならずラジオ技師と結婚して一女をもうけました。しかし数か月後に別れ、絵画や彫刻の
特技を活かしてデザイン画やモデルとして生計を立て、一方でエレオノラ・ドゥーゼの演劇学校で演技の勉強に励みました。
やがてジョヴァンニ・パオルッチ監督の口利きで短編映画に出演、ジュゼッペ・マリア・スコテーゼ監督にその美しさが
認められて1949年の海洋活劇『地中海の虎』で本格的デビューを飾り、その後はデュヴィヴィエ監督の1954年『埋れた青春』
アントニオーニ監督の『女ともだち』ジェルミ監督の『刑事』 そしてズルリーニ監督の『激しい季節』など一流どころの
作品に出演して演技のスキルと強烈な魅力によってスターの座を射止めました。
その後も演技派のセクシーな年上女性役などで活躍していましたが1966年の『天地創造』でのロトの妻を演じた後に映画界
から身を引いてしまいました。
エピソードとして、1947年にミスイタリア大会に参加してかなり注目されたようですが、結婚して母親であることが判明して
失格となったそうです。

【主要出演作品】
1949年『地中海の虎』 I pirati di Capri
  
1954年『戦争と女』 Destinées
1954年『埋れた青春』 L'Affaire Maurizius

1955年『ナポレオン』 Napoléon 
1955年『女ともだち』 Le amiche

1959年『南十字星の下』 Dagli Appennini alle Ande
1959年『刑事』 Un Maledetto imbroglio

1959年『激しい季節』 Estate violenta

1960年『ダビデとゴライアス』 David e Golia
1960年『女の部屋』 La garçonnière
1962年『二十歳の恋』 L'amour à vingt ans 
1963年『史上最笑の作戦』 Il giorno più corto 
1964年『もしお許し願えれば女について話しましょう』Se permettete parliamo di donne
1966年『天地創造』 La Bibbia 


☆ロミー・シュナイダー Romy Schneider (1938.9.23~1982.5.29)



ウィーン出身でドイツを中心に国際的に活躍した女優です。(元アラン・ドロンの婚約者としても有名)
祖母・両親共に俳優という芸能一家にウイーンで生まれました。15歳の時に母親のマグダ・シュナイダーが出演した映画
『再び白いライラックが咲いたら』で映画デビューを果たし、1955年からはドイツでヒットした『プリンセス・シシー』の
3部作でお転婆なバイエルン王国公女シシーを演じてアイドル的な人気を得ました。1958年にはピエール・ガスパール・ユイ
監督の『恋ひとすじに』に出演し、まだ無名だったアラン・ドロンと共演したことで翌年に二人は婚約することとなりました。
しかし、アラン・ドロンは直後の『太陽がいっぱい』などでトップ・スターとなり、さらにドロンの新恋人のナタリーの
出現で永すぎた春に終止符が打たれました。
その後、骨のある作品群で細々と活躍を続け『夏の夜の10時30分』では大人の魅力を発揮、また『太陽が知っている』では
因縁のアラン・ドロンと共演を果たして話題となりました。1980年代初めまで女優として活動していましたが、最愛の息子を
事故で失った翌年に薬物の大量摂取でこの世を去ってしまいました。

【主要出演作品】
1953年『再び白いライラックが咲いたら』Wenn der weiße Flieder wieder blüht
1954年『女王さまはお若い』Mädchenjahre einer Königin
1955年『プリンセス・シシー』Sissi

1957年『わたしの可愛い人』Monpti

1958年『制服の処女』Mädchen in Uniform

1958年『恋ひとすじに』Christine

1962年『ボッカチオ'70』Boccaccio '70

1962年『審判』The Trial

1963年『勝利者』The Victors

1963年『枢機卿』The Cardinal
1964年『ちょっとご主人貸して』Good Neighbor Sam
1965年『何かいいことないか子猫チャン』What's New, Pussycat
1966年『夏の夜の10時30分』10:30 P.M. Summer

1966年『トリプルクロス』Triple Cross
1968年『太陽が知っている』La Piscine


☆レイ・チャールス Ray Charles (1930.9.23~2004.6.10)



リズム&ブルース、黒人霊歌、ゴスペルなどソウルミュージックの第一人者で盲目の歌手・ピアニストです。
ジョージア州アルバニーの貧困家庭に生まれ、まもなくフロリダ州グリーンヴィルに移りました。6歳の頃に緑内障で失明
しますが盲学校でクラシック・ピアノなどを習い10代でピアノを弾けるようになり、音楽で自立することを決意しました。
1949年に自己の「マキシン・トリオ」を結成し自作の "Confession Blues" でデビュー、これがR&Bチャートで2位となって
注目を集めました。1952年には「レイ・チャールス・トリオ」としてアトランティック・レコードと契約し、1954年には
『アイヴ・ガット・ア・ウーマン』、1959年には『ホワット・アイ・セイ』で不動の人気者になり、1960年に入ってからは
白人音楽の世界であったカントリー&ウエスタンに挑んで『愛さずにはいられない』をカヴァーし、これが全米No.1の
大ヒットとなりました。これを機に黒人音楽からジャンルを超えてソウルフルな音楽へと転身、ソウルミュージックの
第一人者として名声を高めました。
その人気絶頂の時には知られていなかったのですが、20歳の頃からヘロインに耽溺して15年以上に及ぶヘロイン依存状態
でヒット曲を連発したことや、女性問題に関しても後に酷評が流れ、ミュージシャンとして尊敬される一方で人間として
軽蔑されるなどその評価は大いに分かれることとなりました。

【主要歌唱曲】
1954年『アイヴ・ガット・ア・ウーマン』 I've Got A Woman 視聴
1959年『ホワッド・アイ・セイ』What'd I Say 全米6位 視聴
1960年『わが心のジョージア』Georgia On My Mind 全米1位 視聴
1961年『旅立てジャック』 Hit The Road Jack 全米1位 視聴
1962年『アンチェイン・マイ・ハート』Unchain My Heart 全米9位 視聴
1962年『愛さずにはいられない』I Can't Stop Loving You 全米1位

1962年『ユー・アー・マイ・サンシャイン』You Are My Sunshine 全米7位 視聴
1962年『ユーア・ティーチン・ハート』Your Cheatin' Heart 全米29位 視聴
1963年『泣かずにいられない』Take These Chains From My Heart 全米8位 視聴
1964年『星空のハラード』Light Out Of Darkness

1966年『ラ・マンマ』La Mamma

1967年『真夜中のバラード』In The Heat Of The Night 全米33位 視聴

『9月22日』

2019-09-21 15:01:29 | 明日は誰の日

【誕生日】


☆エリッヒ・フォン・シュトロハイム Erich von Stroheim (1885.9.22~1957.5.12)



サイレント時代にリアリズムに徹して完全主義者と呼ばれたウィーン生まれのハリウッド監督です。
本人はオーストリアの貴族の子だという触れ込みですが、帽子職人の息子としてウィーンに生まれました。士官学校卒業後の
1909年にアメリカに渡り、1914年に軍服アドバイザーとして映画界に入り、同年にD・W・グリフィスの『國民の創生』、
1914年の『イントレランス』で監督助手を務めました。また、独特な容貌によって1918年の『人間の心』では冷酷なドイツ
将校の役を演じて注目を集めました。
1919年にはアルプスの高地を背景にした人間関係を綿密なリアリズムで描いた『アルプス颪』を自ら主演して初監督、続いて
『悪魔の合鍵』、『愚なる妻』を監督、この三部作は当時のハリウッドの常識を打ち破ったゾラ的な自然主義描写によって
ハリウッドにおけるサイレント映画芸術の神髄を極めました。しかし、極度に徹底した完全主義により予算がはるかに超過、
さらに一般作品の数倍にも及ぶ長尺となるなど非商業的な制作浪費に耐えられない会社と衝突を続けました。ついに1923年の
『メリー・ゴー・ラウンド』の撮影最中にユニヴァーサル社と完全衝突して監督を解雇されてしまいました。
しかし、貪欲な作家精神は健在で、翌1924年にはMGMに移って『グリード』を手がけました。この作品も完全主義に徹して
過酷な死のロケが敢行されましたが、製作社側からはシュトロハイムの陰惨な我欲だと酷評される結果に終わりました。
その後の『メリー・ウィドウ』『結婚行進曲』は映画通の評価は高かったものの長尺による制作費の浪費が災い、商業的妥協に
屈せぬ監督もついに終焉を迎えてしまいました。
トーキー後は個性俳優に徹し、ジャン・ルノワール監督の『大いなる幻影』などで存在感を示し、ビりー・ワイルダー監督の
『サンセット大通り』では、監督廃業の直接原因となったグロリア・スワンスンとの因縁の共演で大いなる話題を呼びました。

【主要監督作品】
1919年『アルプス颪』 Blind Husbands

1920年『悪魔の合鍵』 The Devii's Pass Key

1921年『愚なる妻』 Foolish Wives

1923年『メリー・ゴー・ラウンド』 Merry-Go-Round
1924年『グリード』 Greed

1925年『メリー・ウィドウ』 The Merry Widow

1928年『結婚行進曲』 The Wedding March


【主要出演作品】
1932年『お気に召す儘』 As You Desire Me 
1935年『アンナ・カレニナ』 Anna Karenina
1937年『大いなる幻影』 La Grande illusion

1943年『熱砂の秘密』 Five Graves to Cairo
1950年『サンセット大通り』 Sunset Boulevard

1955年『ナポレオン』 Napoleon


☆アンナ・カリーナ Anna Karina (1940.9.22~ )



ゴダールとのコンビで多くのヌーヴェルヴァーク作品に出演したデンマーク出身の女優です。
デンマークのコペンハーゲンに生まれ、家族が離散して祖父母に育てられました。小さい頃から女優に憧れ、キャバレーで
歌ったりモデルなどをしていましたが、運よくコペンハーゲンの撮影所で出演した短編映画がカンヌ映画祭で注目されたのを
機に18歳の時にパリに移りました。そこで写真家のモデルや雑誌のカヴァーガールをしていた時にジャン・リュク・ゴダール
監督から誘いを受けて1960年にヌーヴェルヴァーク作品『小さな兵隊』で映画デビューを果たしました。
1961年にはそのゴダールと結婚して彼の作品に出演を続けていましたが、ジャック・ペランと不倫の噂が流れて離婚しました。
それでもその後もゴダール作品には欠かせぬ女優として出演しました。
1960年代後半も数多くのフランス映画に出演していますがその多くは日本では公開されておりません。また、1972年には
自前のプロダクションを設立して監督を務めたり、女優業のかたわらで小説を書くなど多才ぶりを発揮しました。

【主要出演作品】
1960年『小さな兵隊』Le Petit Soldat

1961年『女は女である』Une femme est une femme

1962年『女と男のいる舗道』Vivre sa vie: Film en douze tableaux

1963年『シェラザード』Shéhérazade

1964年『輪舞』La Ronde
1964年『スタンダールの恋愛論』De l'amour
1964年『国境は燃えている』Le Soldatesse

1965年『アルファヴィル』Alphaville

1965年『気狂いピエロ』Pierrot le fou

1966年『修道女』La Religieuse
1966年『メイド・イン・USA』Made in U.S.A.
1967年『愛すべき女・女たち』Le Plus vieux métier du monde
1968年『異邦人』Lo Straniero

1969年『悪魔のような恋人』Laughter in the Dark


【ご命日】

★エディ・フィッシャー Eddie Fisher (1928.8.10~2010.9.22)



1950年代を代表するトップスターの一人ですが女性遍歴が激しくて人気を落としたアメリカの歌手・俳優。
主要歌唱曲として『エニー・タイム』『オー・マイ・パパ』『いとしのシンディ』などがあり、また
映画出演作品として『歓びの街角』『バタフィールド8』がある。

『9月21日』

2019-09-20 21:12:14 | 明日は誰の日

【誕生日】


☆ドーン・アダムス Dawn Addams (1930.9.21~1985.5.07)



チャップリンの『ニューヨークの王様』のヒロインで一瞬輝いたイギリスの女優です。
英国サフォーク洲のフェリックストーに生まれ、父親が俳優だったことから女優を志して王立演劇学校に学び1949年に初舞台を
踏みました。その在学中にスタンリー・クレイマーの目にとまってMGMと契約を交わし、1951年の『夜から朝まで』で映画
デビューを果たしました。その後チャップリンの『ライムライト』のヒロインのオーディションを受けたのですが採用されず
その後はB級作品の傍役に甘んじていましたが、1957年にチャップリンから『ニューヨークの王様』のヒロインに抜擢されて
一躍脚光を浴びました。しかしながらハリウッドでの女優としては大成することもなく、1960年代から1970年代にかけては
主にイギリスのテレビ界に活躍の場を求めました。

【主要出演作品】
1953年『悲恋の王女エリザベス』Young Bess
1953年『月蒼くして』The Moon Is Blue

1953年『聖衣』The Robe
1954年『寝台の秘密』Secrets d'alcôve
1957年『ニューヨークの王様』A King in New York

1959年『気分を出してもう一度』Voulez-vous danser avec moi?
1960年『怪人マブゼ博士』Die 1000 Augen des Dr. Mabuse
1960年『激しい夜』Les menteurs
1964年『黒いチューリップ』La Tulipe noire

1964年『星空』Ballad in Blue
1966年『続・殺しのライセンス』Where the Bullets Fly


『9月20日』その1

2019-09-19 17:05:05 | 明日は誰の日

【誕生日】


☆ヴィクトル・シェストレーム Victor Sjöström (1879.9.20~1960.1.03)



サイレント時代にマウリッツ・スティッレルと共にスエーデンのサイレント映画芸術を極めた偉大な映画監督です。
ヴェルムランド地方のシルボーダルで生まれ、少年時代のシェストレムは演劇に関心を抱き、1896年に旅芸人たちと共に
スウェーデンやフィンランドを巡業しました。1912年に映画産業で成長を遂げていたスヴェンカ・ビオグラーフ・テアトル社
から誘われて映画界に入り、同年に『庭師』の監督兼主演でデビューを果たしました。
シェストレームがその名声を高めたのは1917年の『波高き日』で北欧独特の神秘主義による情景描写によって清澄な叙事詩に
仕上げ、翌1918年の『生恋死恋』においてはそれをさらに深化させ、自然描写と人間描写を一体化させ斬新な映像美による
悲劇の世界を綴り上げました。また、1921年の『霊魂の不滅』では二重露光を駆使して撮影された幻想的な映像を創り上げ
さらに効果的なフラッシュバックなどの撮影・編集技術によってたぐいまれなる映像の世界を展開させました。
これらの秀作が国際的にも認められたことで、MGMのルイス・B・メイヤーがの招聘でハリウッドに渡りました。
その後、数本のアメリカ映画を監督しましたが、ハリウッドの原理原則である「絶対的商業主義」と「スター主義」によって
本来の力も出せず、低俗でも大衆に受ければよいし、大衆受けするためには客寄せできるキャストでなければならないという
ハリウッドのスタンスとは肌が合わず、更に英語が不得手なところにトーキー時代が到来したことが追い打ちとなり傷心の
うちにスエーデンに戻りましたが、トーキーへの対応ができないまま監督業に終止符を打ってしまいました。
しかし、シェストレームがサイレント時代に築き上げた芸術観は後年になってイングマール・ベルイマンに継承され、その
ベルイマンが監督した1957年の『野いちご』において輝かしい映画人として有終の美を飾りました。

【主要監督作品】
1917年『波高き日』Terje Vigen

1918年『生恋死恋』Berg-Ejvind och hans hustru

1921年『霊魂の不滅』 Körkarlen【YOUTUBEより】

1924年『男の名を言え』Name the Man
1924年『殴られる彼奴』He Who Gets Slapped
1926年『真紅の文字』The Scarlet Letter

1928年『悪魔の仮面』The Masks of the Devil
1928年『風』The Wind


(出演のみ)
1957年『野いちご』Smultron-Stallet
 


☆ダニー・カレル Dany Carrel (1932.9.20~ )



庶民的で生意気そうながらも可愛らしい娘役で存在感を示したフランスの女優です。
当時フランス領インドシナの税関に赴任していた父親と現地人の愛人との混血児としてベトナムの安南に生まれました。3歳の
時に家族と共にフランスに戻りましたが、4歳で父親が亡くなり13歳になるまでルーヴシエンヌの孤児院に預けられました。
1947年にパリに戻りエドガー・クイン高校に通いながら演劇研究所で演技の勉強をし、その後マチュラン座の研究生となって
舞台に立つようになりました。その舞台を見ていたアンリ・ドコワン監督の目に止まり、1953年に同監督の『上級生の寝室の』
端役として映画デビューを果たしました。1950年代の半ばあたりから主役級となり、1957年のルネ・クレール監督による名作
『リラの門』で生意気そうであるが可憐さ漂う庶民的な娘役が高い評価を受けました。以後はそれほど多くの作品に出演して
おらず、1970年代にはテレビや劇場に活動の拠点を移しました。

【主要出演作品】
1953年『上級生の寝室』Dortoir Des Grandes
1954年『ナポレオン』Napoleon
1955年『夜の騎士道』Les Grandes Manoeuveres

1955年『ヘッドライト』Des Gens Sans Importance

1956年『乙女の館』Club De Femme
1957年『リラの門』Porte Des Lilas【YOUTUBEより】

1957年『奥様ご用心』Pot-Bouille

1958年『夏物語』Racconti D'estate

1959年『今晩おひま?』Les Dragueurs

1963年『二重生活』Du Grabuge Chez Les Veuves

1965年『シンデレラの罠』Piege Pour Cendrillon
1968年『パリ大捜査網』Le Pacha
1969年『囚われの女』La Prisonniere




『9月20日』その2

2019-09-19 16:45:23 | 明日は誰の日

【誕生日】


☆ソフィア・ローレン Sophia Loren (1934.9.20~ )



力強い野生美で活躍した20世紀のイタリアを代表する女優のひとりです。
ローマで生まれ、幼少時は母親の故郷ナポリ近郊のポッツオーリで育ちました。14歳の頃にはそのプロポーションが近所で
評判になり1950年にナポリで行われた「海の女王コンテスト」で二位入賞となり映画入りのきっかけとなりました。やがて
チネチッタで数本のエキストラに出演していましたがルックス社のカルロ・ポンティと出会って女優の道が開かれました。
1955年には『河の女』の主役に抜擢され、その肉感的な体を強調した野生美で一躍脚光を浴び、1957年にはハリウッドに
招かれて『島の女』などに出演してイタリアを代表する国際スターとなりました。
その後もアメリカとイタリアを往復するように数他の作品に出演、ジーナ・ロロブリジーダ、クラウディア・カルディナーレ
ともにイタリアの三大女優として銀幕に君臨しました。
しかしながら、カルディナーレが映画史に名を残す傑作に数多く出演しているのに対して、ローレンの作品は『ふたりの女』を
除いては殆どが興味本位のB級娯楽に終始してしまいました。

【主要出演作品】
1954年『ナポリの饗宴』Carosello Napoletano

1955年『河の女』La donna del fiume

1955年『バストで勝負』La Bella Mugnaia
1956年『殿方ごろし』Pane, Amore e…

1957年『島の女』Boy on a Dolphin'【YOUTUBEより】

1957年『誇りと情熱』The Pride and the Passion
1958年『楡の木蔭の欲望』Desire Under the Elms
1958年『鍵』The Key

1958年『黒い蘭』The Black Orchid
1958年『月夜の出来事』Houseboat
1959年『私はそんな女』That Kind of Woman

1960年『西部に賭ける女』Heller in Pink Tights
1960年『ナポリ湾』It Started in Naples
1960年『求むハズ』The Millionairess
1960年『バラ色の森』A Breath of Scandal
1960年『ふたりの女』La ciociara【YOUTUBEより】

1961年『エル・シド』El Cid
1961年『戦場を駈ける女』Madame Sans-Gêne
1962年『ボッカチオ'70』Boccaccio '70

1962年『真夜中へ5哩』Le couteau dans la plaie

1963年『昨日・今日・明日』Ieri, Oggi, Domani

1963年『アルトナ』I sequestrati di Altona
1964年『ローマ帝国の滅亡』The Fall of the Roman Empire
1964年『あゝ結婚』Marriage Italian-Style
1965年『レディL』Lady L
1966年『栄光の丘』Judith
1966年『アラベスク』Arabesque
1967年『伯爵夫人』A Countess from Hong Kong

1967年『イタリヤ式奇跡』More Than a Miracle

1969年『ひまわり 』I Girasoli


また、女優のほかに歌手としても以下のようなレコードをリリースしていました。
【主要歌唱曲】
1955年『マンボ・バカン』Mambo Bacan【YOUTUBEより】

1956年『マンボ・イタリアーノ』Mambo Italiano【YOUTUBEより】

1957年『イルカに乗った少年』Boy on a Dolphin
1961年『ズビズビズー』Zoo Be Zoo Be Zoo【YOUTUBEより】



【ご命日】

★アンジェイ・ムンク Andrzej Munk (1921.10.16~1961.9.20)



政治不信に強い目を向けたて鬼才と呼ばれたポーランド派の映画監督。
主な監督作品として『白い決死隊』『鉄路の人』『エロイカ』『パサジェルカ』などがある。


★ポール・ウエストン Paul Weston (1912.3.12~1996.9.20)



ピアニスト、作詞・作曲・編曲家、オーケストラ指揮者で特にムード音楽を得意としたアメリカの音楽家。
主な演奏曲として『ユー・ビロング・トゥ・ミー』(夫人のジョー・スタッフォードが歌唱)、『シェーン』などがある。