【誕生日】
☆ヴィクトル・シェストレーム Victor Sjöström (1879.9.20~1960.1.03)
サイレント時代にマウリッツ・スティッレルと共にスエーデンのサイレント映画芸術を極めた偉大な映画監督です。
ヴェルムランド地方のシルボーダルで生まれ、少年時代のシェストレムは演劇に関心を抱き、1896年に旅芸人たちと共に
スウェーデンやフィンランドを巡業しました。1912年に映画産業で成長を遂げていたスヴェンカ・ビオグラーフ・テアトル社
から誘われて映画界に入り、同年に『庭師』の監督兼主演でデビューを果たしました。
シェストレームがその名声を高めたのは1917年の『波高き日』で北欧独特の神秘主義による情景描写によって清澄な叙事詩に
仕上げ、翌1918年の『生恋死恋』においてはそれをさらに深化させ、自然描写と人間描写を一体化させ斬新な映像美による
悲劇の世界を綴り上げました。また、1921年の『霊魂の不滅』では二重露光を駆使して撮影された幻想的な映像を創り上げ
さらに効果的なフラッシュバックなどの撮影・編集技術によってたぐいまれなる映像の世界を展開させました。
これらの秀作が国際的にも認められたことで、MGMのルイス・B・メイヤーがの招聘でハリウッドに渡りました。
その後、数本のアメリカ映画を監督しましたが、ハリウッドの原理原則である「絶対的商業主義」と「スター主義」によって
本来の力も出せず、低俗でも大衆に受ければよいし、大衆受けするためには客寄せできるキャストでなければならないという
ハリウッドのスタンスとは肌が合わず、更に英語が不得手なところにトーキー時代が到来したことが追い打ちとなり傷心の
うちにスエーデンに戻りましたが、トーキーへの対応ができないまま監督業に終止符を打ってしまいました。
しかし、シェストレームがサイレント時代に築き上げた芸術観は後年になってイングマール・ベルイマンに継承され、その
ベルイマンが監督した1957年の『野いちご』において輝かしい映画人として有終の美を飾りました。
【主要監督作品】
1917年『波高き日』Terje Vigen
1918年『生恋死恋』Berg-Ejvind och hans hustru
1921年『霊魂の不滅』 Körkarlen【YOUTUBEより】
1924年『男の名を言え』Name the Man
1924年『殴られる彼奴』He Who Gets Slapped
1926年『真紅の文字』The Scarlet Letter
1928年『悪魔の仮面』The Masks of the Devil
1928年『風』The Wind
(出演のみ)
1957年『野いちご』Smultron-Stallet
☆ダニー・カレル Dany Carrel (1932.9.20~ )
庶民的で生意気そうながらも可愛らしい娘役で存在感を示したフランスの女優です。
当時フランス領インドシナの税関に赴任していた父親と現地人の愛人との混血児としてベトナムの安南に生まれました。3歳の
時に家族と共にフランスに戻りましたが、4歳で父親が亡くなり13歳になるまでルーヴシエンヌの孤児院に預けられました。
1947年にパリに戻りエドガー・クイン高校に通いながら演劇研究所で演技の勉強をし、その後マチュラン座の研究生となって
舞台に立つようになりました。その舞台を見ていたアンリ・ドコワン監督の目に止まり、1953年に同監督の『上級生の寝室の』
端役として映画デビューを果たしました。1950年代の半ばあたりから主役級となり、1957年のルネ・クレール監督による名作
『リラの門』で生意気そうであるが可憐さ漂う庶民的な娘役が高い評価を受けました。以後はそれほど多くの作品に出演して
おらず、1970年代にはテレビや劇場に活動の拠点を移しました。
【主要出演作品】
1953年『上級生の寝室』Dortoir Des Grandes
1954年『ナポレオン』Napoleon
1955年『夜の騎士道』Les Grandes Manoeuveres
1955年『ヘッドライト』Des Gens Sans Importance
1956年『乙女の館』Club De Femme
1957年『リラの門』Porte Des Lilas【YOUTUBEより】
1957年『奥様ご用心』Pot-Bouille
1958年『夏物語』Racconti D'estate
1959年『今晩おひま?』Les Dragueurs
1963年『二重生活』Du Grabuge Chez Les Veuves
1965年『シンデレラの罠』Piege Pour Cendrillon
1968年『パリ大捜査網』Le Pacha
1969年『囚われの女』La Prisonniere