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港町のカフェテリア 『Sentimiento-Cinema』


献立は…  
シネマ・ポップス…ときどきイラスト

『3月27日』

2019-03-26 17:40:34 | 明日は誰の日

【誕生日】
☆エンリケ・サントス・ディセポロ Enrique Santos Discépolo (1901.3.27~1951.12.24)



楽器の弾けない作詞・作曲家ながら社会風刺を盛り込んだ名曲を世に送り続けたアルゼンチン・タンゴ界の鬼才です。
ブエノスアイレス生まれで、幼くして両親を亡くしたことから劇作家となっていた兄のアルマンドを頼って演劇界に入り
1919年には俳優としてデビュー、その一方でタンゴの作詞や作曲を始め、1926年に"Que vachache"(何ができるの?)を
作詞・作曲しました。この曲はティタ・メレージョが唄ったのですがあまり芳しい評価は得られませんでした。しかし、
1928年に発表した『今宵われ酔いしれて』はカルロス・ガルデルが唄ったことによって楽譜初版から10万部の大ヒット
となり、一躍ディセポロの名が国内に知れわたりました。続いて1930年には厭世的な『ジーラ・ジーラ』、1931年には
チリの首都サンティアゴにある寺院の鐘をテーマにした『メルセ寺院の鐘』などをヒットさせました。
また、1947年にはファン・カルロス・マランビオ・カタンが歌詞を付けていた『エル・チョクロ』の歌詞を付け直し、
1949年に制作された映画『タンゴの歴史』でティタ・メレージョが唄い、「これぞタンゴのおいたちと本音」であると
絶賛されました。その後もマリアノ・モーレス作曲の『ウノ』などの歌詞を書くなど活動を続け、スペインの歌手で
あった妻タニアのために一時期には楽団を指揮したこともありましたが、1951年心臓発作で倒れ、タニアに看取られ
ながらこの世を去っています。

↓はカルロス・ガルデルの『今宵われ酔いしれて』【YOUTUBEより】


↓はタニアの『ジーラ・ジーラ』【YOUTUBEより】


↓はタニアの『メルセ寺院の鐘』【YOUTUBEより】


↓はティタ・メレージョの『エル・チョクロ』【YOUTUBEより】



☆グロリア・スワンスン Gloria Swanson (1899.3.27~1983.4.04)



シカゴ生まれで、14歳の時に叔母の勧めでシカゴのエッサネイ社のスクリーン・テストを受けて合格、女優になる覚悟を
決めてハリウッドに行き、マック・セネットのもとで「海水着美人」として二巻物の喜劇に出演するようになりました。
1919年にはセシル・B・デミルの肝いりとしてパラマウント映画と契約、時代の先端をいく豪華絢爛な風俗メロドラマの
ヒロインを演じて一躍大スターに昇り詰めました。しかし、完全主義者の監督エリッヒ・フォン・シュトロハイムの新作で
監督と激しく衝突し、撮影半ばで中止となりユナイトに大損害を与えたことやトーキーの波に乗れなかったことが原因で
一気に人気も下落し映画からお呼びがかからなくなりました。
戦後はTVなどに出ていましたが、1950年にビリー・ワイルダー監督の『サンセット大通り』で、サイレント時代に活躍し
忘れ去られた女優というイメージで久々の主役を得ました。映画自体は好評でしたが、女優スワンスンはやっぱり過去の
人でしかなく、それを機に復活することもなく、1974年の『エアポート'75』を最後に引退を余儀なくされました。

【主要出演作品】
1919年『夫を変へる勿れ』Don't Change Your Husband
1919年『男性と女性』Male and Female

1920年『何故妻を換へる?』Why Change Your Wife?
1923年『舞姫ザザ』Zaza
1924年『焔の女』A Society Scandal
1928年『港の女』Sadie Thompson
1931年『今宵ひととき』Tonight or Never
1950年『サンセット大通り』Sunset Boulevard

1956年『わが息子暴君ネロ』Mio figlio Nerone
1974年『エアポート'75』Airport 1975


☆サラ・ヴォーン Sarah Vaughan (1924.3.27~1990.4.03)



広域の美声で1950年代から活躍を続けた黒人女性ジャズ・ヴォーカルを代表する歌手のひとりです。
1942年ニューヨク市アポロ劇場のアマチュア・コンテストに優勝したのち、「Earl Hines」などのビッグ・バンドで活躍、
ソロ活動を始めた1947年に "It's Magic" で注目を集め、続く『ミスティ』で一躍人気歌手の仲間入りを果たし、1950年代
には代表曲となる"Broken-Hearted Melody" などをトップテン入りさせています。
彼女の魅力は何と言っても幅広い声域と、ジャズならではのアドリブ、そして見事な歌唱力ですね。

↓はサラ・ヴォーンの『ミスティ』【YOUTUBEより】


↓はサラ・ヴォーンの『A列車で行こう』【YOUTUBEより】


↓はサラ・ヴォーンの『蜜の味』【YOUTUBEより】


↓はサラ・ヴォーンの『モーニン』【YOUTUBEより】


↓はサラ・ヴォーンの『ラヴァーズ・コンチェルト』【YOUTUBEより】



【ご命日】

★ビリー・ワイルダー Billy Wilder (1906.6.22~2002.3.27)



シリアスなドラマからソフィスティケイテッド・コメディまでこなし名話術師と称されたアメリカの映画監督。
主な監督作品として『サンセット大通り』『情婦』『お熱いのがお好き』『アパートの鍵貸します』などがある。


★レナート・サルヴァトーリ Renato Salvatori (1933.3.20~1988.3.27)



準主役として重宝されて活躍したイタリアの中堅個性俳優。
主な出演作品として『若者のすべて』『ふたりの女』『太陽は傷だらけ』『明日に生きる』などがある。
詳細は当ブログの『3月20日』をご参照ください。



『3月26日』

2019-03-25 17:12:46 | 明日は誰の日

【誕生日】


☆アラン・アーキン Alan Arkin (1934.3.26~ )



ミュージシャンから映画俳優まで幅広い活動を続けているオールラウンダーです。
ニューヨーク生まれで、ロスアンゼルス市立カレッジなどで演劇を専攻する一方でフォーク・グループを結成して流行りの
シンガーソングライターをも目指していたようです。1958年に夏芝居劇団に入り本格的に俳優の道を志し、地方公演から
ブロードウェイの舞台を踏み出し,1966年の『アメリカ上陸作戦』で映画デビューしコミカルな軽味で注目されました。
また、1967年の『暗くなるまで待って』では冷血な極悪人を、1968年の『愛すれど心さびしく』ではシリアスな味を、
1968年の『クルゾー警部』ではドタバタ喜劇役者もこなすなどオールラウンドプレイヤーとして存在価値を高めました。
1970年に『殺人狂騒曲』で監督に臨みましたが良い出来栄えには程遠かったようです。
その後も持てる才能をいかんなく発揮し、現在でもどんな役もこなせる俳優として活躍、その一方でフォークソングや
童謡の作曲、また、ミュージシャンとしてもピアノ、フルート・ギターなどを弾きこなす多芸多才芸能人として重宝
されています。

【主要出演作品】
1966年『アメリカ上陸作戦』The Russians Are Coming
1967年『暗くなるまで待って』Wait Until Dalk 【YOUTUBEより】 

1968年『愛すれど心さびしく』The Heart Is a Lonely Hunter 【YOUTUBEより】 

1968年『クルゾー警部』Inspector Clouseau
1970年『殺人狂騒曲』Little Murders 兼監督

『3月25日』その1

2019-03-24 18:19:40 | 明日は誰の日

【誕生日】

☆ミーナ・マッツィーニ Mina Mazzini  (1940.3.25~ )



60年代のイタリアン・ポップス界における最高の女性シンガー、かつ世界に誇る唯一無二の歌姫です。
ミラノ近郊のクレモナ育ちで、18歳の時にトスカーナ州のナイトクラブに飛び入りで参加して喝采を受け、レコード会社の
プロデューサー、ダヴィッド・マタロンにスカウトされて音楽界入りして、その年の1958年にデビューを果たしました。
当初は『ビー・バップ・ア・ルーラ』『情熱の花』『君は我が運命』などのカヴァーでしたが1959年イタリアで
4枚目シングルとなる『ネッスーノ』がヒット、TVにも出演し一気に人気者になりました。翌1960年には音楽映画の
『歌え!太陽』において『倖せがいっぱい』を披露、さらに『月影のナポリ』」がイタリアで1位を記録、サン-レモ音楽祭で
『真実』が入賞を果たすなどまさに前途洋々でした。そして迎えた1961年のサン-レモ音楽祭で、満を持して出品した
『わたしもあなたも恋してる』と『青い泡がいっぱい』がそれぞれ4位と5位に低迷したうえ、ライバルのミルヴァの
唄った『ひきだしの中の海』がミーナの順位を上回る3位となって、ミルヴァの後塵に拝する結果となりました。これが
ミーナのプライドを大きく傷つけ、これ以降サン-レモ音楽祭に出場しないと宣言してサン-レモと縁を切りました。
そのご鳴かず飛ばずの低迷期となり、1963年には厳しいカトリックのイタリアにおいて、未婚の母というスキャンダルを
起こして一時期、テレビ・ラジオから追放の憂き目にあいました。
しかし、1965年に『砂にきえた涙』 で不死鳥のように復活、同年の『別離(わかれ)』で お騒がせ歌手から≪大人の歌手≫
への完全脱皮を果たし、1970年の『信じられない』、そして1972年の『パローレ・パローレ』によるアンニュイな
独特の歌唱力で歌手としての集大成を成し遂げました。

【主要歌唱曲】
1958年『ビー・バップ・ア・ルーラ』Be Bop A Lula 【YOUTUBEより】 

1958年『情熱の花』Passion Flower  試聴
1959年『ネッスーノ』Nessuno 【YOUTUBEより】 

1960年『真実』E vero !  試聴
1960年『月影のナポリ』Tintarella Di Luna 【YOUTUBEより】 

1960年『水玉のしま馬』Una zebra a pois  試聴
1960年『倖せがいっぱい』Il Cielo In Una Stanza 【YOUTUBEより】 

1961年『青い泡がいっぱい』Le mille bolle blu  試聴
1961年『わたしもあなたも恋してる』Io amo tu ami  試聴
1962年『太陽はひとりぼっち』L'eclisse twist 【YOUTUBEより】 

1965年『砂にきえた涙』Un Buco Nella Sabbia 【YOUTUBEより】 

1965年『別離(わかれ)』Un Anno D'amore 【YOUTUBEより】 

1970年『信じられない』Non Credere 【YOUTUBEより】 

1972年『パローレ・パローレ』Parlez-Moi D'Amour 【YOUTUBEより】 


また、カンツォーネに限らず世界の名曲・ヒット曲を数多くカヴァーしています。
そのごく一部を紹介しておきます。
『ノスタルヒアス』Nostalgias 【YOUTUBEより】 

『引き潮』Ebb Tide  試聴
『アドロ』Adoro   試聴
『フライ・ミー・トゥ・ザ・ムーン』Fly me to the moon  試聴
『コーヒー・ルンバ』Moliendo Cafè  試聴
『セプテンバー・ソング』September Song  試聴
『君は我が運命』You Are My Destiny  試聴

【主要映画出演作品】
1960年『歌え!太陽』 Appuntamento a Ischia
1961年『あなたも私もキスをする』 Io Bacio...Tu Baci

1962年『サンレモ乾杯!』 Appuntamento in Riviera

サン・レモでグランプリを手にすることはありませんでしたが、ミーナは私にとって最高のグランプリ歌手です。


『3月25日』その2

2019-03-24 17:50:35 | 明日は誰の日


【誕生日】


☆デヴィッド・リーン David Lean  (1908.3.25~1991.4.16)



第二次大戦後にキャロル・リードと共に衰退していた英国映画界を復活させたイギリスの映画監督です。
学業を終えると父親のオフィスで働いていましたが映画に興味を持ち1928年にカメラマン助手として映画界入りしました。
カチンコ係や下働きの後にニュース映画の編集を手がけ、この時期の編集技術が後の演出技術へと開花していきます。
1942年にノエル・カワードとの共作" In Which We Serve"(軍旗の下に)で監督デビュー、その後もカワードの協力を得て
『幸福なる種族』『逢びき』『陽気な幽霊』を監督して一躍イギリスを代表する監督として認められるようになりました。
特に1945年のノエル・カワード原作の戯曲の映画化『逢びき』では、機関車の蒸気煙や夜のガラス窓に反映する列車の灯り
などモノクロならではの陰影、さらに乗換駅での急行列車が通過するのを響きと振動を通して描くなどの秀逸な音響効果
といった独特の演出で日常生活の中に愛の心理の陰を的確に映像化、戦後のイギリス映画のルネッサンスといわしめる
作品に仕上げています。物語を単純に追うとごくつまらない映画なのですが見事な心理描写に圧倒される出来栄えとなり、
デヴィッド・リーンの最高傑作と言っても過言ではありません。
その後もディッケンズの文学作品を格調高く撮り、1955年には『旅情』においてヴェニスの街を鮮明な映像で捉えながら
主人公の女性の心理をきめ細かく詩情豊かに描き上げました。
しかし、その後の超大作三部作では、『戦場にかける橋』では無理やりこじつけたようなお粗末なラストシーン、
『アラビアのロレンス』では前半であれだけ命が大切かを語っておきながら血に狂う主人公を英雄扱いするあまりの落差、
『ドクトル・ジバゴ』に至っては、テーマは“ジバゴの愛の燃焼”なのですが、背景のロシア革命を細々と描くことで
基本テーマが薄れてしまい、何を訴えたいのかを鮮明に浮き上がらせることができず何とも締まりのない作品になって
しまいました。結果、彼に超大作を撮らせると竜頭蛇尾な作品に陥ってしまい全編を通じて一貫した訴えが感じられない
とても残念な三部作に終わりました。

【主要監督作品】
1944年『幸福なる種族』 This Happy Breed
1945年『逢びき』 Brief Encounter 【YOUTUBEより】 

1945年『陽気な幽霊』 Blithe Spirit
1946年『大いなる遺産』 Great Expectations
1948年『オリヴァ・ツイスト』 Oliver Twist

1948年『情熱の友』 The Passionate Friends
1950年『愛の旅路』Madeleine
1952年『超音ジェット機』 The Sound Barrier

1954年『ホブスンの婿選び』 Hobson's Choice
1955年『旅情』 Summertime 【YOUTUBEより】 

1957年『戦場にかける橋』 The Bridge on the River Kwa 【YOUTUBEより】 

1962年『アラビアのロレンス』 Lawrence of Arabia

1965年『ドクトル・ジバゴ』Doctor Zhivago

1970年『ライアンの娘』 Ryan's Daughter


☆シモーヌ・シニョレ Simone Signoret (1921.3.25~1985.9.30)



美人ではないが知的でちょっと官能的な容貌で国際的にも活躍したフランスの性格俳優です。
ドイツ生まれのパリで育ちで、父親がユダヤ人であったためドイツの占領によって国外に逃げ、パリに残された家族の
生活を支えるために英語通訳・タイピストなどに従事していましたが、この頃サン-ジェルマン-デ-プレのカフェで多くの
作家や俳優の芸術的なグループと出会い、演劇に興味を持ち始めました。1942年にはアルバイトでエキストラとして映画に
出演する一方でパテ社の俳優養成所に通い演技講座を受けて演技を学びました。
1946年のジャック・フェデー総監督の『宝石館』でフランソワズ・ロゼエに次ぐ準主役を得て一気に注目を集め、その後も
『デデという娼婦』『肉体の冠』『嘆きのテレーズ』など汚れ役の多い中でも監督や作品に恵まれて性格俳優として大成し
1959年には『年上の女』で英語圏にも進出、以後も国際的な活動を続けました。
また、私生活では世界の恋人と称されたイウ・モンタン夫人であり、亡骸は二人仲良く墓地に並んでいるそうです。

【主要出演作品】
1943年『悪魔が夜来る』Les Visiteurs Du Soir
1946年『宝石館』Macadam

1948年『デデという娼婦』Dédée d'Anvers 【YOUTUBEより】 

1950年『輪舞』La Ronde
1951年『肉体の冠』Casque d'or 【YOUTUBEより】 

1952年『嘆きのテレーズ』Thérèse Raquin 【YOUTUBEより】 

1955年『悪魔のような女』Les Diaboliques

1957年『サレムの魔女』Les Sorcières de Salem 【YOUTUBEより】 

1959年『年上の女』Room at the Top

1961年『素晴らしき恋人たち』Les Amours célèbres
1962年『地上最笑の作戦』Il giorno più corto
1962年『可愛い妖精』Term of Trial

1963年『愚か者の船』Ship of Fools
1964年『パリは燃えているか』Paris brûle-t-il?


☆リズ・オルトラーニ Riz Ortolani  (1926.3.25~2014.1.23)



作曲家として世界を駆けて活躍したイタリアの映画音楽作曲家で、歌手カティナ・ラニエリの夫君です。
キージ音楽院卒業後に映画音楽の大家アンジェロ・F・ラヴァニーノに師事しオペラの仕事を経て映画界に入りました。
1962年グァルティエロ・ヤコペッティ監督のイタリア映画『世界残酷物語』の音楽を担当して数曲の作曲をして組曲風
に仕上げましたが、その中の一曲にアメリカのノーマン・ニューウェルが『モア』というタイトルで詩をつけて歌曲に
したことから一気に脚光を浴びました。同年には西ドイツ映画『地中海の休日』の全スコアを書き、その中の一曲の
『太陽のスイム』がヒット、1964年にはアメリカ映画『黄色いロールス・ロイス』の主題歌となった『明日を忘れて』を
新婚ほやほやのカティーナ・ラニエリが唄ってヒットするなど幅広く愛される映画音楽家となりました。

【主要映画音楽作品】
1962年『世界残酷物語』 Mondo cane 【YOUTUBEより】 

1962年『地中海の休日』Mediterranean Holiday 【YOUTUBEより】 

1963年『世界女族物語』 La donna nel mondo
1963年『顔のない殺人鬼』 La vergine di Norimberga 
1964年『第七の暁』 The 7th Dawn
1964年『黄色いロールス・ロイス』The Yellow Rolls-Royce  【YOUTUBEより】 

1967年『怒りの荒野』 I giorni dell'ira 
1968年『アンツィオ大作戦』 Lo sbarco di Anzio


☆ジョニー・バーネット Johnny Burnette  (1934.3.25~1964.8.14)



テネシー州メンフィス生まれで、ソングライター、ギタリストそしてロカビリー歌手です。
1949年に実兄と友人で結成したトリオ・バンドを結成、1950年代中頃から高い評価を得ますが57年末に活動を終了して
1958年からはソロシンガーとしてデビュー、1960年にリリースした「Dreamin'」や「You're Sixteen」などが本国でヒット
したようですが、日本ではほとんど無名でした。彼の名前が売れたのは映画『片目のジャック』のインスパイア曲が
映画公開と共にヒットしたのみで、まさに遅咲きの一輪となっています。

↓はジョニー・バーネットの『片目のジャック』【YOUTUBEより】



【ご命日】

★ラディスラオ・ヴァホダ Ladislao Vajda (1906.8.18~1965.3.25)



ハンガリー生まれで戦前のドイツ映画のシナリオ・ライター、後にスペインなどで活躍した映画監督。
主な監督作品として『汚れなき悪戯』『鮮血の午後』『広場の天使』などがある。



『3月24日』

2019-03-23 15:23:45 | 明日は誰の日

【誕生日】


☆スティーヴ・マックィーン Steve McQueen (1930.3.24~1980.11.07)



映画『荒野の七人』で一気にブレイク、公私ともにアンチヒーローの人生に徹したハリウッド俳優です。
インデアナポリス生まれで、母の再婚相手の義父と大喧嘩して家出、14歳の時には札付きの不良少年として何度も逮捕され
感化院の中で中等教育を終えました。15歳の時に放浪の旅に出て肉体労働者として生活していましたが、1947年に海兵隊に
入隊しメカニックの作業に励みました。しかし、そこでも上官と大いにもめて営倉入りをも経験しています。
除隊後も様々な職種につきましたが長続きせず、友人からの勧めで演劇学校に入校し、ようやくブロードウェイの端役を
つかみました。その後もB級アクション映画の端役をしながら、TVシリーズの『拳銃街道』、『拳銃無宿』に出演すると
これが大当たりとなってCBSテレビのドル箱スターとなりました。1959年にはフランク・シナトラのお声がかりで『戦雲』
に出演、これを監督したジョン・スタージェスのお気に入りとなって、1960年の『荒野の七人』、1963年の『大脱走』で
一気にブレイクしてスター街道を驀進することになります。
しかし、常習的に監督、プロデューサー、共演者と激しく対立することもあり、また、契約金などでも揉め事も多く、
さらに気管支系の病魔に冒されこともあり、1970年代には役者としての仕事も減ってしまいました。
トップ俳優として一時代を築いたものの、1980年に公私ともにアンチヒーローの人生を閉じることになります。

【主要出演作品】
1959年『戦雲』Never So Few
1960年『荒野の七人』The Magnificent Seven

1961年『ガールハント』The Honeymoon Machine
1962年『戦う翼』The War Lover
1963年『大脱走』The Great Escape

1963年『雨の中の兵隊』Soldier in the Rain
1963年『マンハッタン物語』Love with the Proper Stranger

1965年『シンシナティ・キッド』The Cincinnati Kid
1966年『ネバダ・スミス』Nevada Smith
1966年『砲艦サンパブロ』The Sand Pebbles
1968年『華麗なる賭け』The Thomas Crown Affair

1968年『ブリット』Bullitt
1969年『華麗なる週末』The Reivers


【ご命日】

★リチャード・ウィドマーク Richard Widmark (1914.12.26~2008.3.24)



冷酷な悪役から始まって渋さの光る準主役など幅広い役どころをこなせるハリウッド俳優。
主な出演作品に『情無用の街』『ニュールンベルグ裁判』「あしやからの飛行」などがある。


★サム・ジャッフェ RSam Jaffe (1891.3.10~1984.3.24)



渋い傍役として映画・舞台・TVで活躍したアメリカの俳優です。
主な映画出演作品に『アスファルト・ジャングル』『ベン・ハー』、TVでは「ベン・ケーシー」がある。
詳細は当ブログの『3月10日』をご参照ください。