【誕生日】
☆ルネ・クレマン Rene Clement (1913.3.18~1996.3.17)

ドキュメンタリー的リアリズム手法で格調高い作風を誇るフランスの映画監督です。
少年時代に映画製作を志して18歳頃にはプライベートな短編映画を数本製作するに至りました。1934年にはプロとして
映画界に入り主に短編記録作品を発表してドキュメンタリーの基礎を固めました。第二次大戦でドイツ軍の敗色が濃厚と
なった1944年にフランス国鉄によるレジスタンス活動の映画化に臨み、ドイツ軍の軍備輸送を妨害する抗戦運動を再現、
既存の俳優を使わずに現実の記録を写実的凝視したセミ・ドキュメンタリー『鉄路の闘い』を1945年に完成させました。
続いて1947年には敗戦直前で祖国を失ったナチス・ドイツの潜水艦という限界状況において、潜水艦の内部を舞台に
ドイツ・ナチスの非人道を衝撃のリアリズムで糾弾した『海の牙』を発表、フランス映画にドキュメンタリー・タッチの
リアリズムという新たな世界を切り開きました。
1951年の『禁じられた遊び』では、戦争孤児になった少女と農家の少年の純心な交情を通して戦争の悲惨さを訴えて
反戦映画の金字塔と称される傑作に仕上げ、1955年の『居酒屋』では、ドキュメンタリー的なリアリズムが冴えわたる
見事な描写により自然主義文学の完璧な映画化に成功しました。
しかし、フランス映画界がヌーヴェルヴァーグに押され始めた頃からクレマンの真価が薄れ始め、(そうしなければならない
事情もあったのかもしれませんが)商業主義映画へと舵を切り替えていきました。
1959年の『太陽がいっぱい』は固唾を飲むサスペンスとどんでん返しで大ヒットしたのですが、以降はスリラーに傾倒
した商業映画の監督として認知されるようになってしまいました。
そんな中でも、1966年の『パリは燃えているか』では、きめ細かくエピソードを積み重ねる手法と、当時の実写映像等を
利用しながらドキュメンタリー風に描き上げて、往年の純粋な作風が一瞬がきらりと輝いていました。
その後も『雨の訪問者』などのサスペンス映画などを制作していましたが、1975年公開の『危険なめぐり逢い』を最後に
映画製作から完全に引退してしまいました。
【主要監督作品】
1945年『鉄路の闘い』 La Battaille du Rail

1947年『海の牙』Les Maudits
1948年『鉄格子の彼方』 Au-delà des grilles

1950年『ガラスの城』 Le Chateau de Verre
1951年『禁じられた遊び』 Jeux interdits
1953年『しのび逢い』 Monsieur Ripois
1955年『居酒屋』 Gervaise

1957年『海の壁』 Barrage contre le Pacifique
1959年『太陽がいっぱい』 Plein Soleil
1960年『生きる歓び』 Quelle Joie de vivre

1964年『危険がいっぱい』 Les Felins
1966年『パリは燃えているか』 Paris brule-il?
1969年『雨の訪問者』 Le Passager de la Pluie

☆ボビー・ソロ Bobby Solo (1945.3.18~ )

1960年代のカンツォーネ・ブームの中でサン・レモを支えたイタリアのポップ・シンガーです。
いかにもアメリカ風の名前のボビー・ソロですが、本名はロベルト・サッティ、生粋のローマ生まれのイタリア人です。
エルビス・プレスリーに憧れて歌手を目指し、1963年にイタリアの新人コンテストにおいて『ブルー・オン・ブルー』を
唄って優勝、記念すべきデビュー・シングルの1枚となりました。そして1964年にはカトリーヌ・スパークが作曲して
ミリオン・ヒットとなった『ほほにかかる涙』を引っ提げてサン・レモ音楽祭に臨みましたがジリオラ・チンクエッティの
『夢みる想い』に大賞をさらわれ、大賞は自分が獲るものと確信していたため相当のショックを受けたそうです。
しかし、その無念を乗り越えて翌1965年には自作の『君に涙とほほえみを』で見事にサン・レモ音楽祭でグランプリを
手にし前年のリベンジを果たしました。
ボビー・ソロは1969年にも『涙のさだめ』でサンレモ音楽祭優勝を飾り、その甘い歌声は再び世界を魅了しました。
↓はボビー・ソロの『ほほにかかる涙』 YOUTUBEより
↓はボビー・ソロの『君に涙とほほえみを』 YOUTUBEより