港町のカフェテリア 『Sentimiento-Cinema』


献立は…  
シネマ・ポップス…ときどきイラスト

独り言

2014-12-27 04:02:02 | 独り言

マスターのCHOCHINです。

当カフェテリア 『Sentimiento-Cinema』は、自分の記憶や思考を手元の資料などによって
自分のための整理保管庫という'道具'として当ブログを開設しております。
引き続き、シネマ、ポップス、イラストなどについて綴ってまいるつもりです。

このブログには訪問者のカウンターを表示しておりませんが
いつの間にか、トータル訪問者IPが50,000を越えました。
また、トータル閲覧者PVも150,000を超えています。



こんなわがままなブログなのですが、意外と巡回してくださる方も多いようです。

以前にもお断りを入れた通り、記事も勝手気ままで、考え方も一風変わっておりますが
そこはご容赦の上、今後ともよろしくお願いいたします。

映画音楽史(320) 『三匹の子豚』 1933年公開

2014-12-26 09:27:54 | 映画音楽



『三匹の子豚』  The Three Little Pigs (米) 1933年制作
監督 ウォルト・ディズニー
音楽 フランク・チャーチル
主題歌 『狼なんかこわくない』 ( Who's Afraid of the Big Bad Wolf? ) 唄・サウンド・トラック

ウォルト・ディズニーによる三匹の子豚と狼の童話をもとにした全編歌曲のアニメーション・ミュージカル短編作品で、トーキー初期
にシリーズとして制作していた『シリイ・シンフォニーズ』の中の一篇で公開当時は『子豚物語』とも言われていました。
お話は、三匹の子豚たちが それぞれ藁の家、木の家、レンガの家を造り、狼に襲われたものの頑丈なレンガの家で狼をやっつける
という童話。

主題歌の『狼なんかこわくない』はフランク・チャーチル作曲、アン・ロンネル作詞によるもので、当時の大不況に景気回復を図った
ルーズヴェルトのNRA政策と呼応してアメリカで大ヒットとなりました。

↓は『狼なんかこわくない』 YOUTUBEより



映画音楽史(319) 『ベノスアイレスの灯』 1932年公開

2014-12-25 10:25:32 | 映画音楽



『ベノスアイレスの灯』  Las Luces de Buenos Aires (仏) 1931年制作
監督 アデルキ・ミラー
音楽 フリオ・デ・カロ
主演 アンセルモ … カルロス・ガルデル
    エルヴィラ … ソフィア・ボサン
    ロジタ … グロリア・グスマン
主題歌 『交わす盃』 ( Tomo y obligo ) 唄・カルロス・ガルデル

アルゼンチン・タンゴにおける伝説的歌手カルロス・ガルデルが主演したフランス制作のスペイン語による人情ドラマ。
アルゼンチンの片田舎の牧場で、ガウチョ(牧童)のアンセルモと恋人のエルヴィラたちが楽しげに唄い踊っていた。たまたま通り
かかったブエノスアイレスの興行主がそれを見つけ、彼等を見込んでブエノスアイレスに誘う。アンセルモは断ったがエルヴィラと
その姉のロジタは都会の舞台に憧れて村を去った。エルヴィラはさっそく檜舞台に立ち大喝采を浴びて一躍スターになった。
村に残ったアンセルモはエルヴィラのことが忘れられず、ガウチョ仲間たちの協力で強引にエルヴィラを牧場に取り戻す。

主題歌の『交わす盃』はカルロス・ガルデル自身の作曲にマヌエル・ロメロが詩を付けたものです。映画ではガルデルが酒場で酒を
酌み交わしながら小編成のバンドで唄っていました。

↓はカルロス・ガルデルの『交わす盃』 YOUTUBEより




映画音楽史(318) 『自由を我等に』 1932年公開

2014-12-24 02:18:18 | 映画音楽



『自由を我等に』 A Nous la Liberté (仏) 1931年制作
監督 ルネ・クレール
音楽 ジョルジュ・オーリック
主演 ルイ … レーモン・コルディ
    エミール … アンリ・マルシャン
    ジャンヌ … ローラ・フランス
主題歌 『自由を我等に』 ( A Nous la Liberté ) 唄・サウンド・トラック

クレールのトーキー三作目で、資本主義文明社会における人間の自由に対しての風刺コメディをミュージカル風に描写した傑作。
刑務所で同房のルイとエミールは脱獄を計画したがルイだけが成功してシャバに出ることができた。ルイは持ち前の頭脳で商売に
成功し、レコード会社の社長に出世した。一方、刑期を終えたエミールはルイの会社に就職して二人は再会する。ルイはエミールが
ゆすりに来たと思ったがエミールの本心を知って再会を喜ぶ。しかし昔の刑務所仲間が現れてルイを脅迫したために事態が一変、
オートメーション化した新工場の竣工式に刑事たちが踏み込んできてルイとエミールは無一文で逃走する。

ボードビル調の主題歌の『自由を我等に』はルネ・クレール作詞、ジョルジュ・オーリック作曲でこれをアルマン・ベルナールが編曲
したもので、二人が脱獄する時、再会する時そしてラストシーンにおいて繰り返して流れていました。サウンド・トラックでは主演の
レーモン・コルディとアンリ・マルシャンが唄っています。

↓はサウンド・トラックによる『自由を我等に』 YOUTUBEより


この作品の五年後にチャップリンが『モダン・タイムス』を制作していますが、近代設備の工場における労働風景やラストシーンに
おける画面構成などテーマも含めてあらゆる面において『自由を我等に』を真似た(オマージュ?)ように見受けられ、フランスの
製作会社であるトピス社がチャップリンを提訴したということでも話題になりました。

蛇足ですが、2011年の夏に西宮大谷記念美術館で催された『野口久光ポスター展』の会場でもこの主題歌が流れていました。



映画音楽史(317) 『巴里の屋根の下』 1931年公開

2014-12-23 01:52:34 | 映画音楽



『巴里の屋根の下』 Sous les toits de Paris (仏) 1930年制作
監督 ルネ・クレール
音楽 レーモン・ベルナール
主演 アルベール … アルベール・プレジャン
    ポーラ … ポーラ・イルリ
    ルイ … エドモンド・T・グレヴィル
    フレッド … ガストン・モド
主題歌 『巴里の屋根の下』 ( Sous les toits de Paris ) 唄・アルベール・プレジャン

巨匠ルネ・クレールのトーキーにおける映画芸術を確立した作品で、巴里の下町の風情や人情を詩的に描いた最高傑作。
巴里の街角で流行歌を唄いながらその楽譜を売っているアルベールは、ルーマニア娘のポーラがスリ仲間のボスのフレッドに狙われて
いたのを助けたことで親しくなり、ポーラはアルベールのアパートに転がり込む。そんな折、アルベールは知り合いから預かっていた品物
が盗品であったことで留置された。その間にポーラはアルベールの親友であるルイと親しくなった。二週間後にアルベールの嫌疑も晴れ
ようやく出所した。そんな夜、アルベールが酒場でポーラと踊っていると天敵のフレッドの反感を買い、二人は決闘するために店を出たが、
ルイの機転で助けられる。そこでアルベールはポーラとルイが愛し合っているのを知り、アルベールは祝福してポーラをルイに譲る。

典型的なシャンソンである主題歌の『巴里の屋根の下』はルネ・ナゼール作詞、ラウール・モレッティ作曲によるものです。
オープニングでの見事なまでの巴里の光景(セット)のもとで楽譜売りのアルベールが何度も反復しながら聞かせる主題歌は観客の
耳にこびりつくように刷り込まれて大ヒット、『巴里の空の下』と共に巴里を唄ったシャンソンの代名詞的存在となりました。
また、この曲は映画のために作られた映画音楽の第一号であるともいわれています。

Quand elle eut vingt ans
Sa vieille maman
Lui dit un jour tendrement:
"Dans notre log´ment
J´ai peiné souvent
Pour t´él´ver fallait d´l´argent;

↓はアルベール・プレジャンの『巴里の屋根の下』 YOUTUBEより


↓は映画のオープニングによる『巴里の屋根の下』 YOUTUBEより



余談になりますが、少しこの映画の歴史的価値感について語ってみようと思います。

この映画が製作されたのは 1930年制作、映画がトーキーの時代を迎えて間もない頃でした。映画に音声が加わったことによって
サイレントで培われたこれまでの映画作風が大転換され、本来映像で表現していた情景などが出演者の台詞一つで事足りるように
なったため、無駄ともいえるようなダイアローグ(対話)が氾濫しました。また映画は音声の要素を獲得したのを喜ぶあまりに、舞台劇
の実写版もどきの作品や、音楽を聞かせることを主とした作品や唄って踊るだけの作品などのいわゆるガースー映画と酷評される
レヴユー系映画が量産されました。こうなればサイレントが苦心して積み上げた視覚的表現などは微塵も感じることはできません。
この騒々しいだけの原始的トーキー初期の大混乱から、トーキーにおける映画芸術を確立させたのがジョセフ・フォン・スタンバーグ
の『モロッコ』であり、ルネ・クレールの『巴里の屋根の下』でした。
クレールは音声絶対主義な映画作法からイメージ第一主義ヘ修正し、音声の要素とイメージの要素を独立に考えた上でこれらを
あとで結合させるという非同時性を考えました。これによって映像による音の制御及び音による映像の省略という手法が確立され、
鍛えぬいた映像表現でもってトーキーにおける映画芸術の本質を極めることとなりました。
『巴里の屋根の下』によりヨーロッパにおけるトーキー時代の映画芸術は一気に花開く時代を迎えることになっていきます。
この作品の歴史的価値が異常に高いのもこのような背景によるものだと思われます。