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映画音楽史(317) 『巴里の屋根の下』 1931年公開

2014-12-23 01:52:34 | 映画音楽



『巴里の屋根の下』 Sous les toits de Paris (仏) 1930年制作
監督 ルネ・クレール
音楽 レーモン・ベルナール
主演 アルベール … アルベール・プレジャン
    ポーラ … ポーラ・イルリ
    ルイ … エドモンド・T・グレヴィル
    フレッド … ガストン・モド
主題歌 『巴里の屋根の下』 ( Sous les toits de Paris ) 唄・アルベール・プレジャン

巨匠ルネ・クレールのトーキーにおける映画芸術を確立した作品で、巴里の下町の風情や人情を詩的に描いた最高傑作。
巴里の街角で流行歌を唄いながらその楽譜を売っているアルベールは、ルーマニア娘のポーラがスリ仲間のボスのフレッドに狙われて
いたのを助けたことで親しくなり、ポーラはアルベールのアパートに転がり込む。そんな折、アルベールは知り合いから預かっていた品物
が盗品であったことで留置された。その間にポーラはアルベールの親友であるルイと親しくなった。二週間後にアルベールの嫌疑も晴れ
ようやく出所した。そんな夜、アルベールが酒場でポーラと踊っていると天敵のフレッドの反感を買い、二人は決闘するために店を出たが、
ルイの機転で助けられる。そこでアルベールはポーラとルイが愛し合っているのを知り、アルベールは祝福してポーラをルイに譲る。

典型的なシャンソンである主題歌の『巴里の屋根の下』はルネ・ナゼール作詞、ラウール・モレッティ作曲によるものです。
オープニングでの見事なまでの巴里の光景(セット)のもとで楽譜売りのアルベールが何度も反復しながら聞かせる主題歌は観客の
耳にこびりつくように刷り込まれて大ヒット、『巴里の空の下』と共に巴里を唄ったシャンソンの代名詞的存在となりました。
また、この曲は映画のために作られた映画音楽の第一号であるともいわれています。

Quand elle eut vingt ans
Sa vieille maman
Lui dit un jour tendrement:
"Dans notre log´ment
J´ai peiné souvent
Pour t´él´ver fallait d´l´argent;

↓はアルベール・プレジャンの『巴里の屋根の下』 YOUTUBEより


↓は映画のオープニングによる『巴里の屋根の下』 YOUTUBEより



余談になりますが、少しこの映画の歴史的価値感について語ってみようと思います。

この映画が製作されたのは 1930年制作、映画がトーキーの時代を迎えて間もない頃でした。映画に音声が加わったことによって
サイレントで培われたこれまでの映画作風が大転換され、本来映像で表現していた情景などが出演者の台詞一つで事足りるように
なったため、無駄ともいえるようなダイアローグ(対話)が氾濫しました。また映画は音声の要素を獲得したのを喜ぶあまりに、舞台劇
の実写版もどきの作品や、音楽を聞かせることを主とした作品や唄って踊るだけの作品などのいわゆるガースー映画と酷評される
レヴユー系映画が量産されました。こうなればサイレントが苦心して積み上げた視覚的表現などは微塵も感じることはできません。
この騒々しいだけの原始的トーキー初期の大混乱から、トーキーにおける映画芸術を確立させたのがジョセフ・フォン・スタンバーグ
の『モロッコ』であり、ルネ・クレールの『巴里の屋根の下』でした。
クレールは音声絶対主義な映画作法からイメージ第一主義ヘ修正し、音声の要素とイメージの要素を独立に考えた上でこれらを
あとで結合させるという非同時性を考えました。これによって映像による音の制御及び音による映像の省略という手法が確立され、
鍛えぬいた映像表現でもってトーキーにおける映画芸術の本質を極めることとなりました。
『巴里の屋根の下』によりヨーロッパにおけるトーキー時代の映画芸術は一気に花開く時代を迎えることになっていきます。
この作品の歴史的価値が異常に高いのもこのような背景によるものだと思われます。