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60年代ポップス変遷史 1960年11月

2014-09-27 11:54:21 | 60年代ポップス変遷史

1960年11月にはこんな曲が流行していました。

マイ・ホーム・タウン ポール・アンカ
太陽がいっぱい サウンドトラック
グリーン・フィールズ ブラザーズ・フォー
月影のキューバ セリア・クルス
グッド・タイミング ジミー・ジョーンズ
イッツ・ナウ・オー・ネヴァー エルヴィス・プレスリー
初恋のブルース バック・クレイトン楽団
ビキニスタイルのお嬢さん ブライアン・ハイランド
はるかなるアラモ ブラザーズ・フォー
⑩恋の汽車ポッポ アルマ・コーガン
死ぬ程愛して アリダ・ケッリ
バッファロー大隊マーチ アート・ムーニー楽団


10位の『恋の汽車ポッポ』は英国人歌手アルマ・コーガンの実質的な日本デビュー曲です。
後の彼女のヒット曲としては『ポケット・トランジスター』『いわなきゃだめよ』『グッドバイジョー』などが
ありますが、残念ながら1966年に34才という若さでこの世を去っています。
ちなみに、『恋の汽車ポッポ』の作詞作曲はポール・アンカで、当時彼が想いを寄せていたアネットの
ために作った曲だという噂話がありました。

↓はアルマ・コーガンの『恋の汽車ポッポ』 YOUTUBEより

日本では森山加代子がカヴァーしていました。


この頃は洋楽ヒット曲が日本語でカヴァーされ、いわゆる『和製ポップス』ブームが訪れていました。
ザ・ピーナッツ、森山加代子、坂本九(ダニー飯田とパラダイスキング)なとがその代表的な歌手でした。
一方、テレビの加速的な普及で一家団欒のお茶の間に『和製ポップス』が届けられて、お年寄りから
子供までが洋楽を口ずさむ時代になりました。
日本における60年代ポップスの全盛期の始まりでした。


また、ベストテンにはランクインしませんでしたが、この頃ドディー・スティーヴンスの
『黄色いバスケット』もヒットしていました。

↓はドディー・スティーヴンスの『黄色いバスケット』 YOUTUBEより

これも森山加代子がカヴァーしていました。





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4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
へーっ! (オンリー・ザ・ロンリー)
2014-09-28 07:39:31
懐かしい名前です、ドディー・スティーヴンス!。
確か、もっとコミカルな歌があった気がしますけど
、、、、。
返信する
オンリー・ザ・ロンリーさんへ (CHOCHIN)
2014-09-28 12:44:45
ドディー・スティーヴンス、爆発的なヒット曲もなく
すぐに引退してしまいましたので
日本ではそれほど知られていないでしょうね。
私の知っているのは『黄色いバスケット』と、
ブレスリーの『今夜はひとりかい』のアンサーソング
Yes I'm Lonseome Tonight
くらいです。
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思い出しましたよ (オンリー・ザ・ロンリー)
2014-09-28 20:10:03
ない頭なのに。
「ピンク・シュー・レイセス」、恐らく
「Pink Shoe Laces」かも?。
コミカルな軽快な曲です。
江利チエミだったか、歌ったような
?。違うかな~?。
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オンリー・ザ・ロンリーさんへ (CHOCHIN)
2014-09-29 02:21:15
そういえば
「ピンク・シュー・レイセス」が…

まったく記憶から飛んでいました。

ありがとうございました。


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